「久しぶりの休みなのに、結局わたしここに来ちゃうんだよなあ。」
まるで染み着いた癖のように、わたしはここに来た。来ても、みんながいなければ仕事なんてあるはずもなく。ただぼんやりと、静かな体育館を見つめて
あと一年と半分かあ。
長かったなあ、本当。入学したての頃。マネージャーとしてバレー部に入部することになるとは思わなかった。思えば、わたしがバレー部に入部する羽目になったのは、二口のせいだったと思う。嘘で二口に誘き出されて、気付いたらあれよあれよと言う間に入部していたし。一人では対応しきれないからと必死になって舞ちゃんを誘ったりしたな
体育館の中に足を踏み入れて、籠の中にあるバレーボールを一つ取り出す。ぽこ、ぽこ、バレー初心者特有の下手くそなオーバーハンドトスの音が静かなここによく響く
「へったくそ。」
「わっ。」
首が痛くなってきたな、と思いながらトスを続けていると突如体育館に響いた声にびくりと肩が跳ねた。声がした方を振り返れば、体育館の入り口に立つ見慣れた姿。二口だ。「何してんだよ」と二口に言われて、さっきの下手くそ発言を思い出したわたしは拗ねたように、「何でもない」と唇を尖らせて、またオーバーハンドトスを始めながら答える。それを見た二口は「可愛くない」と言って、こちらに向かって走り込み、驚いて避けたわたしのすぐ横でジャンプ。そのままわたしの上げたボールにスパイクを決めて体育館の壁に打ち付ける
「今日部活休みだろうが。」
「うん、知ってるよ。」
「知ってて、こんなところで何してんだよ。」
「何となく、ここに来ただけ。」
「ふーん。」
「二口は、なんでここに。」
「おれは篠山を探してたんだよ。」
「え?どうして?」
「監督からプリント。篠山に渡してくれって頼まれたんだよ。教室にいねえからここかと思って来ただけ。」
当たりだったな、と言いながらまたスパイクを決める二口。それから二口は跳ね返ってきた一旦ボールを置いて、体育館の入り口に放置されたバッグの中をがさがさと漁る。そこから取り出された少しよれたプリント
もう、人に渡すプリントくらいきれいに仕舞っておきなさいよね
端が少しぐちゃってなっているプリントを受け取りながら文句の一つでも言ってやろうと思ったけどやめた。まあ、わざわざプリントのために探してくれたわけだし、お礼と相殺してあげよう。ありがとう、と言って受け取るプリント。今年の夏の強化合宿についてのプリントだった
「もうすぐ合宿かよーっ」と言いながら舌を出す二口に思わず笑った。一年生の頃、合宿のメニューがすごくきつくて、合宿中何度か吐いていた二口を思い出す。冬の合宿では、体が慣れてきたのか、吐くことはなかったけれど、それでもきついのか「へとへとになっていたね」と笑うと、「嫌なことばかり覚えてんなよ」と言って頭をぐちゃぐちゃと撫でられたので脇腹にグーパンを一発お見舞いしてやった
「今年の一年も吐くかなあー。」
「何にやにやしてんの。」
「いや、コガネとか吐きそうだし面白れえなと思って。」
「うわ、嫌な先輩。」
「面倒な後輩が多いもんでね。心優しい先輩も意地悪になるってもんよ。」
「作並くん可愛いじゃない。きゅるるんって感じ。」
「きゅるるんってお前…引くわ。」
「そんな事で引くの?!ていうか、二口だって茂庭先輩たちから見たら面倒な後輩だよ!何言ってんの!!」
どこが心優しい先輩なんだ、本当。「意地悪で嘘吐きな先輩の間違いじゃないの?」なんて言えば、「お前は見る目がなさすぎだろ」って言われた。どういうことだ、本当。見たまんまでしょうが
少なくともコガネや作並くんの方が素直で二口よりいい子だと思うけど、なんて言えばものすごい顔された。「コガネなんて素直って言うよりばかに近いだろうが」と言う二口。ほら、バレーに直向きで可愛いじゃん、とか吸収力抜群だよねと言えば、「何も考えてないだけだろ」って返されて、確かに、と少し納得してしまう自分がいて笑った
「今年の夏合宿は海なんだね。」
「ああ。砂浜練習きついんだろうなあ。」
「ああ、あれね。日焼け対策しっかりしないと。」
「もう手遅れだろ。」
「何か言った?」
「いえ何でもありませぬ。」
ぐっと握り締めた拳をちらつかせれば二口が真顔で「何でもねえよ」と即答。まあ、しっかり聞こえてたんだけどね。仕方ないから許してあげよう
それにしても、今回の夏合宿は海かあ…遊びたいなあ。
「最終日、遊べる時間作ってくれるって監督言ってたぞ。」
わたしの考えていることがわかったのか、それに対する答えを教えてくれる二口。「考えていること、よくわかったね」と言えば「お前と何年一緒にいると思ってんだよ」と返されて、なんか少し照れ臭い。それに加えて「顔に出過ぎなんだよ」と言われて、「そんなにわかりやすい?」と聞いてみたら二口に大きく頷かれて少し恥ずかしい
「遊べる時間があるなら水着持っていこうかなぁ。」
「はあ?やめとけやめとけ。」
「何。どういうこと。」
「お前、どの面下げてその寸胴晒すんだよ。」
「おい待てどういう意味だ、ゴラァ。」
「いや、だってお前その棒体……。」
「よし、二口。お前ちょっといっぺん死んでこい。」
笑顔で親指を地面に突き立てれば、「冗談も通じないなんて嫌な世の中ね」なんて肩を竦める二口。絶対冗談じゃなかったろ、今の。なあ。詰め寄っても「冗談ですよ?あ、冗談だって認めないと言うことはご自覚があると言う…」とか言い張る二口の脇腹に一発決めて、うずくまるその姿に少しすっきりした
確かにボン、キュッ、ボンのナイスバディとは言えないけどさあ
そんな寸胴寸胴言われるほど寸胴でもない…と、自分では思っている。そりゃあ、あんたらが見ているようないかがわしい本の中の人たちに比べたらわたしの体なんざ棒でしょうよ。でも、あれだからね。わたしだって平均値ゾーンにはいるんだから。高校生の女子なんてそんなもんだからね、たぶん!と自分擁護してみたり
「べつに二口に見せるわけじゃないもん。」
「やめとけって。いろんな夢を持った青少年たちが絶望するだろ。現実を見せてやるなって。」
「さっきからあんたは何なの!?」
「二口ですが。」
「ばかなの?!」
そういうことを聞いているんじゃない!もう、ばか。疲れた。なんか何もしてないのに疲れた
はあ、と溜め息を一つ吐き出して、拗ねたように唇を尖らせる。「いいですよーだ」と言って水着は諦めようと決意。べつに水着がなくても遊べるもんね。せっかくの海で水着が着れないのは残念でならないけれど、ここまで言われちゃあ仕方ない。Tシャツと短パンで我慢しよう
「篠山。」
「んー?」
濡れてもいいやつを何枚か持っていって、あとは合宿に必要なものでしょ、なんてもう合宿に持っていくものを頭の中で考えていると、急に二口に名前を呼ばれて顔を上げた。目がばちりと合ってなんだかちょっと照れ臭い
「水着着るならおれの前だけにしとけよ。」
「え?」
ちょっと待って、今、なんて言ったの?なんて聞き返してみれば、すかさず二口の言葉がわたしの動揺に被さって
「篠山の寸胴見ても何とも思わないのっておれくらいだろ!」
グッジョブポーズを決めて満面の笑みでそんなことを言いやがった。震える拳。こいつは本当に…ああ、もう
「いっぺん死んでこい!」
抑えきれなかったわたしの震える拳。逃げる二口。さっきのわたしの何とも言えない気持ちを返してくれ!!なんて、結局いつもの二人のお休みの日
きみの言葉で、ぐるぐる胸の内。
引っ掻き回されて、怒号。
(またあいつら何やってんだ。)
(小夜先輩たちはいつも楽しそうでいいっすね!)
(よし、おれも篠山を揶揄ってこよう。)
(回し蹴りが飛んできますよ…。)
(なんでおれだけ!)
きみの言葉にいつも振り回される。嘘も、何もかも、鵜呑みにするわたしはいつでも、きみの言葉にわたしの心をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されて。反応しなければいいのに、パブロフの犬みたいに、そこにある言葉に条件反射で反応して。まるで一種の病気のようだ。きみの言葉に特別な意味なんてない。あるはずがない。わかっている。だって幼い頃からずっとそうだった。わたしの心を掻き乱すだけの、ただの無意味な言葉たち。だって嘘なんだから。それでもわたしは浮き沈みするこの条件反射をやめられない。
二口はまるで素直になれないガキ大将気質だと思うのだが、どうか。そして何の脈絡もなく合宿初日の話から話が飛ぶという…