広い部屋。空を切り裂く悲鳴。 それは少女のもの。 狙い通り、莫大な闇を生み出す。 素晴らしい、想像以上に深く大きな闇だった。 この世界で、何年も前のこと。 研究帰りの雨降る街のビルの隙間で、ぐったりと四肢を投げ出し、虚ろな顔をした少女を見つけた。 異世界からこの世界へ飛ばされたらしいその少女の目は、にごり、澱んでいた。 私たちが研究していた異世界との関連性も、その経歴も一切不明。 ただ教えてくれた事は、彼女が海に飛び込んだ事。瞬間、暗闇に放り出され、さ迷った事。そして暗闇で見えた光に手を伸ばし、触れた時に目覚め、この世界に居た、と。 名前を聞けば、自身の名前が嫌いだと言う。過去に何があったのかを聞けば、「思い出したくない」「ほとんど忘れた」。 少し悩み、私はその少女を養子として受け入れる事にした。 ユキ、という名前を与えて。 彼女の澱んでいた瞳は、我が家に来て――すぐに輝く事となった。 その少女が、父がためにと封じ込めた記憶の闇、その全てを解放する事を受け入れ、そして今……解き放った。 ユキの、私と出会う前の記憶はとても脆く、ひび割れたものばかりだが……どれも十分すぎる闇を孕んでいた。 全てを悟り、澱んでいた瞳はその凄まじさを物語っていたのだ。 悲鳴は続く。最早、絶叫と言った方が正しい。…………いや、絶狂、だろうか。 喉が潰れたら大変だ。顔を掻きむしろうとする腕を止める。必死に抵抗し暴れようとしているのか、もがいている。 「ユキ、ユキ。聞こえているかい」 「――ッ!!!、がああ、ッ!!」 「……ユキ。」 ジリ、と一際大きく閃光が走る。 全ての波が去ったのか、がくりとうなだれ、それでも苦しいのか眉を潜め、涙目で唸っている。 空に浮いていた体がゆっくり落ちてくる。 受け止めてあげれば、やたらと軽い体なのに、大きな闇で重苦しい。 ……本人は、相当だろう。 「……ユキ」 「……と、ろ……ん、」 「よく耐えたね、苦しかったろう」 「勿体な…い…、おことば……」 「今は何も喋らなくていいよ、ユキ。ベッドに運んであげよう。今はお休み」 「……は、い…………」 ゆっくり目を閉じ、今度こそうなだれた。気絶に近い、眠りだ。 踵を返し、部屋を後にする。紋章の力を高める為の儀式は、完全に成功だった。 思えば彼女はよく尽くしてくれる。それは、恩人だからという域を越えて。 そして、ユキは時折……愛しいとでも言うかのようにこちらを見つめる。 まぁ今は何だっていい。重要なのは、彼女は復讐を望み……私を嵌めたフェイカーを強く恨んでいることだ。 息子達にはこの純粋な……純度の高い天然の心の闇は無い。 よく働いてくれた。そして、まだまだ利用できる。復讐のために。 ベッドに、拾った時のように細いユキの体を沈ませる。折ろうと思えば、腕の骨ぐらい簡単だと見える。 息子達も極端に細い……体力を付けねば、エネルギーが足りないだろう。 布団をそっと掛ける。頭を撫でてやれば、表情が和らいだ。 さて、今日やることはやった。部屋を後にしよう。 扉へと、向かう。 「とう、さま」 ……。振り替えるとそこに居るのは深い眠りに落ちたユキ。 「…痛…い……と、さま……どこ……」 悪夢でも見ているのだろうか。あれだけの闇に身を当てたのだから無理もない。 「ここにいるよ」 側へ戻り、震えている手を取り、握る。 「………… …… 、」 口をぱくぱくさせ、強く手を握り返される。 震えが収まらないのか、握る強さは一定ではない。 けれどもやがて口は弧を描き、私の気配に落ち着いたのかやがて震えも収まった。 「……」 こうして安らかな表情を見れば、先ほどの闇を生み出したのがこの子だとは信じがたい。 笑顔の裏に隠した闇は、それだけ大きいと言うことだろう。 「……その闇は、これからも利用させてもらうよ。可愛い僕の娘……」 しかし。 握られた手がほどけない。 ……しばらくはこのまま、だろうか。 甘えん坊なのは昔からだ、仕方がない。 今日やるべき事はもうない。少しぐらい付き合ってあげてもいいだろう……ユキのおかげで、一歩予定が進んだ。 「…………いいこだね」 部屋の闇は、軽くなっていた。 back |