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「で、そちらはどなた?」



問いかけられた言葉に、目が泳ぐ。どう答えればよいか、考えあぐねているわたしを他所にぐいぐいと飛雄の腕を引きながら、彼女がこちらに寄ってくる。飛雄の腕に絡められている彼女の腕。そこから伸びた手に、色とりどりの花のモチーフをあしらったネイル。なぜか、自分の爪を隠すように電光式スコアボードをグッと握り締める。何も言わない飛雄にまた下唇を噛み締めている自分がいて、嫌になる。



「このチームのお手伝いをしているんです。臨時マネージャーみたいなもので。」


「へえ、マネージャーさんなの。」


「臨時、ですけど。」


「でも丁度良かった!わたしね、今度のドラマでバレー部のマネージャー役をやるの。色々教えてもらえないかしら?」


「え、いや、あの、それならチーフマネージャーに…それに、わたしは臨時、なので。」


「チーフマネージャーさんって男性でしょう?男性スタッフさんじゃ参考にならないのよ。ね、お願い。」


「えっと、どうでしょう、わたしでは、何とも…。」


「あかん。」


「え?」


「この子、仕事多いし、そんなんやってる暇あらへん。」


「それならこっちにもちゃんと女性のマネージャーがいますから。そっちのチームに迷惑になるんで。」


「え、そう?影山くんが言うなら仕方ないなあ。」


「行くで、真緒ちゃん。」


「あ、は、はい!」


「わたしたちも行こっか。じゃあ、またね、真緒、さん?」



なんで名指し…?


よくわからないが、小さく頷いて先に行ってしまった宮さんの背中を追いかける。ちらりと後ろを振り返れば、なぜかロッカールームの方へ行く飛雄と彼女の背中。遠目から見ても、やっぱりお似合いな二人。身長差とか、プロポーションとか、女性らしさとか、色々。わたしにないものを、持っている。当たり前だけれど、だから飛雄は彼女が好きで、彼女と付き合っているんだと思い知らされて、すごくしんどい

ぐるぐるする頭のまま、宮さんと二人でアリーナに戻ると、明暗さんのお説教が飛んでくる。「どこほっつき歩いてたんや!すぐアップせな!」と二人で、というか主に宮さんが怒られ、ぺこぺこと頭を下げて謝り倒し、宮さんはアップに、わたしは電光式スコアボードをセット。そうこうしている間に、練習試合の時間が迫って、わたしは急いでドリンク作りをするために給湯室に走った



「真緒さん?」


「は、はいっ!?」



給湯室でドリンクのボトルを洗いながら、飛雄と彼女のことをつい考えてしまう。余計なことを考えている暇などないのに、頭の中を占有されて手がとまってしまって仕事にも支障が出ている。いけないとは思いつつも流れていく泡をぼーっと見ながら、家事やこのお手伝いの水仕事ですっかりカサカサになった指先を無意識に弄っていると、不意に背後から話しかけられて裏返った声で返事。聞こえた声に正直振り返りたくないと思いつつも、恐る恐る振り返れば、給湯室の入口ににこやかに立つ彼女の姿に、何とも言えないもやもやとした気持ちが蘇ってくる



「え、っと、何でしょうか…?」


「どんなことをしているのかなと思って。」


「あ、ドリンク作りをですね、してます。はい。あの、えっと…練習試合見学しなくても、大丈夫ですか?」


「勿論、後で見学しに行くけど。邪魔が入らなくて丁度いいし、今は、真緒さんと話したいなと思って。」


「わたしと、ですか?」


「そう。影山くんの元奥さん、なんでしょう?」


「えっ、あ、いや、えっと。」


「隠さなくても、もう知ってるから。」


「そうですか…。」



バレていたとは、めちゃくちゃ気まずいな。


だから、さっき名指しで言われたのかと理解した。わたしのことを知っていて、どなた、なんて聞いたんだ。そうだとしたら、試したのだろうか?わたしを?いや、たぶん飛雄、かな。何となく、そうじゃないかと直感する。やたらとぐいぐいくるな、と思ったらそういうことだったのか。なるほど

ドリンクボトルの泡を流して水切りカゴに入れたら、手についた泡を洗い落として水を止めた。シンクの引き出しの取っ手に引っかけていたタオルでサッと手を拭い、くるりと踵を返して、真正面から彼女のことを見据えると目に入るスラッとした体型。腰に手を当てて、モデルのポージングを見ている気分になった。真正面から見据えてしまうと、当たり前だが自分との違いを思い知らされて劣等感に苛まれる



「影山くんの元奥さんがどんな人か、一度見て、お話してみたかったの。」


「はあ。」



わたしと話してみたかった、と言われても、何を話したいと言うのだろうか。普通、彼氏の前妻なんて目障りだと思うんだけれど。彼女の真意がわからず、つい訝しげな目で見てしまう。そんなわたしに構わず、つかつかとハイヒールを鳴らしながらこちらに歩み寄ってきて、わたしを見下ろしながら、わたしよりも随分と高い位置にある顔を、かくん、と傾げながらにこやかに問いかけてくる



「影山くんとどうやって付き合ったの?」


「え?それって、どういう意味ですか。」


「えー、わかんないかなあ。だってあなた、影山くんと並んで立ってるところ自分で見たことある?ちゃんと客観視できてる??」


「はあ。」


「出来てないから付き合えたのかな?ねえ、釣り合ってないって自分で思わない?」


「……。」


「なのに、どうして付き合えたのかなあって思って。それに結婚までして。すっごく不思議なんだよね。影山くんにどう迫ったの?」



まさかこれは世に言う…マウント、というやつだろうか?


別にマウントしなくても、わたしなんかよりもずっと綺麗で、可愛くて、プロポーションも抜群で、飛雄に合っていると思う。それなのに、何でわたしはこんなにも追い詰められているんだろうか。そもそも、どうして付き合えたのかなんて聞いてどうするんだろう。嫌な気持ちにならないのかな。わたしだったら、絶対聞きたくない。元カノや前妻との馴れ初めなんて聞いていいことなんて絶対ない。断言できる

何がしたいのかさっぱりわからないまま、答えあぐねていると、一向に答えないわたしに対して苛立ちの募った彼女がさらに距離を詰めてきて、あと一歩で体が密着するというぐらいの至近距離に。まるで嘲るように鼻で笑って、わたしを見下ろす姿に、ぞわり、と背筋が凍る



「あ、こう見えて、床上手、とか?」


「は?」


「でも、あんまり上手そうに見えないけど。」


「はあ。」


「まあ、あなたが下手でも影山くんは上手だもんね?」


「えっ?」


「それに、わたしと影山くんって相性すごくいいと思うの。」



何を言われているのか、よくわからなかった。ぽかんと彼女を見上げるわたしに、にこりと弧を描くように笑う彼女の顔が、作り物みたいで、怖い。彼女はその顔のまま、ゆっくり前屈みになって、わたしの耳元に唇を寄せる



「だからね、あなた邪魔なの。」



目の前が急に暗くなった気がした。グッと握り締める拳。何とか、踏ん張ってその場に立つだけで精一杯だ。また、噛み締めてしまった下唇から鉄の味がして、ピリッと痛い。そんなわたしの様子を見て、満足したようにわたしの耳元に笑みを残して、離れていく彼女の顔。かくん、と小首を傾げながら目を細めて笑って吐き出すその言葉たちがまるで毒のようだ



「影山くんにちょっかい出すの、やめてほしいな。」


「誰もちょっかいなんて…。」


「わたしと影山くんのことは知っているでしょう?あなたはもう過去の人なの。それにね、影山くんがイタリア行きを半年後に先延ばししたの、知ってる?それ、あなたのせいだよ?」


「え…。」


「まだ影山くんの足枷になるつもり?」


「っ。」



ぐさり、と胸に刺さる彼女の言葉。「足枷」という言葉が、出ていったあの日の飛雄が放った「失望した」という言葉にリンクして、ぐにゃり、と視界をひどく歪めた。



綺麗な薔薇には棘がある。
ナイフのように鋭く、それでいて、毒のある棘が胸に刺さって取れない。


(あなたは影山くんのためにならないの。)
(……。)
(だからね、ちゃんとあなたから彼を解放してあげてほしいの。)
(解放…。)
(それが影山くんにとって、幸せになる一番の方法なの。)


彼女が最後に言った「いつまでもあなたが影山くんを縛りつけていたら、彼は不幸になる」という言葉が耳に痛い。まるで、水の中にいるみたいだ。苦しくて、上手く息ができない。深呼吸をしようとするのに、浅い呼吸になって、上手く酸素が取り込めないからなのか、苦しさで胸を押さえる。彼女の言う通りだということはわかっている。別に縛りつけているつもりはないが、イタリア行きの話をされた時に、縋ったのは本当だ。置いていかないでくれ、と確かにあの時わたしは言った。そうか…また、わたしはきみの歩みを止めてしまったのか。足枷になってしまったのか。失望させてしまったのか。ぐるぐると頭の中で彼女の言葉がループして、吐き気がした。

あとがき


まあ、王道ですね!でも、彼女が言っていることも一理ある、という。
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