暗幕

後ろを振り返れば、いつの間にか着替え終わっていた月島くん。わたしの頭をがしっと掴んで無言の圧力。何ですか、何が言いたいんですか。部活が始まる前の一連の出来事で、抵抗したところで無駄だということはもうわかっているので、引きずられるまま更衣室へ。引きずられている間、澤村さんに笑顔で手を振られたので、笑顔で振り返しておいた。やはり、助けてはくれないらしい

ぽい、と更衣室前で解放。早く着替えて来いよ、なんて月島くんの目が語っていらっしゃる。渋々、更衣室のドアを開けて中を覗き込むと既に着替えの済んだ清水さんが不安げにわたしを見つめていた。ああ、そう言えばバレー部に入ることになるかならないか、さっき決まったんだった



「わたし、入部することにしました。」


「え、本当?」


「はい。お役に立てるかわかりませんが、これからよろしくお願いします。」


「ありがとう、神内さん!」



美人の笑顔の迫力すげえ。


満面の笑みでわたしに抱きついてくる清水さん。うわあ、すごくいい匂いするな、とかなんか変態みたいだな。いや、でも清水さんから本当にいい匂いがしているし、仕方ない。美人の魅力に酔いしれている間に、清水さんは笑顔で「また明日」と言って更衣室を出ていった。残り香すらも美しい



「何やってんの、早く着替えなよ。こっちは待ってるんだけど。」


「は!覗きですか?!変態なのかな!!」


「変態はきみの方でしょ。何さっきから、香りがとか言ってるの。本当気持ち悪いんだけど。」


「う、うるさいな!着替えるんだから出ていってください!!」



いつの間にか目の前に聳え立っている月島くんに声を掛けられてハッとする。ここは女子更衣室の中。でも、目の前に月島くん。「覗きか!」なんて言ってわあわあ喚こうとするわたしの言葉を潰して「じゃあ、早く着替えなよ」の言葉だけ残して、ここにはわたし一人になって

清水さんのお手伝いしかしていなかったから、そんなに汗はかいていない。着替えが楽だなあ、と思いながら学校指定のジャージを脱いで、制服のブラウスに袖を通す。体育の時に比べて楽とは言え、着替えをするのは面倒だなあ、なんて思いつつするすると着る制服。明日から、これが当たり前になるのだろうか。放課後、ジャージに着替えて、部活をやって、また制服に着替えて、なんて。普段の体育の授業前に着替えるのを面倒臭がるわたしをよく知っている友達が聞いたら、何か悪いものでも食べたのかと真面目な顔で聞いてきそうだ


でも、頷いてしまったし、なあ。


確かに月島くんに無理矢理ここに連れられて、入部させられそうになったけど、結局決めたのは自分で、頷いたのも、澤村さんの手を握ったのも、わたしだ。それに関しては、月島くんの力なんて何一つ掛かっていないところの話なんだよなあ、なんてちょっと遣る瀬なくなりながらも着替えが完了。荷物を持って、更衣室のドアを開ければ壁にもたれ掛かりながら不機嫌そうな顔でヘッドフォンを耳に音楽を聴いている元凶一人



「遅い。着替えるのにどんだけ時間掛かってんの。」


「男子の着替えと一緒にしないでくれますか。」


「行くよ。」


「無視ですか。そうですか。」



さらりとスルーされる文句。言い返してやった!とドヤ顔決めたのに、鼻で笑われて終了。していたヘッドフォンを外して、すたすたと前を歩き始める月島くん。べつに待ってなんて言ってないし、勝手に待っていたのは自分だろうになんでわたしが文句を言われなければならないのだ、とどすどす荒い足音を響かせながらその背中を追う

すっかり静かになった学校内。どうやらバレー部の面々は帰ったようである。門の辺りを通る頃には、学校内の明かりがほとんど消えている状態だった。普段からこんな遅くまでどこの部活も練習しているんだな、と後ろを振り返り、他人事のように少しだけ感心。明日から、わたしもそのメンバーの仲間入りだというのに、やっぱりちょっと現実味がなくて



「家、どっち。」


「………。」


「きみの家を知ったところできみ自体に興味ないし、ぼくにも選ぶ権利があるし。だからさっさと教えなよ。」


「ちょ、それどういう意味!」


「夜に大声出さないでよ。近所迷惑でしょ。」


「うぐっ。」


「で、どっち。」


「………あっち。」



結果、負けたのはわたしで。渋々指を差す帰り道。月島くんはわたしの指の先を確認して、「行くよ」と一言。先程と同じく無言ですたすたと歩き出す。その背中を追いかけながら戸惑いがちに、「行くよって、何」と問いかければ、「ぼくの家もこっちだから」と簡潔な回答。ああ、そうですか。ていうかわたしが聞きたいのはそうじゃないんだけど

ビルなどの高い建物がなく、目が眩むほどの激しい光がないこの道では星がよく見える。平日、それも学校のある日にこんな遅くに帰ることなんてほとんどないからなんか違和感。それにさっきの会話から一言も話さない月島くん。沈黙が気まずい。一人で帰った方が楽だったなあ、なんて思いつつ、はあ、と溜め息を吐き出して、なんと声を掛けていいものか迷う

共通の話題、とかないし。ていうか、大体まともに話したのだって今日が初めてだっていうのに、話題なんてあるわけないじゃん!小島や影山なら同じクラスだから、よく話すし、共通の話題だってある。馬鹿話だって乗ってきてくれるけれど、月島くんはそういうタイプじゃなさそうだし

わたしはどちらかと言えば結構騒がしいタイプの人間かなと思うけれど、月島くんはもう見るからにばかと騒々しい奴は苦手そう、というか、嫌いなタイプだ。どうあっても、共通の話題なんて見つかりっこない。でも沈黙も辛い。どうすればいいんだ、とない頭で必死に打開策を考えるわたしの頭上から「ねえ」と聞こえてびくりと跳ねる肩。錆びたロボットよろしく、ぎぎぎ、と聞こえてきそうなほどぎこちなく首を回せば、ばちり、月島くんと目が合ってしまった



「何その顔むかつくんだけど。」


「イイエ、ナンデモアリマセンヨ。」


「……まあ、いいけど。あのさ。」


「何でございましょう…。」


「なんで、聞かないの。」


「は?何を??」


「…昼間の、こと。」


「忘れろって言ったの、月島くんじゃん。」


「確かに言ったけど。何、お人好しなの、きみ。」


「今すぐここで大声出して言ってやろうかしら…。」


「近所迷惑になるからやめなよ。」



ちょっとムッとしながら「別にそういうのお人好しとかじゃないと思うんだけど」なんて言い返せば、月島くんは「ふーん」と一言。その、ふーん、って何ですか、ふーんって



「ていうか、そんなこと聞いてわたしに何の得が?根掘り葉掘り聞くほど下世話な人間じゃないんで。」


「あ、そう。」


「そうですよー、だ。それに、あれだ。」


「何。」


「月島くんに興味ないし、わたしにも選ぶ権利があるし。」


「脈絡ないし。前の言葉と今の言葉全然繋がりないし。それが言いたかっただけでしょ。」


「あ、ばれた?」



誤魔化すように笑ってみれば、月島くんの口から溜め息。ちらりと随分と高い位置にある顔を覗き込む。さっきから見ていた意地悪そうな顔は、そこにはなかった。心なしか、落ち込んだ顔をしている。心なしか、っていうか、落ち込んでいるように見える


振られた、んだったよね。


今日一日ばたばたとしていて、忘れていたけれど、月島くんは今日好きな子に告白をして、振られたんだった。もしかしたら、ずっと無理をしていたのかな。なんか弱みとか握られるの嫌いそうだし、部活のメンバーにいつも通りって顔して。でも一人落ち込んでて



「月島くん。」


「何。」


「星、綺麗だよ。」


「……何、急に。気持ち悪いんだけど。」


「上向いて歩いてもいいよ。」


「は?」


「わたし、前向いて隣歩くから。」


「………あっそ。」



きっと、泣きはしないんだろうなあ、なんて思いながら放った言葉。月島くんは頭が良い。何といっても進学クラスの四組だしね。影山だったら「何言ってんだ、お前」と言いそうなことでも、わかってくれる。素直じゃない返答にわたしは仕方ないなあと笑いながら聞き流してやった。なんて寛大なんだ、わたしは

肩を並べて帰る帰り道。少しだけ歩幅の小さくなった月島くんの横をわたしは静かに、ただ前を見て歩いた



星明りの暗幕を引いた空にきみの溜め息。
たった一回だけ長く吐き出されて、終わり。


(あーあ、誰かさんのせいで首が痛い。)
(いや、自分のせいでしょ。)
(上見てろって言ったのきみでしょ。)
(強制はしてないし。)
(うるさい。)


減らず口、憎まれ口。やっぱりムカつくし、天邪鬼だ、こいつ。大して良くもない頭で考えて、人がせっかく気を遣ってやったっていうのになんて言い草だ。そうは思いつつも、あまり反撃してやらないわたしの寛大さよ。本当優しさの塊過ぎる。「はいはい、そうですね」と受け流して横をちらり。目は赤くないし、何考えてんのかわからん顔だし、表情全然変わんないけど、でも少しだけすっきりしたような感じのきみの顔。パンッと思いっきり背中を叩いてやればムッとした顔でこっちを見下ろしてくる顔にしてやったり顔で笑ってやった

あとがき
完全に上を向いて歩こう。