掴まえる


「ふわあ。」


「すっげえ、ぶっさいく。」



欠伸がもれる。手で隠しもせずに盛大な欠伸をしているところをばっちり見られてしまった。ていうか、今、ぶっさいくって言ったな?



「なんだよ。」


「何でもない。うるさい、ばか。」


「なっ、ばかじゃねえし!」


「ばかだよ!赤点ばっかり取ってるじゃん。」


「うぐっ。」



痛いところを突いてやれば、言い返せない飛雄。良い気分だ。さっきのぶっさいく発言はこれで相殺してやろう、なんて。へへん、としてやったり顔で飛雄を見やれば、そんなわたしの顔が気に食わないと言った感じで、唇を尖らせながら、わたしの横へと腰を落ち着かせる。ぎし、と深く沈むソファ

ちらりと時計を見てみれば、もう夜が深くなる時間。こんな遅い時間まで飛雄が起きているなんて珍しいことだ。そりゃあ、わたしも欠伸がでるわけだ。ぶっさいくは余計だけど



「何。」


「何って何だよ。」


「だっていつもならもう寝てる時間でしょ。」


「いいだろ、べつに。」


「良くない。」


「何でだよ。」


「あんたが寝不足になったら日向くんたちに迷惑が掛かるんだからね。あと、授業中に寝て、成績はどん底よ。良いと思ってるの?」


「うっ。」



反論を許さないと言った態度で淡々と事実を突きつけてやれば、おばかな飛雄でもそれは痛いほどよくわかる現実で。何も言えない飛雄に、仕方ないなあ、と言いながらわたしは、台所に立ってマグカップ二つにミルクを注いで電子レンジに掛ける。便利な世の中になったもんだ。電子レンジ一つで色々調理は簡単。ホットミルクだってほらすぐに出来上がり

暖めすぎたミルクを片手に、あちち、なんて言いながらソファに戻って飛雄に差し出すマグカップ。お揃いの、色違い。飛雄がブルーで、わたしがピンク。ピンク色はあんまり好きじゃないんだけど、飛雄がこれがいいと言って買ってくれてから、このマグカップはわたしのお気に入りだ



「眠れない時はホットミルクがいいんだって。」


「おれは冷たい方が好きだ。」


「だろうねえ。あんたすぐがばがば飲むから。」


「う、うるせえ!」


「トリプトファンっていう成分が、眠りをよくしてくれるんだってさ。て、言っても、飛雄にはわからん話だろうけど。」


「それぐらいわかるっつーの!」


「え、本当に?まあ、わたしもさっき見たテレビの内容をそのまま言っているだけなんだけどねえ。」



さっき丁度やっていたよく眠れる術を披露してみれば、頭にいっぱいハテナを浮かばせながらも、よく暖められたミルクを啜る飛雄。冷たい方がいいと言うだろうなあ、とは思ったけれど、まさかそのまま予想の通り言われるとは、なんと単純でわかりやすい男なのか

会話もなく、しばらく二人でホットミルクを啜る。時計の秒針の音が、やけに大きく響く。急に飛雄がホットミルクの入ったマグカップをガラステーブルに置いて、わたしの肩に頭を預けた。さっそく眠くなってしまったのか、と横を見れば、目を瞑って無防備な顔が目の前いっぱいになって、どうしようも、なくなる


猫、みたい。


黒猫という表現がお似合いだ。さらさらと流れる飛雄の髪を梳きながらそんな事を思う。もう寝ようかな、なんて思っていたのに、これでは身動きが取れないではないか。文句や言いたい事はあるけれど、飛雄が珍しく甘えている事、また、気持ち良さそうに伏せられたまつげの長さに何も言えなくなって、困ったもんだ



「なあ。」


「んー。」


「お前、手、小さいな。」


「そりゃあ、飛雄に比べたらそうでしょうよ。女の子ですから。」


「背も小さいしな。」


「なっ。う、うるさいなあ。これでも今年3センチ伸びたから!」


「3センチとか自慢げに言える数字じゃねえし。」


「3センチをばかにしたな!じゃあ、飛雄は何センチ伸びたのさ。」


「あー…9センチぐらいじゃね?」


「さ、3倍…。」



どんだけ成長期。まだまだ伸びるんだろうなあ。ていうか育ち過ぎなのよ。嫌になっちゃう。わたしだって飛雄と同じぐらいぐんぐん牛乳飲んでるのに、どうしてこうも差が出てきてしまうのか


飛雄ばっかり、ずるい。


飛雄ばかりが、大人になっていくみたいで、ずるい。まあ、オツムはあんまりよろしくないし、その点で言えば、わたしの方がずっといいんだけど、でも。飛雄の方が、ずっと先を行ってしまっているようで、時々怖くなるんだ。わたしを置いていってしまうようで、ずっと先を行く飛雄が一人大人になっていくみたいで

身長だって、昔はわたしと同じぐらい、むしろ、わたしの方が大きかったくらいなのに、いつの間にか飛雄の方がずっと大きくなっていて。わたしが先にバレーボールを始めたのに、いつの間にか飛雄の方がずっと上手くなっていて。わたしばかり、置いて行かれている、みたい



「なんつー顔してんだよ。」


「うるさい。ばかお。」


「はあ?!」


「うるさい。」



口に出す言葉は同じ言葉。飛雄のボキャブラリーの少なさを責められない。でも、それ以外の言葉を紡ごうとすれば、なんだか変な言葉まで紡いでしまいそうで、怖くて。そんなわたしは知ったことではないといった態度の飛雄が、わたしの顔を覗き込む。飛雄の目を見たくなくて、急いで反らした顔。でも、それも飛雄の手のひらによって阻止される

そっとこちらを向かせるように、優しく、けれど、力強く引き寄せられて。ばちり、と目が合ってしまえば、吐露してしまいそうになる、唇を噛み締めた



「おい。」


「な。」



文句を言おうと思った。何よ、なんて言って、その後、文句を言おうと思ったのに、わたしの文句は、文句を紡ごうとした唇と一緒に飛雄に食べられて、霧散。甘い、ホットミルクの香り。その香りの甘さに、頭がくらくらとして



「おれはちゃんとここにいる。」



ばかじゃないの、そう言いたくても、言葉は紡げず。いつも文句ばかり言ってきた唇。飛雄が噛みついて、甘い香りを残すから、わたしの脳味噌はどうかしてしまったんだ、きっと。



「置いていかないで。」



こんなこと、言うつもりじゃなかったのに。


飛雄はどこか満足したような顔で、わたしの顔を引き寄せる。噛みついた唇の中に残る文句をミルクの味で溶かして、言うの



「じゃあ、ちゃんと掴まえておけよ。」



偉そうに。文句も何もかも飲み込まれた後のわたしに残されたのは、可愛くないわたし。うん、と素直に言えるわけもなく、ただわたしは飛雄の、わたしよりもずっと大きくなった体にしがみついた



きみを掴まえる手のひら。
きみが大人になり過ぎないように。


(えい。)
(ぐえ。)
(にしし。)
(おい。)
(自分が掴まえておけって言ったんでしょ。)


きみの言う通りにするのは、何だか癪で、わたしはきみの背中を力の限り締め付けてやれば、きみの口からまるで蛙が潰れたかのような鳴き声。その声におかしくなって、思わず笑えば、青筋を浮かばせたきみの引きつり笑顔が一つ。その顔にわたしは強がりを一つ。挑発的にその顔を見上げれば、上等だとでも言うかのように、きみの瞳に怪しげな光が差す。覆い被さるきみ。組み敷かれたわたし。まずい、なんて思った時にはもうすでに遅い。わたしの手のひらはきみ全てを掴んだまま、きみの唇から逃れられない。

20240303-20240407 CLAP

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