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自己嫌悪。自分で自分が嫌になる。なんか、もう、このまま消えてしまいたい、なんて思いながら膝を抱えて、なるべく自分を小さく収納。いい大人が仕事をサボって、何をしているのか。こんなことをしている自分に更に嫌気が差して、溜め息が出る



「あー…最悪だ。」



もう少し大人な対応ができなかったものか。


映像で思い出す、さっきのこと。そもそも医務室のドアを開ける前にノックをして声を掛けてから開ければ良かったんだ。それなのに、何の躊躇いもなく開けて、馬鹿か。いや、でも、まさか怪我してるし、キス、してるなんて思わないじゃん。あんなダバダバ鼻血出してたところにキスなんてしたら鼻血つくし。いや、何でこんなこと考えてるのか。あー、やだやだ。

医務室を飛び出してきてしまい、慌てすぎて救急箱を置いてくるのを忘れた。チーフマネージャーからのミッション失敗だ。失敗どころか職務放棄まで追加して。初めは給湯室に逃げ込んだけれど、誰かに見つかるのが嫌で、誰も使っていない真っ暗なミーティングルームに場所を移し、現在テーブルの下で体を丸めている。昔も、こうして逃げ込んだことがあった。あれは確か、中学の時だったな。中学三年の時。マネージャーなのに、何もできなかった、あの時。誰にも見つかりたくなくて、あの時はどっかの教室に入り込み、教壇の下で体を丸めていたっけ



「嫌な、女。」



いつからこんな嫌な女に成り下がった。いや、元々いい女かと言われるとそうではないんだけれど、昔はもっとマシだった気がする。飛雄と一緒だったあの頃は、まだ。でも、今の自分はどうだろうか?飛雄を責める、彼女を責める資格があるのか?ないじゃん。自分だって、宮さんと曖昧な関係になっているくせに、何を責められる。向こうの方が、きちんとしているじゃん。ちゃんと彼氏彼女の関係で、離婚したわたしは何も言える立場ではない。宮さんとのこともはっきりさせていないくせに、最低



「泣くな、馬鹿。」



そんなに自分を可哀想に演出して、どうする。


抱えた膝を拳でどんどん叩く。勝手に歪む視界に舌打ちをして、泣くのは違うだろ、と言い聞かせる。それなのに、全然歪みは取れなくて、膝の痛みも相まって余計にひどくなる。力任せに服の袖で目元を拭って、水気を取れば少しマシになる歪み。歪みがひどくならない内に、と顔を少し上向きにして目頭を親指と人差し指でギュウッと摘まんで深呼吸にも似た深い溜め息を吐き出す

脳裏にチラつく、あの映像。ドMか、わたしは。それとも、これはわたしの脳味噌が嫌な女に成り下がった自分への戒めとして見せているのか。



「要救護者、発見。」


「っ!?い、ったあ…!」



誰もいないはずのミーティングルームに響く一つの声。ハッとして、前を見れば、ヤンキーさながらの座り方でわたしを真っ直ぐ見据える宮さん。びっくりしすぎて、勢いよく体が跳ね、思いっきり頭頂部をテーブルの天板にぶつけて、脳味噌がぐらぐらと揺れた。心臓が飛び出るかと思うほど、激しく鼓動を刻んでいる。涙目で強かにぶつけた頭を抱えるわたしを見て、フッと小さく笑いながら宮さんが小首を傾げ、頬杖を着きながら口を開いた



「これ何プレイなん?」


「なっ、ぷ、プレイなんてしてないですよ!きゅ、急に、な、え、びっくりした…!!ああ、心臓痛い…頭も痛い…。」


「それはこっちの台詞やけどね。まさかほんまにこんなところにおるとは。」


「は?」


「みんな探してたんやけど。」


「え、あ…すみません。」


「で、ここで何してたん?」


「……別に、何も。まあ、強いて言うなら脳内ミーティングしてました。」


「テーブルの下でか!何してんねん…ちょっと邪魔すんで。」


「え、ちょ、ちょっと、え?!狭っ。」



「よっ、と」なんて言いながら、わたしの隣に置いていた救急箱を避けて、なぜか同じテーブルの下、肩がぶつかるほど、すぐ隣に潜り込んでくる宮さん。並ぶようにして、テーブルの下で座り込んで、宮さんは頭をぶつけないように大きな体を丸めて「なんちゅー狭いとこにおんねん、阿保か」と舌打ちを一つ。「いや、なんで一緒になって潜ってくるんですか、意味わかんないんですけど」と言えば、宮さんは「え、楽しそうやん。ミーティングするんやったらおれともしようや」とかさらに意味わかんない回答をくれて溜め息が出る。この人は、本当に、もう



「何かあったんか?」


「……何もないですよ。」


「はいはい、飛雄くん絡みやな。」


「宮さんのそういうところ、嫌いです。」


「ははっ、光栄やわあ。」


「いや、褒めてないし。」



みんなが探してくれているなら早く行かないと、と出ていこうとするわたしの頭を掴み、そのまま引き寄せて自分の肩に乗せ、なぜか頭をぽんぽんと撫でる宮さん。こういうことされるの、本当困る。滲み出す世界に、また、ちくりと胸が痛んで仕方がない。わたしの頭を固定する宮さんの手を退けて、やたらと近くにある胸元をグッと押し返すも、ガシッとその手を掴まれて、結局宮さんの腕の中に閉じ込められる体



「離して…っ。」


「嫌やけど。」


「セクハラですよ!」


「そんなん今更やろ。セクハラ上等や。」


「上等とか意味わかんないですから!」


「好いとる女が泣いてんのに、放っておく阿保な男はおらへんやろ。」


「ばっ、かじゃないですか!泣いてないですし!!」


「ほんま嘘吐きやな、自分。」


「っ。」



頬を擦る、宮さんの手。いつの間にか流れていた涙が、宮さんの手を濡らして。親指で優しく拭って、「証拠は挙がってんで」なんて茶化しているのに、困ったように笑って言うその顔。何それ、意味わかんないし。色々言ってやりたい言葉はあるのに、どれも口からは何一つ出てきてくれなくて。下唇を噛んで、眉間に皺を寄せる。そんなわたしを見て、宮さんはただ静かにわたしの背に回した腕にキュッと力を込める



「凄く迷惑。」


「はいはい。」


「宮さんなんか嫌いです。変態スケコマシセクハラ魔神だし。」


「ひっどい言い様やな!今日はいつにも増して当たりが強ない?!」


「人の唇を何だと思ってんのかってぐらい、勝手にキスするし。安売りしてないですよ、ふざけんな。」


「口悪っ。だって真緒ちゃんがしてほしそうにしてるんやもん。」


「なっ、し、してませんよ!した覚えないですよ!馬鹿ですか!!」


「関西人に馬鹿言うたらあかん言うてるやろ。」


「うるさ……はあ。困るんです、こういうの。」


「何でや。飛雄くんに悪いからか?」



飛雄に悪いか聞かれて、ドキッとする。悪いと思う必要もないし、そんな資格もない。頭を過った、さっきの光景にまた唇を尖らせている自分がいてひどく嫌になる



「……飛雄にはあの人が、いるし。わたしは、もう…関係ないし。」


「せやったら、何で?」


「わたしは、宮さんの彼女じゃ、ないです。」


「まあ、そうやね。」


「それなのに、こんなの困る。」


「付き合うたらええんか?」


「は?」


「おれはいつでもええで。今から真緒ちゃんがおれの彼女になっても。」


「いや、なりませんけど。ていうか、なんで若干上からなんですか。」


「秒で振るなや。」


「だから。」


「おれがしたいからしてる、じゃダメなんか。」


「え?」


「おれの好意をとことん利用する、ずるい女でええやん。」


「何それ人聞きが悪い。いつだって拒否してるのに無理矢理するの宮さんじゃないですか。」


「だから、そのままでええやん。」


「良くないですよ、全然。」



「宮さんのこと都合よく利用しているなんて、わたしが嫌なんです」そう言ったら、宮さんは少し驚いて、次いで意地悪な笑顔を浮かべながら「その割に、付き合うてくれへんとか意味わからんから、ちゅーしていい?」とかそれこそ意味のわからないことを言う。近づいてくる宮さんの顎をぐいぐい上に押し上げれば「ぐえっ」というくぐもった声と同時に、がんっとテーブルの天板にぶつかる音。


やばい、やりすぎた!


後悔したところで手遅れ。恐る恐る見上げた先に、強かに鼻とおでこをぶつけたらしい宮さんが、ぶつけた箇所を手で押さえながらわたしを睨みつけて、にじり寄ってくる。狭いテーブルの下。後退できる場所もなく、いとも簡単に捕まって、抵抗できないように抑え込まれる両手首。ばたばたと暴れるわたしに寄ってきて、またキスされる!と目を瞑ったわたしの頬に柔らかい感触。何が起こったのかわからないわたしの顔を見て、ケラケラ笑う宮さん



「今日はこれで勘弁したるわ。」


「いや、いやいや意味わかんないですって。」


「わかんないんやったら、口にしたろか?」


「すごくよくわかりました。ありがとうございます。」


「ははっ、元気出た?」


「…………出てなくはないです。」


「はいはい、可愛い可愛い。」


「うるさいですよ!」



「いつまでもここに篭ってたらええ加減襲いますよ」なんて言って、一足先にテーブルの下から抜け出し、「ほら」とわたしに手を差し出す。その姿が、あの日の思い出にリンクして思わず瞬きを繰り返した



鐘を鳴らしたのは。
今のあなたか、過去のきみか。


(そういえば、宮さん。)
(ん?)
(わたしがあそこにいるってよくわかりましたね?)
(あー…そうやな。)
(歯切れ悪!)


頬をぽりぽりと掻きながら、目をそらす宮さん。やましいことありますよって顔にでかでかと書いてあってこれ以上追及するのは少し可哀想に思えてしまう。「もう仕方ないなあ」と言って、それ以上は何も聞かない。助けてもらった事実は変わらない。それに何となく、察したのもあって。自分でも耐えられないぐらい嫌なことがあると、わたしがああいう場所に隠れるって知っているのは、一人しかいない。思い出したから。中三のあの日、迎えにきてくれた人影を。わたしの胸に一石を投じて音を鳴らしたのは、宮さんなのか、それともきみなのか。すっかり鳴りを潜めた胸に聞いても、うんともすんとも言わなくなった。

あとがき


宮さんはわざと聞かない男前。影山はただ聞いてあげる男前。そんな気がする。
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