化学反応
朝は眠いものだ。本当に、朝というのはどうしてこうも人に眠気をもたらしてくれるのだろうか。非常に憎らしい「何ぶつぶつ言ってんの。いいから早く背中押してくれる?」
「……うりゃ。」
「ちょっと!いた、痛い!痛いってば!!きみは加減っていう言葉知らないの?!」
「あっらーすみませんねえ。」
「……むかつく。」
聞こえるか聞こえないかの音量で落とされた月島くんの呟きは聞かなかったことにしてあげた。なんてわたしは優しいんだろうか。そんなやり取りをしている間にストレッチの時間は終わり。なぜかペアを組まされていたわたしと月島くんはペア解消万歳と言わんばかりに、終わりの合図とともに速攻解散
朝から憎まれ口が減らない人だなあ。
本当、よくもまあ、あんなにたくさんと。皮肉も込めつつ、妙に感心しながら、わたしは清水さんのところへ駆け寄りドリンク作りのお手伝い。ボトルに粉を入れてくれる清水さん。それを受け取り、水を入れたらしゃかしゃかと振るのがわたしの役目。一つ、二つと出来上がったドリンクをカゴの中に入れて人数分
「わたし、これ運びますね。」
「あ、神内さん一人じゃ重たいだろうから、わたしも。」
「大丈夫ですよ!こう見えても力仕事には自信がありますよっと、とと…?」
「ちょ、ちょっと、神内さん?」
「あれ、あれれ。」
「危ない!」
両手に力を込めて一気に持ち上げてはいいけれど、よろける足。
あれ、これはやばい、かも?
清水さんの忠告虚しく、わたしの足はふらふらと不安定なことこの上ない。カゴの中でがたがたと大きな音を立てるボトル。その重さに揺られて更に足元はおぼつかない。ふらり、ふらりと落ち着かないわたしの体が渡り廊下の柱にぶつかりそうになって、ぶつかっちゃうな、と自分でも驚くほど冷静に状況判断すると同時に後ろで聞こえた清水さんの声。体に来るであろう衝撃を覚悟しつつも何とか回避できないか、なんて足を踏ん張ろうとした時、急に体から消える重力。そして降り注ぐ長い溜め息
「……何やってんの。」
「つ、月島くんっ。」
「無茶して怪我でもされたら迷惑なんだけど?」
「なっ。」
「神内さん、大丈夫?!」
「え、あ、はい…。」
「お願いだから無茶しないで。」
「ご、ごめんなさい。」
「でも、神内さんが来てくれて本当に助かってるよ。ありがとう。」
「あ、いえ……。」
「月島もありがとうね。」
「べつに。これ、ぼくが持っていきますよ。」
「でも。」
「ついでなんで。」
重くて仕方なかったカゴをひょいといとも簡単に持ってしまう月島くん。その姿を見ながら、慌てて引き留めても、「うるさい」と一言で動きを制されて、終了。何なの、と文句をもらそうにも、助けてもらった手前何も言えず、その場で唇を尖らせるしかない
そんなわたしと月島くんのやり取りを見ながら、清水さんはにこにこと微笑ましそうな顔で笑いながら、「とりあえず月島に任せよう」と言って、くるりと踵を返してしまう。なんか、都合の悪い空気だ!と思いながらも、わたしは急いで清水さんの背中を追いかける
……お礼、言い忘れた。
助けてもらったのに、月島くんの憎まれ口と、突然のことで、つい。後で、お礼言わなきゃ。癪だけど、助けてもらったことは紛れもない事実。だから、ちゃんとお礼、言おう
「月島優しいね。」
「そう、ですか。」
「神内さん、だからかな。」
「え?」
「今みんな休憩中なのに、目が離せないみたいだったし。月島と神内さんってもしかして…。」
「いやいやいやいや。」
清水さんの言葉に全力否定。確かに目が離せないかもしれないけれど、それは、わたしがぽろりと変なことを口走らないか監視しているだけであって、わたしと月島くんが特別な関係ということは断じてない。だけど、いくらわたしが否定を重ねても、清水さんは微笑ましそうに笑うだけ
困ったなあ、なんて思っていると、武田先生に呼ばれる清水さん。なんてグッジョブ武田先生。一人わたしを給湯室に残してしまうことに申し訳なさそうな顔をする清水さんに、渡りに船、まるで急かすように「どうぞどうぞ!」と武田先生のところへと背中を押せば、「ごめんね」と言いながら足早に清水さんは武田先生のところへと向かっていった
「はあ。」
一人給湯室で溜め息を一つ。何だか、朝からどっと疲れてしまった。もしかしたら、こんな毎日が続くのだろうか。なんて気疲れのする毎日だろうか。もう辞めたくなってきた。どうしてくれる
「月島くんのばか。」
「誰がばかだって?」
「なっ、うえっ、つ、つつつつ月島くん!」
一人になって気が緩んだのか、思わず漏れた心の声に、返事。誰だ!と見上げたところに、嫌な笑みを湛える月島くんが一人。ええ、先程わたしがばかだと罵った月島くんが、嫌な、笑みを湛えて立っていらっしゃった
「で、誰がばかだって?」
「え、あ、いや…わたし、そんなこと言いましたかね?」
「で、なんでぼくがばかなわけ?きみより遙かに頭が良いはずだけど。」
「ばっちり聞こえてるじゃん!」
「べつに聞きたくて聞いたんじゃなくて、たまたま聞こえただけだけど。きみの声が無駄に大きいからじゃない?」
「うるさいー!」
言い訳を使えない頭をフル回転させて考えていたのに、結局遊ばれて。何よ、何よ。ばかばか。月島くんのばか。確かにわたしより遙かに頭は良いんだけど、言える悪口なんてばかしか知らないばかなわたし
ていうか、なんできみはここにいるのかね。
今、部活中だし。休憩に入っているわけでもなかろう。用もないのに、新しく入ったマネージャーをつけ回すとか変態とか言われても仕方ないぞ!とかいろいろ言ってやろうと思ったけれど、言ったが最後。形のないナイフでグサグサされることは昨日、今日のやり取りで学んだのでぐっとこらえて口を噤む。すごい、わたし超大人じゃん、なんて自分をよいしょまでしてみる
もうこうなったら自分の仕事に集中することだ。そうすれば、そのうち月島くんも学ぶだろう。こんなにしょっちゅう監視するほどじゃないな、なんて。うん、そうだ、そう思うだろう、と考えてわたしは残っていた仕事に手を付ける
「べつに、監視に来たわけじゃないから。」
「なっ。」
「顔に書いてある。きみって本当わかりやすいよね。」
「ななっ。」
「なぜばれた!」と言う前に指を差された顔。「人に指を差すな!」と言えば、「ああ、ごめんごめん」なんて飄々と。それにちょっとムッときながら、「何しに来たんですかあ」なんて言えば、「これ」と言いながら掲げられたのは、先程持って行ってもらったボトルのカゴ。わざわざ、戻しに来てくれたらしい
「体育館に置いてても良かったのに。」
「べつに。水飲み場に行くついでだし。」
「……ぷっ。」
「何、この子。失礼なんだけど。」
「いや、ごめんごめん。」
だって、あまりにも言い訳じみた言葉だったから。そして、それが逆に何だか月島くんらしくて、思わず笑ってしまった。笑うわたしにムッとした顔の月島くん。その顔にまた笑ってしまうわたし。いやだ、涙出てきた。そんなわたしを見て呆れたように肩を竦め、足早にここを立ち去ろうとする月島くん
あ、そういえば。
むかっときたり、笑ったりで感情が目まぐるしくてつい忘れるところだった。ボトルのカゴを持ってくれたり、戻しに来てくれたり。本当は優しいところもあるのだということを知ってしまったから、これは素直に言わざるを得ない、よね。そういうのはちゃんとしなさいって従兄も言ってたし
「月島くん。」
さっさと立ち去ろうとする背中を呼び止めて、くるりとこちらを向き、不思議そうな顔をする月島くんに一言
「ありがとう!」
にへらっと笑って言った一言。その一言を受け止めて、何とも言えない顔をする月島くんは、腕で自分の口を覆い隠して、「べつに」なんて言って体育館へと戻っていく背中。その姿に、わたしまで何とも言えない気持ちになって、ただ呆然と月島くんの背中を見送ることしかできなかった
素直な気持ちに化学反応
「ありがとう」×「きみの顔」=「???」
(神内さん?)
(……。)
(おーい、神内さん?)
(…え、あ!し、清水さん!)
(どうしたの?こんなところでぼうっとして。)
ひらひらと手を振られて気付く。いつの間にか清水さんがわたしの目の前で不思議そうな顔をしながら立っていた。どのくらいそうしていたのかわからないが、大分ぼうっとしてしまっていたらしい。反省、反省。「何でもないです!」と言って清水さんと一緒に残った仕事をちゃちゃっと終わらせてしまう。集合の声が聞こえて、急いで体育館に戻って、ばちり。きみと目が合い、何だか照れ臭くなって。ただお礼を言っただけなのに、何なんだ。さっきのきみの顔を思い出しては、困ったなあ、と首の後ろに手を当てて溜め息を一つ吐き出した。
あとがき
これは惚れ始めてるわ〜。