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一人で歩く、帰り道。手に持ったトイレットペーパーが少し重い。アルコールに侵されて陽気な人たちが駅の周りを占拠している中をするする通り抜けていく。「ご飯…どうしよう。」
呆然と立ち尽くして、あの後数分動けなかった。気付けばもう22時前。今からご飯を作る気力はないし、食べるかどうかも迷い、やたら原色が目につくコンビニの前を通り過ぎようとして、足を止める。
おにぎりでも、買っていこうかな。
通り過ぎてしまった入口に戻って、入店。お茶も買っていこうかな、とまずはドリンクコーナーに立ち寄って、緑茶を手に取る。トイレットペーパーを持っているから、おにぎりを持つの大変だな、と思い、近くにあったカゴの中に緑茶を入れて手に取った。少し他のも見ようかと店内を徘徊して、新商品のお菓子を見ながら溜め息を一つ
「それ、美味かったよ?」
「……っ!び、びっくりした!!」
「あ、ごめん。何か思い悩んでる感じだったから…でも、買うならこっちがおすすめかな。」
「え、あ、ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
手渡されたおすすめのお菓子を受け取ると、どこか日向に似ている猫目でにこりと笑う宇内さん。背後から話しかけられた時の心臓への負荷がすごい。まだ、ばくばくとうるさいくらいに脈打っていて、心臓に鈍痛。すー、はー、と何回か深呼吸を繰り返すわたしを見て、宇内さんが「驚かせるつもりはなかったんだけど…大丈夫?」と心配げにこちらを見てきて少し居た堪れない。「大丈夫です」と言えば、ホッとしたような顔で宇内さんもさっきわたしにおすすめしてくれたお菓子を手に取って、「おれも買おうかな」と言って笑った
二言、三言会話をして宇内さんに「それじゃあ」と言って別れ、元々の目的だったおにぎりコーナーに寄り、悩みに悩んで結局ツナマヨのおにぎりを手にする。野菜も、と思い小さめのサラダも合わせて入れて、真っ直ぐレジへ。これ以上店内を巡っていると余計なものを買ってしまいそうだ
「819円です。」
「えっと…これで。」
ピッピッとレジが商品のバーコードを読み取る音をぼうっと聞いていた。お会計金額が確定を知らせる店員さんの声でハッとする。慌てて鞄から財布を取り出して、1000円をそこから抜き取り、金銭トレーに乗せてお釣りの181円を受け取ると、商品の入った袋を手にして、店員さんの「ありがとうございました」という声を背にコンビニを脱出
コンビニの袋とトイレットペーパーを手にマンションへの帰路を歩くわたしの後ろをタッタッと追いかけてくる足音。後ろを振り返れば宇内さんがこちらに向かって走ってくるのが見えて、不思議に思いながらも足を止めた
「どうしたんですか?」
「いや、さすがにこんな遅い時間に女の子一人で歩かせるのは。」
「マンション、すぐそこですけど。」
「そうなんだけど、もう22時過ぎてるし、帰る方向一緒だから。あ、持つよ。」
「あっ。だ、大丈夫ですよ。」
サッと攫われるトイレットペーパー。わたしの手に残ったのはコンビニの袋だけ。大丈夫ですって言っても、宇内さんはそれに対して「大丈夫」とだけ返して歩き出してしまう。いや、その大丈夫って何の大丈夫なんですか!と思いながら追いかける背中。何とか追いついて、隣に並んで歩く。「重たくないから大丈夫ですよ」と言っても「マンション、すぐそこだから」と先ほどわたしが放った言葉に倣ったように言われ、返す言葉もなく、仕方なく静かに上げた手を下ろして肩を竦めた
「原稿は大丈夫なんですか?」
「うん。さっき赤葦さんに渡したところ。」
「そうなんですね。お疲れ様です。」
「都築さんもお仕事お疲れ様です。」
交わす他愛もない世間話。道端でお互いにぺこぺこと頭を下げあって、お疲れ様ですと言い合う姿は少し異様に映ったようで、すれ違った人が訝し気な目でこちらを見る。「変な目で見られちゃったね」と笑って歩き出す宇内さん。その顔が日向によく似ていて、何だか変な気分になる
「都築さんってこんな遅くまで仕事やってるの?」
「あ、いや。仕事自体は18時で終わりです。」
「あ、そうなんだ。」
「仕事終わりに会社のバレーチームの手伝いに行ってて。」
「へえ!バレーか、いいね。」
「バレー好きなんですか?」
「うん。高校の時にバレー部だったんだ。」
「あ、そうなんですか。」
あのマンション、バレー繋がりの人多いな…。
とは言っても知っているのは、宮さんと、今発覚した宇内さんぐらいなんだけれど。会った人が高確率でバレー繋がり、とは。これはもう一種の呪いか何かかと思ってしまう
宇内さんもバレー部だったということで話が少し盛り上がる。聞けば春高にも行ったことがあるらしい。それはすごい強豪だ、と感心して、どこ出身なのか興味本位で聞いてみれば「宮城の高校で烏野…って言ってもわかんないか」と言われてギョッとした。烏野は言わずもがな自分の出身校なので勿論知っている。勿論知っているが、あれ、宇内さんってもしかして、とわたしの少し前を歩くその背中に既視感。なんか昔テレビで見た雰囲気とは全然違うけれど
「小さな巨人…?」
「あれ、都築さん、おれのこと知ってたの?」
「わたしも烏野、出身で。」
「え、そうなの?!すげえ偶然だね!」
「そう、ですね。結構びっくりしました。雰囲気、全然違うし、漫画家さんって聞いてたから…。」
「あー、もうバレーやってないし、ねえ。高校で辞めたから。」
「そうなんですね…わたし、春高予選も全部テレビで見てましたよ。親が応援してて。」
「わあ、なんか恥ずかしいなあ。」
「同級生が宇内さんに憧れて烏野バレー部に入部したんですよ。しかも、その年に春高に行って、プロにまでなっちゃうし。」
「あれ、それって、日向くんのこと?」
「え?知ってるんですか?」
「春高、観に行ったんだよ。丁度日向くんたちの試合を観に、ね。同級生に誘われてさ。」
「知らなかった…。」
「都築さんも会場にいたんだ?あれ、もしかして都築さんってバレー部だった??」
「マネージャーだったんですよ。」
「ははっ、それはすごい巡り合わせだね。」
宇内さんが小さな巨人だというのにも驚いたけれど、日向のことも知っていて、あの日の春高を観に来ていたのにも驚いた。宇内さんの言う通り、すごい巡り合わせだと思う。まさかテレビで見ていた日向の憧れの小さな巨人がわたしの部屋の隣だなんて知ったら、日向はどう思うかな、と想像しただけで少し可笑しかった。羨ましがるんだろうなあ。わたしの知っている日向といえば、小さな巨人一色だったもん
「じゃあ、それで赤葦さんと知り合いだったんだ。どこ繋がりなんだろうって不思議に思ってたんだよね。」
「ふふ、バレー繋がりですね。」
「不思議なもんだよね。バレー辞めても、バレーで繋がってるんだなんて。」
「そう、ですね。」
宇内さんの言葉が妙に感慨深い。確かに、その通りだと思った。飛雄と別れて、もうバレーと繋がりなんてなくなるもんだと思ったのに、わたしの世界は色んな所でバレーに関わっていて、わたしの世界を構成する一部になっている。まるで、何かに引き合わされているかのように、偶然派遣でムスビイ社に入社して、宮さんと出会って、ブラックジャッカルの手伝いで練習場に入り浸って…そして、その先にまた飛雄がいることも
「残酷だなあ。」
「え?」
「何でもないです。」
忘れようとしても、忘れられない、なんて。もう、飛雄は前を歩くのに、隣を歩いてはくれないことはわかっているのに。神様はひどく残酷な生き物だと吐いた溜め息が誰からも見られることなく、静かに霧散していった。
切れない糸の先
手繰り寄せても、きみには繋がっていないのに。
(今や烏野出身で日本代表なんて日向くんや影山くんは本当にすごいね。おれなんて霞むわ。)
(宇内さんがいなかったら、日向はバレーやってなかったですよ。)
(そうかなあ?それは、なんか誇らしいね。)
(日向がいなかったら、と…影山は変われなかっただろうし。)
(全部、繋がってるんだなあ。)
宇内さんと話しながら歩いていたら、あっという間に着くマンション前。一緒にエレベーターに乗り込んで、10階へ。エレベーターを降りれば、角を曲がってすぐ部屋の前。持ってもらった荷物をお礼を言いつつ受け取って、「おやすみなさい」とお互い頭を下げあってお別れ。部屋のドアを開けて、玄関に脱ぎ捨てる靴。ペタペタと足音を響かせながらリビングに続く廊下を歩いて、リビングのドアを開け、すぐそこにあるソファーに身投げして、ぎしり、と軋むファーのスプリング。薄いアイボリー調の天井を見上げながら、左手を翳してみる。何もない左手を見ながら、溜め息を一つ。全部繋がっているのに、わたしの左手にはもう、何もない。そこに長らくあった物の存在を知らせるように、他の指に比べ、少しだけ細くなった歪な形だけが残って。見上げた真っ白な天井がひどくくすんだ色に見えた。あとがき
良くも悪くも一つのことがずっと今も繋がっていることがあるという。