04
整備の行き届いていない舗道でガタガタと鳴る愛車に、毎度いつ壊れるかビクビクしながら走る。しばしその恐怖に耐え抜いて走って行けば、まさに店名の通り、そこは坂道の下にある、古き良き店構えが見えてくる。お店の前に車を寄せて、ハザードランプを点灯。停車した車から降りて、カラカラと鳴るドアを開けた「お邪魔しまーす…おばさーん?」
しんと静まり返っている店内。奥の住居スペースで僅かにテレビの音がするのが聞こえて、ゆっくり音の発信源に近付いて、もう一度声を掛けてみようかと思った矢先、タイミング良くスッと開いた扉にびくりと肩が大きく跳ねた
「かさねちゃん…?!」
「あ、あの、ご、ごめんなさい。急にっ。」
「あ、いや、大丈夫よ。ごめんね、びっくりさせちゃったわね。」
「いや、あの、こちらこそ…。」
良かった、思ったよりも元気そうだ。
お互いにぺこぺこと頭を下げあって、思わず漏れる笑い声。ここ数日、繋心のことでひどく疲弊していたようだったけど、おばさんの笑顔が見れたことにホッと一安心。安堵の息を吐くわたしにおばさんは「少し、お茶でもどう?」とテレビの音が響くリビングの方を指差してにっこり笑って言った。それに素直に頷き、仕事用の靴を脱いでお邪魔します
おばさんはお茶を入れるためにお湯を沸かすからと台所へ。わたしは我が家のような足取りでそのまま真っ直ぐリビングへと向かう。もう何度ここにお邪魔したことか。いつ来ても、温かく迎え入れてくれるおばさんとおじさんには頭が上がらない
「おー、かさねちゃん。おはよう。」
「おじさん、おはようございます。すみません、朝早くに。」
「大丈夫大丈夫。あいつが無理言ってお茶に誘ったんだろう?かさねちゃんも仕事があるのに悪いね。」
「あ、いや、それは全然。わたしもおばさんとお茶したかったので。誘ってもらえてとても嬉しいです。」
「やだー、もうかさねちゃんってば嬉しいこと言って!かさねちゃんはもうウチの娘みたいなもんだから、いつでも来て。ね?」
「…ありがとうございます。」
リビングで新聞を見ながらお茶を飲んでいたおじさん。ぺこりと挨拶をしながらテーブルを挟んでおじさんと向かい合わせに座る。二言三言会話を交わしている間にお茶を入れてくれたおばさんがリビングに戻ってきて、わたしの前にとんと置く湯呑。熱々のお茶がそこには入っていて、もくもくと湯気を立たせていた
いつでも来てね、というおばさんの言葉に、頷くことを少し躊躇う自分がいて。でも、ここで黙っているのもおかしく思われるかもと考え、何とも微妙な間を残しお礼を一つ。それでも何も言わずににこりと笑いながら頷いてくれるおばさんはやっぱり優しい人だなと思った
「かさねちゃん、ちゃんと寝れてる?」
「あ、はい。」
「本当?朝早いし、体力も必要な仕事なんだから、ちゃんと寝ないとだめよ?それと朝ご飯もちゃんと食べた?」
「おいおい。かさねちゃんもいい大人なんだからそれぐらい自分でちゃんとするだろ。本当口うるさくて悪いね。」
「ふふっ、繋心はおばさんに似たんですね。全く同じこと、繋心も言ってました。」
ちゃんとした睡眠に、ちゃんとした食事を。無理をするといつも口うるさく怒ってくる繋心。まるでお母さんのような言動だなと思っていたけれど、おばさんに同じように言われて育ったからだろうか。繋心に言われていたことと全く同じことをおばさんにも言われ、さらにその言動にまたかとげんなりしているおじさんがわたしと重なって思わず笑ってしまった
ああ、ここはいつだって温かいな。
おばさんも、おじさんも、この空間も。血の繋がりも法的な繋がりも何もないのに、まるで家族のように迎え入れてくれて、その温かさに心地良さを感じてずっと浸っていたくなる。そんな自分の甘えた考えを否定するかのようにテレビの時報が現在時刻を告げる。ああ、早く店に戻らないと。そう思いながら、目の前に置かれた湯呑のお茶を一口啜り、カラカラに渇いてしまった喉を湿らせてから、意を決して口を開いた
「あの、繋心のこと、なんですけど。」
言葉を吐く度に震える唇。それでも一音一音、丁寧に言葉にしていく。おばさんとおじさんはただ何も言わずにわたしを真っ直ぐ見据え、言葉を待ってくれて。そう、ただ、じっと待ってくれていた
「先生に聞いたかも、しれないんですけど、その…繋心の記憶が、ちょっと。」
「うん。」
「あ、いや、おばさんやおじさんたちのことは大丈夫だと、思うんです、けど…あの、わたしのこと、だけ…えっと。」
「…うん。」
「忘れちゃった、みたいで。」
声が震え、思わず俯く。言いたくないと思った。伝えたくないと思った。それを自分の言葉にしてしまうとそれがひどく現実味を帯びてしまうから。もしかしたらもうここにこうやって来れないかもしれない。それでも、おばさんやおじさんには自分の言葉で伝えたいという矛盾。葛藤している胸の内を察してか、おばさんがわたしのすぐ隣に来て、「もう、ばかね」と言いながら小さく震えるわたしの肩を抱き寄せた
「大事なかさねちゃんを忘れた馬鹿な繋心が悪いのよ。何もかさねちゃんがそんな風に思い詰める必要なんてないわ。」
「そうだ、一発殴ってやれば思い出すかもしれん。」
「え。」
「そうね。我が子ながら頭の出来はあまり良くないのよ。本当残念よねえ。ちょっと一発脳味噌に直接刺激を与えてやればケロッと思い出すかも。」
「え、え。」
「まあ、それは冗談だとして。これだけははっきり言っておくわ。かさねちゃんが思い詰める必要はない。」
「おばさん…。」
強い響きで繰り返されたおばさんの言葉。その言葉に胸がグッと締め付けられて、思わず泣きそうになった。笑わなくちゃ、と思うのに、そう思うほど歪んでいく視界で、目に堪る何かがなんとか零れ落ちないように、目頭に力を入れれば、なかなか定まらないわたしの表情におばさんが「もう、そんな般若みたいな顔して」と言って笑った
「面会にはわたしたちが代わりに毎日行くから。」
「はい。」
「繋心の様子はちゃんと知らせるから。」
「ありがとうございます…っ。」
「今はかさねちゃんに我慢させちゃうけど、ごめんね。」
「そんな!」
「もう少ししたら退院できるみたいだから、それまでの辛抱ね。」
「はいっ。」
良かった。退院、近いんだ。
おばさんの言葉に大きく頷いて、ホッと息を吐き出す。会いに行けない現状はひどくもどかしいが、繋心が快方に向かっていることが知れるのはとても嬉しい。今はそれだけで、頑張れる。何事も焦るのは良くない。繋心もよく言っていた。焦って何かを成そうとするなって。大丈夫、ここに来るまでのわたしの中の繋心は、消えていないから
少ししんみりとしてしまった空気を断ち切るようにおばさんが「ほらほら、かさねちゃん、お店の開店間に合わなくなるよ!」と言ってわたしの背中を押した。ちらりと見た時計の針はもうお店に戻らないと開店に遅れてしまう時間。居心地の良さに少し離れがたくなってしまうけれど、お店を開けないわけにはいかない。すっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干して立ち上がり、おじさん、おばさんに向き直ってぺこりと頭を下げた
「気を付けてね。」
「はい!」
「あ、そうだ。かさねちゃん、これ。」
「これ…?」
「おにぎり。ちゃんと朝ご飯、食べなさいね。」
「……ありがとうございます!」
ばたばたとお店に戻る準備をするわたしをおばさんが呼び止めて、ずいっと差し出された紙袋。首を傾げながらそれを受け取り、きょとんとした顔でおばさんを見返せば、やれやれと肩を竦めたおばさんが紙袋を指差して「おにぎり」とちょっとのお小言を。どうやらやっぱり朝ご飯を抜いたのを見抜かれていたらしい。紙袋の中を覗き込めば、そこには少し大きめのおにぎりが二つ並んでいて、女性が食べるには多すぎる量に笑ってしまったけれど、その心遣いがひどく胸を熱くて、告げるお礼の声が大きくなった
わたしがおじさんとおばさんを元気づけに来たつもりだったのに。
逆に元気づけられて、その上、朝ご飯まで。ああ、しゃんとしよう。朝ご飯を食べて、ちゃんと働いて。お昼ご飯も、夜ご飯もきちんと摂って。そして、ちゃんと寝よう。そう、毎日をちゃんと過ごして繋心がわたしを思い出した時に、怒られないようにしないと
「それじゃあ、行ってきます。」
「はい、行ってらっしゃい。」
ばたんとドアを閉めて乗り込んだ車。助手席側の窓を開けておばさんに手を振る。おばさんが手を振り返してくれたことを確認して、アクセルを踏み、ガタガタと走り出す。助手席に鎮座する紙袋の中から立ち込める炊きたてのご飯と海苔の匂いに、ぐうぅ、とげんきんなわたしのお腹が鳴った
内臓はきみを欲している。
わたしよりも素直な胃が口を開けて待っている。
(おいかさね、飯食えって。)
(無理!もう出ないと間に合わない!)
(はあ…待て、かさね。)
(ん?)
(おにぎり。持っていけ。)
手渡された大きすぎるおにぎり。ずしりとした重みもあって、お世辞にも形が良いとは言えないそれ。「えー…」なんて言って目を逸らすわたしに「ちゃんと食えよ?」と念押しするきみ。渋々といった様子で受け取り、頷いてみせたりなんかしたけど、本当は嬉しくて堪らなかった。素直になれなくて言えてなかったけど、本当に嬉しくて有難かったの。口うるさくて、まるでお母さんみたいなことばかりを言うきみが、どこか煩わしくて、でも、そこがとても好きだった。好きだったんだ。
あとがき
おかん気質な烏養さん素敵です!