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「あ、真緒ちゃん。」


「ごめんなさい。遅くなりました。」


「気にせんでええよ。」


「えっと…大丈夫でした?」


「勿論大丈夫やで!真緒ちゃんのおっちゃんたちと楽しくおしゃべりしとったわ。」


「そうよー。あんたもうちょっとそこらへん徘徊してきたら。丁度盛り上がってたところなんだから。」


「なんだ、この母親。」


「いやねえ、この娘は。反抗期かしら。」


「何だと!」


「まあまあ…あれ、真緒ちゃん。ぐんぐん牛乳はどしたん?」


「え、あ…丁度、飛雄と会って。」


「飛雄くん来てたの!?お母さんまだ会ってない!!真緒、ずるいわよ!!」


「もうやだ、この母親。」


「あははは。」



父の笑い声が響く病室。全然笑いごとじゃないんですけど、と思いながら、やれやれと肩を竦めて溜め息を落とす。それを見て、宮さんが目を細めて笑っていて、何だか恥ずかしい。自分の家の騒々しさを人に見られるのは何とも言えない気持ちになるもんだ

いつも通り騒々しい母は放っておいて、宮さんが腰掛けているスツールの横に、病室の端に置いてあったパイプ椅子を引っ張り出して腰掛ける。床に落ちていたわたしの鞄を拾い上げてお財布を取り出し、宮さんに「コーヒー代です」と言って1000円を差し出せば、「ええから」なんて言って押し返されるそれ。驕ってもらうつもりなんてなくて、むしろ車を出してもらった手前、宮さんの分もわたしが出すつもりだったのに。ずいっと再度差し出しても「ちょっとは察してくれへん?」なんて言われて結局受け取ってもらえない。ものすごく解せないんだけど



「あ、真緒。」


「何?」


「本当に今日、帰るの?」


「帰るよ。月曜日に仕事あるし。」


「今日土曜日なんだから、明日帰れば問題ないでしょ。たまにしか帰って来ないんだから、そんな急いで帰らなくたって。」


「いや、でも明日練習あるし…。」


「練習?」


「宮さん。バレーチームの練習あるから。わたしも、手伝いに行かないといけないし。」



確かに仕事だけであれば、明日帰っても問題はないんだけど…。


今日はたまたまオフだっただけで、明日はオフではなく丸一日練習日になっている。わたしの用事で宮さんを休ませるわけにもいかないし、送ってもらった手前、わたしだけ残って宮さんだけ帰らせるなんてできるわけがない。それに、仕事は月曜日とはいえ、今日泊まって明日帰ると体力的に辛いものがある

それでも諦め悪く「泊まっていけばいいのに」と食い下がろうとする母に困って、隣にいる宮さんに視線を送る。「ね?宮さん」と言って同意を求めるわたしに思案顔の宮さん。わたしと母を交互に見遣り、「そうやねえ」と困ったように笑って、「ほらね」と母に向かって言いかけたわたしの言葉に被さるように宮さんが口を開いた



「それなんやけどね、真緒ちゃん。」


「何ですか。」


「真緒ちゃんは、今日泊まっていきや。」


「え、でも。」


「おれは練習あるから一緒に残られへんけど、自分は明日休みなや。」


「それじゃあ、宮さん一人で帰ることになるじゃないですか。それに急に休みなんて迷惑掛けちゃうし。」


「ええって、それは。おれが好きでしたことやし。それにこういう時は迷惑なんて考えんと、チームを頼り。な?」


「うっ……はい。」


「チーフマネージャーには自分から連絡しときや。おれから言うんは変やからな。」


「あ、はい。」



申し訳なさで小さくなるわたしに、「ええ子や」なんて言ってわたしの頭をぽんぽんと撫でる宮さん。小さな唸り声を上げて、唇を尖らせてハッとする。俯かせていた顔を上げれば、ばちりと両親と目が合って気まずい。慌てて、わたしの頭に置かれた宮さんの手を避けて「子供扱いするのやめてください!親の前で恥ずかしい!!」と言えば、宮さんは「ハハッ」と笑って「ツンか」と言いながら手を引っ込めた



「宮くん、悪いね。」


「気にせんといてください。真緒さんにも言いましたが、おれが好きでやってることなんで。」


「ふふ。」


「お母さん、何。気持ち悪い。」


「本当に可愛くない子ねー!」



宮さんを見ながらうっとりとした顔でこちらを見てくる母の笑顔の気持ち悪さよ。思わず率直な感想が口からぽろり。それにムッとした顔で怒る母に「可愛くなくて結構だし!そもそもここ病室だよ、うるさいよ!」と言い返せば、うるさくしていた自覚はあるのか、ぐぬぬ、と押し黙るお母さん。その顔が面白くてつい笑ってしまった

しばし他愛もない会話を続け、キリのいいところで宮さんが「ほな、おれはそろそろ」と言い、スツールからスッと立ち上がる。宮さんに続いてわたしも立ち上がり、二人に向かって「見送りに行ってくるから」と声を掛ければ、宮さんが「見送りなんてええって」と言ったけれど、首をぶんぶんと横に振って「拒否を断固拒否です!」と言い返したわたしの言葉に「何やそれ」と言って笑った。宮さんはやれやれと肩を竦めてわたしを一瞥した後、父と母の方を振り返り、「お大事にしてください」と言って頭を深々と下げる


意外と、礼儀正しい、んだよね。


その姿を見ながら、失礼にも感心したりして。普段はチャラチャラと無理強いしてきたり、失礼の多い人だけれど、こういうところ、ちゃんとしている。宮さんだけじゃなくて飛雄も、そうだ。体育会系だから、上下関係がしっかりしているのかもしれないけれど、こういった時にスッとそういうことができるのはやっぱり育ちの良さが見えて感心してしまうな、なんて思った

宮さんと二人、父の病室を抜け出し、エレベーターホールに向かうため肩を並べて歩く。本当にわたしだけ残っていいのだろうか、と今更ながらに引っ込んでいた申し訳なさが戻ってきて隣を歩く宮さんを見上げれば、そんな視線を受けてわたしの思考を感じ取ったらしい宮さんが困ったように笑いながら「真緒ちゃんが乗ってたって、隣で寝とるだけやろー?」なんて意地悪発言



「そ、そんなことないですよ!ペットボトルの蓋開けたりしたじゃないですか。」


「蓋ぐらい自分で開けれますー。」


「み、道案内とか。」


「カーナビあるし。」


「…話し相手とか。」


「寝とったのに?」


「………寝言で!」


「ぶっ。自分寝言で会話できるんか!面白過ぎやろ!!」


「で、できるに決まってるじゃないですか!当たり前ですよ!!」


「そうなん?じゃあ、ぜひおれのベッドでも披露して欲しいわあ。」


「嘘です、ごめんなさい。勘弁してください。」


「おい、こら。」



思わず突いて出た言葉に一段と低めの声を発しながら、ガシッと掴まれる頭部。ギリッと力を込められて締め付けられれば、痛みでじわりと涙が滲む。「わたしの頭はバレーボールじゃないですよ!」と涙目で訴えれば、「ああ、なんや自分の頭がええ形しとったから勘違いしてもうたわ」なんて言いながら、仕方ないといった様子でパッと手を離してぎりぎりと締め付けられていた頭部が解放された

まだじんじんする頭を押さえながら恨めし気に見上げた先の宮さんと目が合う。「堪忍な?」と言いながら、先程まで痛めつけていたその手でわたしの頭を撫でて眉尻を下げて笑う顔に言い返す言葉を見失った。そんなわたしに構わず先に進む宮さん。いつの間にかエレベーターホールに着いて、足を止める。エレベーターのボタンを押して、しばし待つ時間の沈黙を破る宮さんの声



「真緒ちゃん。」


「何ですか。」


「…ちゃんと帰ってくるよな?」


「?何言ってんですか。家にちゃんと帰りますけど。月曜日に仕事あるんで。」


「ほんまに?」


「ほんまにって聞かれても…え、何、わたし自分の家に帰っちゃいけないんですか?」


「……ハハッ、確かに自分の家やし、ちゃんと帰ってくるよな。うん、そうやね。」


「え、何一人で納得してるんですか。意味わかんない。」


「えー?わからんの?」


「全く。」



訳のわからないままのわたしを放って、エレベーターがやってくる。開かれたドアに乗り込んで、宮さんが振り返り



「待ってるで。」


「あ、はい。」


「帰ってきたらネギトロ丼で。」


「は?」


「貸し、やからな。」


「さっき自分が好きでやったとか言ってたくせに…もう、仕方ないなあ。」


「ハハッ、楽しみやわ。」


「はいはい。早く行ってください。」


「真緒ちゃん。」


「はい。」


「好きやで。」


「なっ。」



すうっと閉まっていくドア。返す言葉もわたしも残されて、「もう」と唇を尖らせて発した小さな呟きだけがそこに落ちていった



言い逃げ常習犯の置き土産
突き返すこともできず、ただ受け止めることしかできない。


(何してんだ、こんなところで。)
(え、あ…飛雄。)
(そんなとこで突っ立ってたら邪魔だろ。)
(ごめん。)
(別に、いいけど。)


宮さんを連れて行ったエレベーターを見送って、残された言葉に困ったなと頬を掻き立ち尽くしていると、目の前のエレベーターが開き、そこから降りてくるきみの姿。目の前にやってきて、わたしを見下ろしながら放られた言葉にハッとする。確かにこんなところで突っ立っていては邪魔だ。素直に謝罪するわたしに何とも言えないといった表情で「別に」というきみ。宮さんのことも、自販機でのやり取りもあって、何となく、今きみと目を合わせるのは気まずくて、居心地が悪い。思わず逸らした目。視界の端で捉えたきみの顔。眉間に大量に刻まれた皺を見ながら妙な罪悪感に、わたしもつられるようにグッと眉間に皺を寄せた。

あとがき


たまにはセクハラ宮さんではない、シリアス宮さんに。
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