53

「お久しぶりです、都築さん。」


「あ、はい。お久しぶりです、三木元さん。」


「どうですか、ここのお仕事は。順調ですか?困っていることなどないですか?」


「皆さんにとても良くして頂いて、学ぶことも多く、こう言っては何ですがすごく楽しいです。」


「そうですか!それは良かったです。では、次の更新のことなんですけど、どうしましょうか?」


「あ、更新で大丈夫です。」


「わかりました。では、課長さんに更新する旨、お伝えしておきますね。」


「ありがとうございます。」



更新の確認は3ヶ月ごと行われることになっている。早いものでここに入社してから3ヶ月が経とうとしており、今回は一回目の更新確認で三木元さんが面談のためムスビイ社を訪ねてきていた。普段は座ることのない応接室のソファー。応接室のソファーはよく沈む。浅く腰掛けて、後ろに倒れないように背筋に力を入れた。目の前でにこやかに対応してくれる担当の三木元さん。三木元さんと会うのは、派遣としてここに入社して以来だ。電話ではやり取りがあったが、顔を合わすのはこれで3回目。相変わらず爽やかなお兄さんだな、と談笑しながら観察

「これ、どうぞ」と渡されるクッキー5枚。何だ、これはとまじまじ見つめていると、三木元さんは笑いながら「うちの会社で作ってるクッキーです。交流のきっかけにでも使ってください」と教えてくれた。どうやら、派遣会社が社会貢献の一環で取り組んでいる工場で作っているクッキーらしく、面談時に渡しておくことになっているらしい。人間関係構築のためのアイテムとして他の人たちも使っているとのことで、ぜひわたしにも、とのことだった。そういうことなら、と有難く頂戴し、あとで河村さんと課長と…と、とりあえず自部署の人たちに渡そうかな、と頭の中で考えながら、応接室を後にする。三木元さんは課長と話があるらしいので、後から入ってきた課長を残してわたしだけ先に抜け出してきた



「あ…都築真緒さん。」


「佐久早さん、お疲れ様です。」



応接室は経理部があるフロアではなく、営業部がある下のフロアにある。経理部に戻ろうと階段を登ろうとして、佐久早さんとばったり。フルネーム呼びに戻っていることは面倒なのでもう突っ込まないことにして、ぺこりと頭を下げる。応接室から出てきたところを見られていたらしく「叱られでもしたのか?」と聞かれて、首を傾げる。なぜ応接室から出てきて、叱られるが直結?



「ポカでもしたんじゃないのか、都築真緒さんのことだから。」


「いや、わたしの何を知ってるんですか!」


「…見るからに何かやらかしそう。」


「やってませんよ!失礼な!!」


「じゃあ、なんで応接室から出てきたんだ。」


「派遣の更新確認ですよ。担当さんが来客として来てるんです。」


「ああ、なるほど。良かったな、やらかしたわけじゃなくて。」


「ありがとうございます…って、だから何なんですかそのイメージ!」



人のことを何だと思っているんだろうか、この人は。


働いているところを見たこともないのに、いけしゃあしゃあと…失礼極まりないな。ポカをする時もあるけれど、木兎さんの経費精算のポカや日向の計算間違いよりやらかす頻度は少ないし、物凄く仕事ができるわけじゃないけど、自分で言うのも何だが未経験の割にはフォローしてもらいながら何とかやれている方だ

佐久早さんと立ち話をしているところを誰かに見られでもしたら、仕事をサボっていると思われるかもしれないと早々に立ち去ろうとするわたしを佐久早さんが呼び止める。踵を返そうとしてた足を止めて佐久早さんを見返せば、どうやら荷物を持つのを手伝ってほしいらしい。憎まれ口を叩いてないで、最初からそう言えばいいのに。面倒な人だな、と思いながらも、無視するわけにもいかず、仕方ないと佐久早さんに歩み寄り「何を持てばいいんですか?」と聞けば、「これ」と言って指を差す段ボール3つ。よく見るとノートパソコンの箱だ



「はい。」


「わ、結構重たい…って、え、ちょ、佐久早さん。」


「何?」


「わたし一人で全部持つんですか!?」


「こんな重いもの持ったら手首おかしくなるだろ。」


「ああ、なるほど…じゃない!か弱い女子にノートパソコンが入った箱3つも持たせる男なんて見たことないですよ!!」


「都築真緒さんはか弱くないし、女子でもないから大丈夫だろ。」


「そこは突っ込まなくていいところなんですけどね!ていうか重っ!」


「エレベーター使ってもいいけど。」


「階段で行け、と?!エレベーター一択ですけど!しかも手伝ってくれない!!」



早速足を止めて、手伝おうとしたことを後悔し始める。後悔し始めたところで今からこれらを放っていくわけにもいかず、何とか気合いを入れて踏ん張る。もう早く運んで本来の自分の仕事に戻りたい。腕がもげそうになりながら、何とかエレベーターまで一歩、二歩。背後霊のように渋々といった様子でついてくる佐久早さんがエレベーターのボタンを押してくれるが、断じてこれらを持つ手伝いはしてくれないらしい


何の修行なのよ、これは!!


早くエレベーターよ、来い!と念じながら震える腕で持つ段ボール。表示されるエレベーターの現在地にあと、三、二、一…と数えて、到着を告げるベル。助かった!と思いながら、急いで乗り込もうとして、どん、と何かにぶつかる。ぶつかった瞬間「ふげえっ」と変な声が聞こえて、急いで前方の確認をすれば、日向が涙目でこちらを見ていて、「ごめん!」と慌てて謝った



「ごめん、ごめんね、日向!大丈夫?!」


「だ、大丈夫…都築さん、どうしたんだよ、それ。」


「ちょっと、佐久早さんの手伝いで。」


「佐久早さん…?あ、ちわーっす!」


「ああ、日向か。お疲れ。」


「あ、ととっ。都築さん、おれ持つよ。」


「えっ、本当?!ありがとう、日向!!」



日向は男前だ!と褒め称えて2つ持ってもらい、だいぶ軽くなった腕。さっきまでの重みで少し痙攣しているが、1つだけなら全然問題ない。佐久早さんは相変わらずついてくるだけで、持ってはくれず。文句を言っても疲れるだけだし、とそれに対して特に何も言わず、三人でエレベーターに乗り込む。エレベーターの操作は渋々だがやってくれる佐久早さん。さっきから思っていたけど、なんでそんな嫌そうにエレベーターのボタンを操作するんだろうか…面倒だから突っ込まないけどさ

エレベーターが動き出して、一階上へ。すぐに到着を告げるベルが鳴って、三人で降りれば佐久早さんが「こっち」と指差しながら数歩前へ踏み出して案内をしてくれるのを日向と二人ついていく。案内された場所のプレートを見てみると「情報セキュリティ室」と書かれていて、佐久早さんが所属している部署の名前だ



「同じフロアにあったんですね、情報セキュリティ室。」


「おれ初めて入ります…!」


「わたしも。」


「普段は他部署の人とか入れないから。サーバーとかあるし。」


「なるほど。」



失礼します、と言って入る情報セキュリティ室。中に入るとひんやりした風が頬を撫でて、ぶるりと震える体。サーバールームもあり、温度設定が低くなっているらしい。初めて入る場所に恐る恐る突き進んで、佐久早さんに指示された場所に箱を置いて任務完了。たまたま日向に会えて、手伝ってもらって助かった。ここまで一人で運んでいたらわたしの腕が大変なことになっていたところだった

普段は入ってはいけない場所だと思うと長居は憚られて、そそくさと情報セキュリティ室から日向と脱出。なぜか佐久早さんも一緒に出てきて、まだ何かあるのだろうかと思ったら、エレベーターの前までお見送りしてくれるらしい。経理部はあっちだから、とわたしはエレベーター前まで行かずに戻ろうと思ったのに、佐久早さんに「手伝ってくれた日向の見送りぐらいしたら?」と言われて、いや、それあなたが言いますか…とは思ったが、確かに手伝ってもらった手前、はい、さよなら、とそこで別れるのも薄情かと思いお見送りすることにした



「あ、そうだ。」



時間を確認するためにポケットに手を突っ込んで、かさりとビニールが擦れる音に、お礼に丁度いいものがあるなと取り出す個別包装されたクッキー2枚。三木元さんからもらったクッキーだ。それをずいっと日向に差し出せば、何?と首を傾げる日向



「ん?」


「日向、手伝ってくれてありがとね。これ、どうぞ。仁花ちゃんの分も。」


「クッキーだ!さんきゅー!!谷地さんにも渡しておく!」


「うん、仁花ちゃんによろしく。」


「んじゃあ!」



着いたエレベーターに乗り込む日向にひらひら手を振って、ドアが閉まるまでお見送り。次いで、くるりと振り返れば、じとっとこちらを見遣る佐久早さん



「えっと……すごい視線を感じるんですが。」


「ん。」


「何ですか、この手は。」


「もらってやってもいい。」


「そんな、無理してもらわなくて大丈夫ですよ。」


「無理じゃない。仕方ないからもらってやってもいい。」


「どんだけ上から……仕方ないなあ、もう。はい、どうぞ。」



ずいっと前に差し出された佐久早さんの手に、ポケットからもう1枚クッキーを取り出して手に乗せてあげれば、何だか満足そうに頷いてくるりと踵を返し、情報セキュリティ室に帰っていく佐久早さんの背中を肩を竦めながら見送る。



「さーて、仕事しよっと。」



伸びを一つして、わたしもお仕事お仕事、と経理部の島に向けて鬼退治をする昔話の鼻歌交じりに一歩踏み出した。



お腰につけたクッキー
ひとつわたしにくださいな!なんてね。


(遅かったね。)
(すみません、佐久早さんに捕まってしまって。)
(あ、パソコン持たされた?)
(常習犯ですか。)
(まあね。)


経理部に戻って、自席に腰を落ち着かせれば河村さんに何をしていたのか聞かれ、正直にさっきまでの出来事を答えると、どうやら佐久早さんの荷物持ちは他の人も体験済みだったようで。「大変でした」と肩を竦めながら言えば、河村さんがお疲れ様と返してくれて、何だか少し報われた感。ああ、そういえば、とポケットからまだ2枚ある内の1枚を河村さんに渡す。「何これ」と首を傾げる河村さんに「人間関係構築クッキーです」と言えば、ケラケラ笑いながら「ありがとうね」と言われて、別になんてことはないのに嬉しくなったり。残りの1枚は課長が戻ってきてからあげよう、と考えながら積み上げられた売上伝票を手に取り、すっかりオフモードになっていた電卓の電源を入れた。

あとがき


昔派遣で働いていたところは、クッキーをどうぞってしてました。
back to TOP