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がらりと開いた病室のドア。ドッドッとうるさいくらいに脈打つ心臓を押さえて中へと進み、カーテンの奥を覗き込んで、呆然。



「おお、真緒ー。急に帰ってきてなした?」


「は?……な、なしたじゃないしょやー!」


「会って早々うるさい娘だなあ。」


「うるさい娘じゃないよ!何、何で、え?どういうことなの!お母さん!!」



想像していた最悪な展開とはかけ離れた父の姿に、ベッド脇に置かれたスツールに座っている母を睨みつけて詰め寄り、その勢いのままに問いただせば、居心地悪そうに笑う母



「あ、ははは。ごめんね、真緒。わたし慌てちゃってさ。」


「だからってさあ!」


「仕方ないしょ!わたしだって職場に連絡来て、すぐに真緒に連絡したんだもの。病院着いたら緊急処置されてるって言うし!!」


「連絡寄越すとかしてよ!わたしがどんな気持ちでここまで…!!」


「まあまあ。少し落ち着こうや。真緒ちゃん、ここ病室やで。」


「そっ、そうです、ね。すみません。」


「ところで、真緒。」


「何。」


「こちらは、どなたかな?」



どうどう、と隣に立つ宮さんがわたしの肩を叩いてハッとする。熱くなり過ぎてしまった。声を荒げてしまったことに恥ずかしさを覚えて、萎む声。少し冷静さを取り戻したわたしを見たお父さんが「ずっと気になっていたんだけど」と前置きをした上で、隣に立つ宮さんを見ながらわたしに投げかける言葉にどきりと心臓が大きく跳ねる


わ、忘れていた…!


別に宮さんの存在を忘れていたわけではなく、関係性を聞かれる可能性をすっかり失念していた。今になって思うが、いくら取り乱していたとは言え、何で宮さんと一緒に帰ってきてしまったんだろうか。恋人でもないのに、こんなお父さんのお見舞いにまで付き合わせて。しかも、昨日飲み会で遅くまで飲んでいたのに、朝から仙台まで車で送ってもらうとか、アッシー扱いも甚だしい。答えに詰まるわたしを見兼ねて、宮さんがわたしの肩をぽんと叩き、一歩前へ、お父さんの方へ近づき深々と頭を下げる



「真緒さんの同僚の宮侑と申します。真緒さんには日頃大変お世話になっていて。」


「えっと、まさか同僚ってだけで、送ってくれた、わけではない、よね?」


「そこは真緒さん次第というか…今はまだ、本当にただの同僚、ですね。」


「そう、ただの同僚ね……真緒には、そういう人ができたんだね。」


「え?」


「あ、いや、何でもないよ。うん、そうか…わざわざ娘を送ってくれてありがとうございます。」


「いえ…真緒ちゃん、おれ、下のカフェにおるわ。」


「え、でも。」


「久しぶりに会うたんやろ。おれのことは気にせんと家族水入らずしときや。」


「あ…ありがとうございます。」


「すみません、おれは先に失礼します。」



先程と同じように頭を深々と下げて病室を出ていく宮さん。その背中を見送って、ぱたりと閉まるドア。それと同時にくるりと振り返れば、お父さんが困ったように笑いながら、頬を染めているお母さんにちらりと視線を送る。その姿を目にして、思わず溜め息が漏れた。


相変わらず、イケメン大好きね…。


昔からイケメンに目がないお母さん。中学の時に初めて飛雄を紹介して、前のめりになりながら飛雄に質問攻めしていたのを思い出して苦笑をする。早めに宮さんが退散したのは正解だったかも。もう数分遅ければ宮さんはあの日の飛雄のように質問攻めにされて大変だったろうな…。そんなことを思いながら肩を竦めれば、頬を染めて静かにしていたお母さんが宮さんがいなくなったことに今更気づいて、ハッとしたようにわたしを見遣る



「宮さんって素敵な方ねえ。真緒ばっかりずるい。」


「ずるいって何言ってんの、この母は。」


「まあまあ。今日は家に泊っていくのかい。」


「宮さんと家に泊まればいいじゃないの!」


「もう、何言ってんの、この母は。月曜日は仕事だし今日帰るよ。お父さんも無事…ってわけじゃないけど、命に別状はないみたいだし。」


「打ち所が悪ければ死んでいたみたいだけどね。」


「……本当に無事で良かった。」


「うん、また真緒の顔が見れてお父さんも嬉しいよ。」



不意に言われた一言にゾッとして、近くにあった父の手を握った。きちんと、温かい。ここに着くまで、最悪な想像をした。父のこの温かい手を、もう握ることはないんじゃないか、父の笑顔は見られないんじゃないか、って。そう思ったら生きた心地がしなくて、震えるわたしの手を宮さんはただ静かに握っていてくれた。不安を煽らないように、大丈夫だとかそういうことは一切言わず、ただただ静かに。病院に着くまで、ずっと。でも、きちんと温かい父の手を握って、やっと安心できた気がした



「真緒が離婚したら、こっちに戻ってくるもんだと思ってたけど、なかなか戻ってこないし。」


「それは…まあ、仕事、始めたし。派遣だけどね。」


「派遣でも仕事をしてるなんて立派だよ。で、宮さんは何をしている人なんだい。」


「会社では、一応、営業みたい。」


「会社では?会社ではって何だ。」


「そう言えば、どこかで宮さんのこと見たことあるって思ってたんだけど…宮侑ってあれじゃないの?日本代表の。」


「日本代表?何の。」


「飛雄くんと同じ、バレーよ、バレーボール。」


「またそんな近いところで…。」


「お父さん、違うから。本当、違うからね。」



言いたいことはよくわかる、よくわかるけども!


じとっとわたしを見てくるお父さんに居た堪れず顔の前でぶんぶんと手を振る。お父さんからしてみれば、一回失敗したのに元夫の近いところで何してんだという話だ。でも、わたしは派遣で行った会社がまさかブラックジャッカルのムスビイ社だって知らなかったし、宮さんとも偶然会ったし…自分からぐいぐい関わりにいったわけでない。まあ、どれもこれも言い訳、になるんだろうけども

それに宮さんとは、宮さんも言った通りそういう関係ではないし。確かに、ちょっとただの同僚、ではないけど。上手く説明ができない関係に戸惑う。そんなわたしを他所に、急にお母さんが「あーっ!」と顔面蒼白気味に声を上げて、わたしを見た。そして眉尻を下げて頬を掻きながら、申し訳なさそうに口を開く



「ごめん、真緒があまりにも電話に出ないからわたし飛雄くんに連絡入れちゃった…。」


「……はあ?!」


「だ、だって、真緒に何回も電話したんだけど、出なかったのは真緒じゃん!お父さんも救急の処置室に入っちゃったし…不安で。そしたら、飛雄くんこっち来てくれるって。」


「…わたしちょっと飛雄に電話してくる!」



近くに置いていたバッグを引っ掴んで病室を飛び出す。宮さんに借りっぱなしになっていたパーカーのポケットから携帯電話を取り出せば、物凄い数の着信数。確かにお母さんから何度も不在着信が入っていた。でも、着信履歴を埋め尽くしているのは、飛雄の名前で


何で気づかなかったんだ、わたしの馬鹿…!


着信の時間帯的に車に乗っていた時間だ。あの時は本当に頭が真っ白で、携帯が震えていたことに気づかなかった。とりあえず電話ができるところに移動しなくちゃ。病院内なので走ることはできず、早歩きでエレベーターホールへ向かい、一階を目指す。意味もなくボタンを連打して、ディスプレイに表示された現在位置を確認すれば1階から上がってくるエレベーター。1、2、3、4…と数字を刻んで、鳴る到着音。ゆっくり開いたエレベーターのドアに中を確認せずに急いで乗り込もうとして丁度降りてきた人とドンッとぶつかる。強かにぶつけた鼻を押さえて「ごめんなさい」と言いながら見上げた先の顔にギョッとした



「飛雄…!」


「真緒!…何だ、お袋さんと連絡ついたのか。親父さんは?」


「あ、大丈夫みたい…って、ご、ごめんね、お母さんが。」


「それは別にいい。そうか…良かった。」



ホッと胸を撫で下ろす飛雄の姿に申し訳なさが募って、何度もごめんと謝れば「いいって言ってんだろ。何回もうるせえ」と言いながら、そっぽを向いて、居心地が悪そうに頭の後ろをガリガリと掻いた。それでも申し訳なくて俯くわたしに「生きてんだから、それだけでいいんだ。だから、そんなこと気にすんな」と言って、不器用なその手でわしわしと頭を撫でるから、わたしはただ小さく「うん」と頷くことしかできなくて



「お前、新幹線で来たのか?」


「え、あ…実は、その。」


「あ、真緒ちゃん……と、飛雄くん。」


「み、宮さん。」



あ、これどこかで見たことある。なんて意外と頭は冷静に既視感を覚えながらも、体感温度が数度下がったエレベーターホールでただ一人息を呑んだ。



衝突する点
わたしの前で、ゆっくり、と。


(…宮さんと?)
(あ、うん。あの、車、出してくれて…。)
(へえ。)
(…飛雄くん、ちょっとええか?)
(はい。おれも宮さんに話があったんで。)


なんか嫌な空気だ。目の前で繰り広げられるやり取りに、声を出さず、口を開けて心の中で「うわあ」と発する。タイミングが悪すぎる。色々と。お母さんがきみに電話をしてしまったのも、わたしが電話に出た時、側に宮さんがいたのも。そして、今二人が衝突しているのも。お父さんのこと聞いた時とはまた違った音で心臓がどくどくといやに脈を打つ。二人でなんか話を進めちゃってるし、宮さんに「真緒ちゃんは先に病室に戻っててや」と言われて、止めようとしたわたしの言葉に被さるように「行ってろって。邪魔だから」ときみに言われて、ムッとするもそこまで言われては止める気にもなれず、仕方なく頷く。二人並んで屋上へ向かう背中を見送り、はあ、と止めていた息が口から漏れ出た。

あとがき


バチバチしてみましょう!
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