05
「いっ、たぁ…。」目を刺激する光。気怠い体を起こせば、ずきり、と痛む頭に思わず声を上げて、咄嗟にこめかみを押さえた。軽くこめかみを揉みながら、この痛みは昨晩の飲み会が原因だとすぐに思い当たる。ビールにワイン、その後何を飲んだのか全然覚えてないがチャンポンしてしまったことだけは確かだ
ていうか、わたし、あの後どうしたんだっけ…。
やけくそのようにめちゃくちゃに飲んだことはよく覚えているが、それ以降の記憶がない。頭がこんなに痛いということはだいぶ飲んだということはわかるけど、そもそもどうやってわたし帰ってきたんだろう……?!
「え、ここどこ。」
すっかり自分の家の気分でいたが、はっきりしてきた視界に映る景色。見渡した部屋に、見覚えはない。よく見れば、ベッドも家のベッドではない。家のベッドのカバーは飛雄と選んだアイボリーと水色の組み合わせで、ここにあるベッドのカバーは少し明るいグレー色だ
「ん…なんや…ああ、もう朝か……?」
「なっ、え、ちょ、え?」
「ふわあ…ああ、真緒ちゃん、起きたん…?おはようさんー。」
「おはようございます…って、違う違う!え、何、なんで、み、宮さんが、えっ、たぁ。」
「あー、二日酔い?」
思わず出た自分自身の大きな声に頭がずきりと痛む。こめかみに走った痛みに、起こした体を再度ベッドに沈めて、近くにあった枕に顔を埋める。鼻腔を擽る嗅ぎ慣れない匂いに、心臓が嫌な音を立てた。「二日酔い?」と欠伸混じり聞かれて、油を差してないロボットのようにぎぎぎと音が似合うくらいぎこちない動作で振り向けば、にこやかにわたしを見下ろす宮さんが目に入って、くらくらと目眩がした
なんだ、これ。
状況を把握しようとする頭を何かがストップをかける。ずきりと痛むこめかみを押さえながら、いやいや、この事態に目は背けられんと恐る恐る布団の中を確認する
「ひい。」
「ひいって何やねん。真緒ちゃん面白い子やなあ。」
「いや、あの、えっと、ええ?!」
「めちゃくちゃ混乱してんなあ。」
「いや、あの、なんでっ。」
「ふわあ…それ、この状況で、聞く?」
「それって!」
そういうこと?…そういうこと?!
いやいやまさか、ないない…それはないって……と否定したくても否定できない状況。よく見れば頬杖をつく宮さんの肩から腕まで布が見えない。どこからどう見ても素肌だ。布団の中で見た自分の姿と宮さんの姿を掛け合わせても、辿り着く答えは、そういうこと、だ
宮さんはけらけらと笑いながら真っ青になるわたしを見下ろし、また伸びを一つして起き上がる。がばりと布団がめくれて肩が跳ねた。ニヤニヤと「何見てんねん、えっち」なんて言いながら、ベッドの脇に落ちていたTシャツを手に取り、無造作にも頭からがばりと被って着ると、ジーパンを片手にわたしを振り返り「コーヒー飲む?」なんて投げ掛ける。ぎこちなく頷けば、ジーパンを履きながら、「しゃあないからサービスしたるわー」と手を挙げて寝室を出て行く宮さんの背中をただ見送った
「はあああ。」
深い溜め息を一つ。それと同時にずきずきと痛む頭を恨めしく思う。こめかみを揉みながら、ベッド脇に脱ぎ捨てられている自分の服を掻き集め、昨晩のことを思い出そうとするも、何も思い出せない。こんなになるまでお酒を飲んだことなんてなかった。初めての経験がこんなことになるなんて、と頭を抱えるも起こってしまったものは仕方ないとどこか諦め気分。不幸中の幸いは離婚して、独身だったということだけだ
もしこれが、婚姻関係継続中だったら…。
やばい、どころの話ではない。やらかしたなんて言えるもんでもない。最悪慰謝料やら何やら請求されて泥沼離婚だったに違いない。いや、でも、飛雄そこまでわたしに関心ないし、泥沼化はしなかったかもしれないけど。いやいや、そういう問題じゃないし。ていうか、今もそういう問題では、ない
赤葦さんの忠告通り、飲みすぎは良くなかった。そう後悔しても後の祭り。溜め息をもう一つ吐き出して、掻き集めた服に袖を通す。がっくりと項垂れるわたしとは裏腹に宮さんの楽しそうな笑い声と「コーヒー入ったでー」という陽気な声が響いた
「美味しい?」
「はい、どうもありがとうございます…。」
「完全にやらかしましたって顔しとるな、自分。」
「もう穴があったら入りたいほどすごく居心地悪いです。」
「はは、自分ほんま正直者やなあ。」
「はあ。」
宮さんが入れてくれたコーヒーを啜りながら、ずきずきする頭を押さえる。はあ、と溜め息を吐くたびに宮さんが楽しそうに笑っていて余計に居心地が悪い。どうやら二日酔いのわたしを気遣ってかテレビを付けずに新聞の四コマ漫画欄を読んでいる宮さん。それが逆に余計気まずいんだよなあと苦笑いを溢した
「あの、わたし、昨晩のこと、その、あんまり、というか…全く覚えて、なくて、ですね。」
「せやろなあ。」
「恥を忍んで聞くんですけど…どうして、こう、なったんでしょうか…。」
「こうって?」
「なんでわたし、宮さんの家に。」
「なんやそっちか。熱い夜を過ごした方かと思ったわ。」
「熱…?!」
「ははは。」
目を剥き出して絶句するわたしに宮さんは至極楽しそうに笑う。いや、笑い事じゃないんですけど、と思いながら溜め息を一つ。この人、絶対わたしのことからかって遊んでる…そう、わかっていながらも踊らされている自分にまた溜め息が漏れた。あー、やだやだ
ていうか、冗談なのか本当なのか、わからないし…
冗談だとしたらタチが悪すぎる。でも、状況は真実のようで冷や汗が止まらない。気持ち的にはコーヒーを飲んでいる場合ではないのだが、確かめずにはいられずに、一口コーヒーを啜って、こうして宮さんと対峙しているわけだが、自分が欲しい明確な回答はこの人から得られる気がしない。本当、嫌な人だ
「真緒ちゃんって本当思ってること顔に出んねんなあ。」
「そうですか?」
「うんうん。今すぐ帰りたい顔しとるし。」
「よくおわかりで…。」
「酔った勢いとか、そんな気にするもん?」
「いや、気にするでしょ…。」
「そんなんよくあることちゃう?お互い大人やし。」
「よくないし。少なくともわたしは。宮さんがどうかは知りませんけど。」
「えー、なんや冷たいなあ。」
「冷たくないし…ていうか、本当に、あの、やらかしてしまいました?」
「確かめてみる?」
「何を。」
「ヤッたかどうか。今から。」
「は?どうやってです…?」
「もう一回してみるとか?」
「いや、しないしない…何を馬鹿な。」
ていうか、もう一回、って。
どういうこと。え、本当に?まさか。ま、さかあ…嘘でしょ、と思いながら見上げた先の宮さんは面白い玩具を見つけた子供のように笑っている。「わたしは全然楽しくないですけど」と唇を尖らせれば、宮さんはそんなわたしも面白いらしく、けらけらと笑った。本格的に嫌な人だ
宮さんの反応からは何も読み取れない。本当かどうかなんてこの人から見抜くのは骨が折れる。読み取るのも二日酔いで頭痛がするこの頭では面倒に思えてきたので、早々に諦めてコーヒーをごくり一口。これ飲んだらすぐにお暇しよう、そうしよう。そして、とりあえず赤葦さんに連絡しよう。何か知っていたら教えてくれるはず、そのはず…
「そういや、飛雄くん今日家に戻ってるんやって。」
「…え。」
「それでも、家に帰るん?それともうちに泊まる?」
「いや、だからって泊まりはしないですけど。」
「でも帰りはしないんや。帰られへんもんねえ。」
「なんで、今日飛雄が家にいるって知ってるんですか…。」
「んー?飛雄くんが昨日言うてたから。」
「さよか…。」
なんてタイミング悪く帰ってくるんだ、あいつは。今まで全然帰ってこなかったくせに。いや、まあ、服を取りにくるぐらいはしていたみたいだけど
「わたしが宮さんのところにいるって飛雄は知ってるんですか…?」
「知ってるで。家に帰るから真緒ちゃんをよろしく言われたしなあ。」
「何それ。」
元だし、もう関係ないけど、それでもどこかで、少しは気にしてくれると思ってた。わたしだったら、やっぱり気に、なるし。飛雄がバレーしている分には別に気にならないけど、でも、ファンの女の子にきゃあきゃあ言われて、ファンサービスだってあるというのは理解しているが、それなりに気になる。ましてや、飛雄が女性と二人っきりなんて、気になって仕方がないに決まってる。でも、飛雄はそうじゃない、のか。
本当に、終わっちゃったの、かな。
離婚届を出した時点で終わっているのに、何を今更。でも、どこかで期待をした。少しだけ。これは終わりではなく、リスタートなのではないか、なんて。そんな些細な希望さえも、根こそぎ奪ってしまうその言葉に胸が痛くなって、涙を堪えるわたしに宮さんは、困ったように笑いながら「世話の焼ける子やなあ」と呟いた
突き刺さる言葉に膿む
お別れよりも、ずっと胸に刺さる言葉だった
(大体宮さんになんで飛雄が頼むんですか。)
(近くにいたからちゃう?)
(あほか。)
(まあ、飛雄くんらしいけど。)
(もう本当あほ、馬鹿。バレー馬鹿。むかつく。)
「本音ダダ漏れやなあ」と言って宮さんは笑う。笑いながら、わたしの頭をぽんぽんと優しく撫でてくるもんだから、わたしは舌打ちをしたくなった。こういう時に優しくするなんて、本当に嫌な人だ。強がって吐いたきみへの悪態が、段々と歪み始める。ぐにゃり、と歪んで、下唇を噛んだ。今何かを言えば、バレてしまう。震えた声で何かを言葉にすればきっとバレてしまうから、キュッと下唇を噛んで塞き止める言葉たち。鼻で溜め息を吐いて、真っ直ぐ見据えた先の宮さんは、困ったように笑って、「変な顔」なんて言う。失礼な人だな、そう思いながらも、きっとこれはこの人の優しさなのかも。泣かないようにしてくれてるんだ。そう思ったらやっぱりまた泣けてきて、心底この人は嫌な人だなあ、と思ったあとがき
影山はきっとアホの子やから、しゃあないんやで。