お伽噺
夕暮れ時の坂ノ下商店。今日もあの人はいるだろうか、なんて胸を躍らせながら覗いた店内。彼は、烏養さんはいつも通りそこにいた。レジ台の近くに備え付けられた椅子に態度悪く座りながら、何やら難しそうな顔をして、片手にはいつものジャンプではなく、違うもの
気付かれないようにそっと店内に侵入。脅かしてやろう、と思ったけれど、烏養さんが手に持っているものが気になってしまって、結局普通に声を掛けてしまう
「あれ。」
「ん?おお。」
「烏養さん、何してるの。」
「読書。」
「読書ー?」
「何だよ、その奇妙なもんでも見るかのような目は。」
「いやだって。」
それ以上は、烏養さんの一睨みで口を噤む。そんな怖い顔しなくたっていいじゃん、とぶうぶう文句を漏らしつつ、わたしは烏養さんが座る椅子のそばにこつこつと靴音を響かせながら寄っていき、近くにあった椅子を適当に引き寄せて、烏養さんの手元を覗き込む。そこには文字がびっしりと羅列されていて、漫画かと疑っていたわたしは衝撃を受けた
「何読んでるの?」
「お伽噺。」
「お伽噺…?烏養さんが??」
「何だよ、文句でもあんのか。」
「いや、ないけど…どういう風の吹き回しかなって。そんなファンシーなもの読むなんて。」
「どういう意味だ、こら。」
「え、だって、烏養さんが自ら進んでそれを読むとは思えなくて…。」
「失礼なやつだな、本当。」
「いて。」
素直な言葉を吐露しすぎてしまい、烏養さんからチョップを一つ。いて、と言いながら、追撃を防ぐために、頭を押さえてガードをすれば、してやったり顔の烏養さん。ああ、もう、むかつく
いつだって、大人みたいな顔、して。
いや、大人なんだけれど。わたしより遙かに。でも、それでも、それを思い知らされるのは、癪だ。それでもわたしは結局、拗ねた子供みたいに唇を尖らせて、ぶうたれてみせたりして。そんなわたしに「仕方ねえな」とぽりぽり頭を掻く烏養さんは、やっぱり大人で
「先生から借りたんだよ。たまにはこういうのもいいってよ。」
「武田先生から?」
「そ。まあ、たまにはいいかって読んでただけだ。押しつけられ…いや、せっかく借りたしな。」
「へえ、そうなんだ。面白い?」
「あー…まあ、それなりに。」
「そっか。どれが一番面白い?」
「特にねえ。」
「えー、もう!じゃあ、今、何読んでるの?」
「あー…かぐや姫だな。」
「読んで読んで!」
「何でおれが。」
「いいじゃん、お願い。」
「はあ…仕方ねえなあ。」
近所の子供みたいにせがんでみれば渋々といった様子で、本を広げて、昔々あるところに、そんな切り口で烏養さんがお伽噺を読んでくれる。いつも通り不器用な語り口。ところどころ読みづらそうにしながらも、わかりやすいように読んでくれて。昔、絵本で読んだお伽噺とはまた違う話みたい。それは、烏養さんが読んでいるから?何か不思議だ
「めでたし、めでたし。」
あっと言う間にそう締めくくられた物語。全然めでたしじゃないのに。烏養さんはもういいだろ、なんて言いながらしおりを挟めてそっと本を閉じた
「全然めでたしじゃないよ。」
「お伽噺なんてそんなもんだろ。大体の話はめでたしめでたしで終わるもんだ。」
「世の中そんなに甘くないもん。」
「まあ、そうだなあ。お前の言い分もわかる。」
「わかる、けど?」
「めでたし、で終わる、そういうのは人それぞれだろ。」
例え、かぐや姫が帰って、おばあさんおじいさんが寂しくても、悲しくても、それでもめでたしだと烏養さんは言う。でも、わたしにはそれがよくわからなくて。だって、かぐや姫が月に帰ってしまって、誰が、めでたしだったのだろうか。お伽噺はいつだって第三者。じゃあ、誰に対して、どうして「めでたし」なんだろうかぐるぐる思考回路。唸り声を上げるわたしに、「仕方ねえな」なんて言って笑いながらわたしの頭をぐりぐり撫でる
「他の人にとってはめでたしではないかもしれねえけど、本人にはめでたしかもしれねえだろ。」
「えー、意味わかんない。」
「かぐや姫は月に帰った。おじいさんおばあさんは寂しい悲しい。でも、帰るべき場所に帰れたかぐや姫は?」
「めでたし?」
「そうかもしれねえな。だって、かぐや姫にも親がいたんだから。」
「うん…。」
「だから、めでたし、なんていうのは誰が決めるのでもねえんだよ。」
「…その人次第、ってこと?」
「そうなんじゃねえの?」
わたしの頭を撫で、小さく笑みをもらしながら、わたしの答えに及第点。ああ、なるほど。それなら、少しはわかるかもしれない。月に帰って行ったかぐや姫。それを見送ったおじいさんとおばあさん。わたしから見たらめでたしではない。けれど、他の人から見ればそれがめでたしの終わり方に映る事もあるんだ
今のわたしだって、同じだ。
きっと他の人から見たら、めでたしではないかもしれない。烏養さんを好きになって、振られて、それでも、わたしは性懲りもなく、烏養さんのそばにいて。そんなわたしを何だかんだで受け入れてくれる烏養さん。生温いお湯の中のような、そんな心地良さ
「じゃあ、わたしはめでたし、めでたし、だね。」
「ん?」
「だって、こうして烏養さんと出会えて、烏養さんとこんな風に毎日を過ごして。幸せだなあって思うもん。」
「お前は……まあ、だからってお前と付き合う気、ねえけど?」
「うぐっ…い、今言わなくてもいいじゃん!ばかばか!!」
「ははっ、バカバカうるせーな!」
やっぱり、めでたしではないかも。なんて弱気になりながらも、唇を尖らせていいもんいいもんと自分を守るための言い訳を紡ぐ。いいのだ、今は。きっといつか、こっちを振り向かせて見せるから、覚悟をしていればいい!そう、宣戦布告をするわたしに、烏養さんは笑いながら、「おう」と一言。大人びた顔で、わたしの頭を数回、ぽんぽん、と撫でた
きみと御伽噺の終わり。
めでたし、で終わる、そんな物語まで。
(さてと。)
(え、何。)
(何、じゃねえ。もう遅いから早く帰れ。)
(ひどい!)
(送ってやるから。ほら。)
「ひどい!」と言うわたしに、仕方ねえなあ、と頭をぽりぽり掻きながらあなたは言う。「送ってやる」なんて不器用な言葉を。その言葉を受けて、嬉しくなる。ああ、もう。嫌になっちゃう。きっと今わたしはあなたの思い通り。大人なあなたの思惑にまんまと乗せられてしまうお子様なわたし。少しだけ、落ち込みながらも、床に放り出されていた鞄を拾い上げて立ち上がろうとした時、「ほら」なんて言ってあなたがわたしに差し出す手。まるで、王子様だと思った。その手に手を重ねれば、わたしはお姫様になれるのだろうか。あなたの、お姫様に。そんな事を思いながら、考えた。めでたしで終わらせるには、この恋は大きく膨らみすぎてしまった、なんて。欲張りなわたしの物語は、きっとこの手の平から始まったんだ。
20240407-20240615 CLAP