流れるままに。

どうやら見てはいけないものを見てしまったらしい。



「……そう。」



静かに呟いている相手の顔を見る。どこかで見たことある顔だって思ったら思い出した。うちの学校のバレー部でなんか女子から影ながらきゃあきゃあ言われてる頭が良くて高身長の…なんだっけ、ああ、月島…何とかくんだ。そんでもって、月島くんの目の前にいるのは、可愛らしい女の子。なんかこの子も有名だったような?

誰だっけ、と思いながら二人のやり取りを聞く。べつに聞きたくて聞いているわけではない。たまたま屋上で昼寝をしていたら、二人がやってきてそれで



「だから、ごめんなさい。」


「急に、こんなこと言ってごめん。」


「ううん。あの、わたし、先に戻っているね。」


「ああ……うん。」



ぱたぱたと上履きを響かせながら走り去る女子。取り残された月島くん。なんかよくわかんないけど、落ち込んでいる様子。白々しくもよくわかんないとか付け足してみたけど、本当はその落ち込んでいる理由はばっちりこの目で見て、聞いてしまっているのだけれど

壁に背を預けて、溜め息を一つ吐き出して上を見上げた月島くん。そして、それを見下ろして見ているわたし。当たり前のように、ばちり、と目が合って。やばい、隠れなきゃと思った時には手遅れ。みるみるうちに真っ赤になった月島くんと、本当タイミング悪いし、気まず過ぎるなんて苦笑を漏らすわたし。妙な空気が流れてどうしよう。べつに盗み聞きしたわけじゃないとかなんとか言おうとしたけどそれよりも先に月島くんが口を開く



「ちょっと、趣味悪いんじゃない?」


「いや、そっちが勝手に。」


「まあ、何でもいいんだけどさ。」


「え、あ、うん。何でもいいんだ。」


「今見たことは今すぐ忘れて。ていうか、お前は何も見てない。いい?わかった?返事は。」


「はあ。」


「忘れてなかったら…どうなるか、わかるよね?」


「はあ…。」



わたしが見下ろしている体制なのに、なぜか月島くんに見下ろされている感。そんな変な感覚を体でひしひしと感じながら、もしかして脅されてる?なんて頭の中は以外と暢気なもんで。口からこぼれた相槌を了承と受け取った月島くんは、何ともまあ、こんな太陽燦々輝く真っ昼間にも関わらず底知れぬ闇を含んだ素敵な笑顔で「それじゃあ」とここを出ていった

ばたん、と閉まった屋上の扉。その音が屋上に響き渡る前に、わたしは一人空を仰ぐようにまたごろりと横になる。空は青いなあ。雲はなんであんなに白くて自由なんだろう、なんて馬鹿みたいなことを考えながらただ時間を浪費するだけなのに



「なんか、とんでもないもの、見ちゃったなあ。」



いつもなら、そんな時間のはずなのに、頭の中はさっき目の前で起こった出来事に占拠されてしまっている。忘れろ、なんて言われたけれど、当たり前のように忘れられるはずもなく、鮮明にリピートされる映像。付随するあの月島くんの声

クラスメイトでも何でもない、月島くん。ただ同じ学校の、同じ学年の人っていうだけ。わたしが一方的に月島くんのことを知っているだけ。だってなんかバレーボール部って目立つし、それに、何より月島くんのあの身長だ。同学年、いや、学校内でたぶん一番でかい。あれはどこにいてもよく目立っていたから



「サボる気分じゃなくなった。」



よっ、と先程横たわらせたばかりの自分の体を起こす。伸びを一つして、ついでに溜め息も出しておこう。目尻に少しできた水溜まりを拭ってわたしは勢い良く屋上の扉の前へと降り立った。着地が上手くできなかったらしい。足の裏がひどくじんじんする。ああ、やっぱり今日はついていない

がちゃりと回すドアノブ。仕方なしに教室へと向かう足。階段を一段ずつ降りて、一年生の、自分の教室へと向かう途中で、聞こえた声に思わず足を止めた



「何だったの、月島くんの呼び出し。」


「えー?それ聞くー??」


「まあ、普通に考えて告白?」


「うん、そーなの。」


「えー、いいなあ。月島くんかっこいいじゃん。で、なんて答えたの?」


「振ったー。」


「はあ?!なんで!」


「まあ、確かに身長高いし、顔好みだけど、別にそれだけじゃん?しかもバレー部でしょ。ありえないって。」


「え、あの月島くんだよ?振るなんてそんな勿体ないー。」


「それにほら、わたしに釣り合わないっていうか、ね。わたしの隣を歩くからには、わたしを引き立ててくれるような存在じゃないと困るよねえ。」


「何それ!どんだけよー。」



これは、何ともまあ。


聞いてはいけない会話だったな、と思っても後の祭りだ。もう耳は繰り広げられた会話をばっちり集音アンド録音済み。さっき、月島くんが告白をした相手の子とそのお友達らしき女の子たちがこちらに向かってくる。隠れなきゃ、と思ったもののやっぱり出遅れた足。そして、ばったり遭遇

訝しげな視線をこちらに投げてくる女子たち。やってしまった、と思ったのも束の間、くすり、と月島くんの告白相手の子がわたしを見て笑った。あ、なんか感じ悪いなあ。まあ、別にいいけど、なんてわたしは気にもせずにその笑いを真っ向から受け止めてやると、それがどうやら面白くなかったらしいその子は少し苛立った様子で後ろを歩くお友達の足を急かしてこの場を立ち去る



「あ、わたしも急がないと。」



授業開始のチャイムが鳴ってしまう。彼女たちの後を追うかのようにわたしも急いで自分の教室へと向かう。「次、英語だし、サボるわ」なんて隣の席の小島に堂々と宣言していた手前、何だか恥ずかしかったけれど、まあいい。騒がしい教室にずかずかと乗り込んで自分の席にどかりと座る。案の定隣の小島はにやにやしながら「サボるのではなかったのですかー?」なんて茶化してくるけれど、無視だ、無視

小島の茶化しもチャイムに紛れて消えた頃、先生がやってくる。どうして英語はこんなにも眠いのか。始まって三分でシャーペンを机の上に転がした。日本人だぞ、わたしは。日本人のわたしに英語がわかるわけがない。地球人が火星人の言葉を理解しようとする並に無謀なことだと思っているのだけれど、そう思っているのはわたしだけではないはずだ。その証拠に小島はもうこくりこくりと舟を漕ぎ始めている


月島くんって、確か4組だったよなあー。


進学クラス、の。頭が良いんだなあ。でも、あの子のお眼鏡には適わなかったのかあ。あの子の隣を歩く月島くんって普通に余裕で想像できるけれど、あの子はどんな男の子だったら頷くのかな。満足するのかな。あ、そう言えば、何だっけ、あの子の名前。えーと、えーっと……



「前園さんだ!」


「おい、神内ー。お前廊下で授業受けたいかー?」


「あ…いや、あはは。すみませーん。」



笑うクラスメイト。怒る教師。そんな中でわたしはあははと愛想笑いを振りまいて、「怒っちゃやーよ!」なんて教師を茶化しながら真面目に勉強しますよアピールのためにシャーペンを握り締めた。何とか廊下でお勉強は免れたらしい。再度ぺらぺらと宇宙人のような言葉を話す先生にほっと胸を撫で下ろす



「神内ー。」


「んー?何、小島。」


「前園さんって、さっき言ってなかった?」


「小島知ってるの?」


「知ってるも何も、今年入った烏野の一年生マドンナじゃん。」


「マドンナとか…なんか古い。」


「うるせーよ。ていうか、何。前園さんと神内、なんか関係あんの?おれに紹介してくれるとか??」


「何でやねん。」


「とりあえず、そこ二人廊下行け。」



こそこそと話していたのに、教師というものはなんでこうも地獄耳なのか。いや、たぶん、教師が地獄耳ではなく、わたしと小島の声、特に小島の声が大きかったからバレたに違いない。二度目の注意に、「ルール的にはまだイエローカードですよね!」と何とか必死に二人で謝って廊下学習回避。廊下は寒いもの。立ってるのもだるいし、英語の授業は嫌だけど、座れるだけここの方がましだ

月島くんのあの衝撃的場面を見てしまってからわたしはどうもついていない。何だ、疫病神か月島くんは、なんて思いながらわたしは窓の外の流れる雲を目で追った



物語は雲の流れるままに。
ゆっくりと始まるのである。


(神内、神内。)
(んん…ふわあ。)
(おはよう、神内。)
(……おはようございます、先生。今日も、いい天気ですね!)
(お前後で生徒指導室な。)


青い空に、白い雲。ゆっくり流れていくその様はまさに平和の象徴。時間はゆっくりと流れていく。ああ、いい天気だ。やっぱり屋上で昼寝でもすれば良かった。そんなこと、考えたことが間違いだった。気付いた時にはどうやらわたしは夢の中。名前を呼ばれて夢の中を気持ち良く彷徨っていたのに、無理矢理現実世界へと引き戻される。見上げた先にとても素敵な笑顔を湛えた英語の先生。ご機嫌ようよろしく、にっこり笑って挨拶をかましてみても、その顔には青筋ぴくり。口角も引き攣り気味。ああ、やっぱり今日はついていない。そう思わざるをえないほどの衝撃が脳天に駆け抜けた

あとがき
たぶん、この救世主は救世主じゃない。