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手を引かれながら最寄り駅を出て、歩いて数分のところにあるコインパーキングに連れて来られ、ここで何をするのか疑問符を浮かべるわたしを他所に一台の車に近づく宮さん。チノパンの後ろポケットから財布を取り出し、そこから何やらカードを一枚。手にしたそれを車のガラス部分、それもよくわからないがタッチと書かれたマークがついている部分に翳して、ドアロックを解除し、助手席にわたしの体を押し込めると、次いで宮さんも運転席へ



「え、あれ、あの、車…ですか?」


「真緒ちゃんには車以外の何かに見えるんか?」


「そういう意味じゃないですよ!」


「ははっ。そうですよ。車ですよ、お嬢さん。」


「え、口調キモイ…何キャラなんですか、それは。」


「キモイ言うな、阿呆。」


「ごめんなさい、つい口が勝手に。」


「余計、質悪いわ!ちょっと、前失礼すんで。」



グローブボックスから車のキーを取り出して、エンジンをかける一連の動作を見て、ああ、これはレンタカーだと察した。家から乗ってきた覚えはいないし、こんな遠いところの駐車場をわざわざ借りて車置いているなんて思えなかったから、と一人納得した。でも、いつの間にレンタカーを予約したんだろうと不思議に思ったのがわかったのか、シートベルトを締めながら「ベンチで真緒ちゃん待っている間に」とだけ


それって、最初から治さんとあの駅で別れるつもりだったんじゃ…?


とんだ策士だ、と舌を巻く。宮さんに「早よ、シートベルト締めえや」と言われるがままシートベルトを締める。わたしがシートベルトをしたところを確認して、動き出す車。宮さんが運転ができるのはおろか、免許を持っていたことにすらびっくりする。免許ぐらいは持っていても不思議では、ないか。でも、ここ数週間一緒に過ごすことが多いけれど、運転しているところは全くと言っていいほど見たことがない。本当に大丈夫なんだろうか、と不安気に見つめていると、宮さんが「マリカー上手やから安心しろや」と言われてギョッとする。



「全然安心できませんけど!?え、ちょ、本当に運転できるんですよね?!」


「免許はあるで。」


「何その言い方怖い!」


「アクセルとブレーキはわかる。」


「……降ろして!今すぐ降ろして!!まだ死にたくないから!!」


「…というのは、勿論冗談やけど、自分随分と失礼なやっちゃな。」


「いや、命あっての物種なんで。本当。」


「ははっ、めっちゃ素直か。」



笑いごとじゃないし!


思わず肝を冷やしてしまったが、ちゃんと運転できるらしいところは確認できて一安心。マリカー気分で公道を走られてしまっては堪ったもんじゃない。ていうか、なんつー冗談かましてくれたんだ、この人。コインパーキングを出て、信号待ちの間に、ヒヤヒヤさせられた分の仕返しとして、人差し指の第二関節で左腕をぐりぐりと攻撃してやれば、「いった!何すんねん!!」と本気で痛がる宮さんに少しだけ溜飲が下がる

仕返しされそうになったが、信号はすぐに青に変わって「ほら、発進発進!」と言えば、
宮さんがまるで悪役の去り際のように「覚えときや!」と軽く舌打ちを一つ。車に乗ったはいいが、どこに行くか聞いていなかった、と思い出し、ちらりと宮さんを見て、話しかけても大丈夫か確認してから口を開く



「それで、宮さん。どこ行くつもりなんですか?」


「秘密や、秘密。」


「拉致監禁…。」


「人聞きの悪いこと言うなや!」


「行先くらい教えてくださいよ!」


「あっち。」


「あっち?!ざっくり過ぎませんかね!!」


「あんまうるさくしとると手元狂うわ。」


「…わー、あっちかあ。あっちね、あっち。わーい、楽しみだなー。」



宮さんが放った言葉に、喉元で悲鳴を上げて、渋々引き下がる。手元が狂われて事故なんか起こされた日にゃ、死んでも死にきれない。無理矢理自分を納得させて、窓際に頬杖をつき、視線を窓の外へ。ビル群を抜けて、開けた道に出れば、よく見える空の色。すっかり橙色に染まり、少しだけの紫が混じる


こんな綺麗な空見たの、いつぶりだろう。


こっちに出てきてからは、そう見られなかった空の色。地元ではよく見ていたっけ、部活帰りとかに。こんな時まで思い出す、飛雄のこと。あの空を見ていた頃、誰が想像できただろうか。二人が一緒にいない未来を。息を吸うかの如く、当たり前のように一緒にいたから。まさか、この空を見ているわたしの隣に宮さんがいるとはあの日のわたしは当たり前だろうが、想像もできまい。はあ、と自然と零れ落ちる溜め息一つ。宮さんがわたしをちらりと一瞥した気がしたが、特に何も言わずに、ラジオをつけるだけ

しばらく窓の外を見ながら、ラジオから流れる音楽を聞いていた。そうして、どのくらい時間が経ったのかわからないが、ぼうっと音楽を聞いている間に眠ってしまっていたらしい。車の動きが止まったような気がして、すっかり落ち切った瞼を擦り、目を開ければ、窓の外に広がっていたはずの橙色の空は、暗幕を引いた夜空にいつの間にか変わっていた



「あ、真緒ちゃん起きたん?」


「あー…ごめんなさい、寝ちゃってました。」


「気にせんでええよ。丁度起こそうと思っとったところやし。」


「着いたんですか…?」


「ああ、うん。ほな、行こか。」


「はい…?」



促されるままにかちゃりとシートベルトを外して、助手席から脱出。ずっと同じ体勢でいたからか、伸びを一つすればボキボキと骨が鳴る。凝り固まった首をぐるりと回して、前へ一歩。まだ寝ぼけている視界では、暗くて目の前がはっきりしないが、聞こえる音と鼻孔を擽る独特の匂いに今いる場所の察しがついた



「え、海…?」


「そうや。」



さざ波の音に潮の香り。ここが海であるということを主張するものたちにハッとして宮さんを見れば、首の後ろをぽりぽりと掻きながら、小さく頷く。「砂浜の方に行こうや」と言って、わたしの手を取り、歩幅を大きく砂浜の方へ一歩近づけ、砂浜と駐車場の境界に設置されたコンクリートの仕切りに腰掛ける。座る宮さんに手を引かれ、わたしも同じようにして腰掛けて、目の前にどこまでも広がる海を見つめた



「東京にも、こんなところがあるんですね。」


「まあ、ここは神奈川やけどな。」


「そうなんですか?わたし、夜の海は初めてです。」


「そうなん?夜の海も、ええもんやろ。」


「確かに、そうですね。」



水面が月明りできらきらと輝く。波がそのきらきらを飲み込んで、こちらに押し寄せてきて、その音が何とも言えない響きを伴った。自然と繋がれていた手に指を絡めてキュッと握り締めてくる宮さんが、海を眺めながら静かに溜め息を吐く。その姿に、何だかこの手を振り解こうにも振り解けず、どうしたもんかと軽く噛む下唇



「たまに、ここに来るんやけど。」


「はい。」


「誰か連れて来たんは、真緒ちゃんが初めてや。」


「……そうですか。」


「色々立ち止まったり、煮詰まったりすることあったらな、ここに来んねや。悩んでたりすんのがほんまに馬鹿らしくなるんやで。海、でっけぇわ!って。」


「…ぷっ、確かに海はでかいですね!」


「せやろー?」


「宮さんでも悩んだりするんですね。びっくり。」


「自分、おれのこと何やと思ってんねん。」


「スケコマシ。」


「そればっかやな、自分!…まあ、そうやな。ここには来てへんかったけど、最近は悩んでばっかりや。誰かさんのせいで。」


「まるでわたしが悩ませているみたいに言いますね。」


「その通りや。真緒ちゃんのせいやで。」



おれがこんなに悩むんは。そう、溜め息に似た呟きをわたしの頭上に落として、わたしを見下ろす宮さん。わたしは宮さんの顔が見れず、ただ、目の前に広がる海を見つめ続ける。こっちを向けと言わんばかりにわたしの頬に添えられる宮さんの手。その手を掴んで、そっとわたしの頬から離し、下ろす



「宮さん、わたし。」


「嫌や。」


「ちょ、まだ何も言ってないじゃないですか!」


「自分の気持ちなんか知るか。おれは聞かへん!」


「聞いてください、ちゃんと。」


「いーやーや!」


「駄々っ子か!」


「聞かへんから、それ以上言わんで。」


「…わたし、とび、んうっ。」


「次言うたら、舌入れるで。」



ぶつけられた唇の衝撃で、砕け散る言葉たち。下ろしたはずの両の手のひらが潮風に揺れる髪の毛を割り、わたしの耳の後ろから頬にかけて添えられて、ぐいっと引き寄せられれば、甘ったるい響きの声に脅迫されて。互いの鼻の先がぶつかる距離で、わたしを射るような宮さんの瞳が今にも泣き出しそうに揺れていた。



脅迫者は泣きながら願い乞う
どうか、今は何も言うな、聞きたくないと。


(いっ、た!)
(頭突きしやすそうなおでこがあったんで、つい。)
(ついって自分な!)
(宮さんはいちいち近いんです。)
(あかん、脳味噌死んだわ。)


脳味噌は死なないですよ、安心して、と真顔で言えば、おでこを押さえつつ、わたしを睨みつけながら「比喩に決まってるやろ!阿呆か!!」と言って、仕返しと言わんばかりにわたしの脳天にチョップを一発。なかなかの衝撃で、「痛い!」と言いながら脳天を押さえるわたし。浜辺に脳天を押さえる女とおでこを押さえる男の奇妙な図が出来上がる。今ある状況を客観視して、あまりの奇妙さに思わず噴き出せば、そんなわたしにつられて噴き出す宮さん。二人しかいない孤立した空間に響き渡る笑い声。一頻り笑って、すっくと立ち上がり、わたしに手を差し出しながら「帰ろ」と言った宮さんの顔が月明りに照らされて、それが誰かが生み出した芸術品みたいにとても綺麗で、誘われるままにその手を握り締めてしまった。

あとがき


昔、名古屋にいた友達がかき氷が食べたいと言ったわたしのために海に連れて行ってくれると、車に乗せてくれたのだが、運転しながら「おれ、この間事故ってさー」て話しながら運転しててマジで怖かったのを思い出しました。
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