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「ん…、ふわあ。」



目を刺激する陽の光が、カーテンの隙間から差し込んで朝を告げる。横になっていた体を起こして、んーっと腕を上げて伸びを一つ。次いで、首を左右に振って、ぐるりと一周すれば、ゴキッと不気味な音がしたが気にせず、もう一回それを繰り返して、まだぼうっとする頭で巡らせる思考


わたし、昨日、どうしてたっけ…。


妙に頭はすっきりしているが、喉はひりひりしている。そしてそれで思い出すは、日本酒の味。珍しくアルコールはすっかり抜けている。いつもだったら、がんがんとするはずの頭も、とびっきり良いお酒だったのか、二日酔いにはなっていなくて、びっくり。安いお酒だと悪酔いして、翌日が大変だけれど、誰かが言っていた、良いお酒は残らないって本当だったんだ、なんて一人納得する

それにしても、昨夜の記憶が丸っと抜け落ちている。そもそも、リビングで飲んでいたのに、なぜわたしはベッドで寝ているのか。自分で移動した記憶はない。ないが、もしかしたら、無意識にベッドで寝るために移動したのかも、なんて都合の良いことを考えながら、一緒に飲んでいた同じ顔の二人のことを思い出した。ここで一人寝ているということは二人は帰ったということだろうか?と考えながら、寝室を抜け出し、恐る恐るリビングのドアを開けて、げっ、と思った



「どういうこと…?」



リビングの床に転がる酒瓶。リクライニングソファーで寝ている治さん。その横にはラグを敷いた床で小さく丸まって寝ている宮さんがいた。テーブルの上には日本酒を飲んでいたグラスと、なぜかウイスキーと氷、水のセットまであって。家にお酒は置いていないので、これは宮さんのところから持ってきたのだろう、たぶん。現状を見るからに、一晩中酒盛りをしていたらしい。しかも人の部屋で、わざわざお酒を追加持ち込みして



「こんなところで寝てたら風邪ひきますよ…もう。」



一応声をかけてみたが、気持ち良く寝ている二人を起こすのは何だか気が引けて。仕方なく、起こさないようにそっと寝室へ一度戻り、クローゼットからタオルケットを二つ見繕って、再度リビングへ。


そこまで寒くはないからタオルケット一枚でも十分、かな。エアコンもつけているし。


リビングのドアを開けながら、これだけで風邪をひかないかを考えた。宮さんはスポーツ選手だし、風邪をひかせては大変だ。それに治さんだっておにぎり屋さんの店主の業務がある。お店をお休みしたら収入ゼロだ。そんな責任、わたしは負えない。ソファーで寝ている治さんと床で丸くなっている宮さんの順でタオルケットをかけて、溜め息を一つ。この人たちは朝食はいるのかな。そう言えば、今日は宮さんと一緒に出掛ける約束をしていたけど、どうするんだろうか。このまま寝かせていたらお昼になりそう、だけど…とりあえず、わたし自身、朝ご飯を食べるし、ご飯作ろ



「治さんはご飯派って言っていたっけ…ご飯は炊いてある、か。」



三人前でいいのかな。宮さん二人前を普通に食べるし…治さんも二人前食べるなら全部合わせて五人前?定食屋か、ウチは。


食パンの方が楽だけど、お客様のお好みにしてあげるか、と頭の中で献立を考える。ご飯足りないかも、なんて炊飯器を覗きながら考えて、仕方ない、と炊飯釜を取り出し、今あるご飯をラップに一食分ずつ乗せて小分けにする。小分けにしたご飯は粗熱が取れるまで放置。サッと釜は洗って、米櫃から四合分のお米を測って、釜の中に入れた。水で釜に入っているお米を洗い、四号の目盛りのところまで水を入れて、30分寝かせてから炊飯スイッチを入れる。その間に冷蔵庫の中身を確認して、豆腐と椎茸、キャベツ、味噌、卵を取り出し、次いで冷凍庫からこの間買って冷凍していた小ぶりのホッケを3尾も取り出した

ホッケはグリルに突っ込み、中火で10分に設定する。ミルクパンに水と顆粒出汁を入れたら、火をかけて、石突を落とし、薄切りにした椎茸とざく切りにしたキャベツを投入。次いで、ボウルの中に卵を割り入れてかき混ぜれば、白出汁と醤油、塩、みりん、お酒を入れて菜箸で再度がちゃがちゃとよくかき混ぜる。熱した玉子焼き機にサラダ油を引いて、かき混ぜた卵液を流し込んだら、軽くかき混ぜ、完全に火が通り切る前に塊を作って、再度卵液を流し、火が通り切る前に塊を中心にしてくるくると巻いていく。これを何度か繰り返して、ボウルの中が空になるまで。最後の卵液を流し込んで、同じようにくるりと巻いたら、少し焼き目をつけて火を消した。



「やばい、ホッケホッケ!」



ホッケが焦げる!と急いでグリルの中を確認すると、ぎりぎりセーフ。最後ふっくらさせるために、弱火で4、5分焼く。その間に沸騰したミルクパンの中。火を弱くし、豆腐を入れて、次いで火を止めておたまで味噌を適量掬い、菜箸で溶き入れればお味噌汁の出来上がり

出来上がった、だし巻き卵とホッケをそれぞれお皿に盛ったところで炊飯器がご飯の出来上がりを告げる。荒れ果てたテーブルをササッと片づけて、並べるお皿。テーブルの上に広げた料理を見て、野菜が足りないかな、と冷蔵庫を漁りに踵を返す瞬間、背中越しに聞こえた掠れた声に、その声のした方をくるりと振り返った



「ん…あれ、真緒ちゃん、おはようさん……。」


「宮さん、おはようございます。朝ご飯、一応作りましたけど。」


「え、ほんま?食う食う。」


「ご飯とお味噌汁よそってきます。その前に顔洗ってきたらどうですか?」


「……痛え。」


「何してるんですか…?顔だけは良いんですから、大事にしないと。」


「どういう意味なんや、それは。」


「特に意味はないですけど…ほっぺ、大丈夫ですか。」


「夢やないかと思ったけど、ちゃんと現実やったわ。ほっぺは痛い。」


「は?脳味噌アルコール漬けになってます?とりあえず、顔洗ってきてください。」



夢かと思ったとか意味のわからないことを言う宮さんの背中をぐいぐい押して、洗面所へ追いやり、ふう、と一息吐く。ご飯とかをよそう前に冷蔵庫の中をちらり。ほうれん草を見つけて、鍋に水を張り、塩を入れたら火をかける。沸騰を待つ間にほうれん草をサッと水で洗って泥を落として、沸騰した鍋にほうれん草を入れ、菜箸で全体がお湯に浸るようにほうれん草を沈めていると洗面所から顔を洗って戻ってきた宮さんがキッチンに侵入してきて、わたしの背後にぴたりとくっつく



「……何ですか。邪魔ですけど。」


「こうしてると、新婚さんみたいやなあ、なんて。」


「どう見ても定食屋のおばちゃんの気分です。一人暮らしでお米四合炊くとか、破産します。」


「…さよか。」


「ていうか、邪魔です。火使ってるんですから。火傷しますよ。」


「真緒ちゃん。」


「わっ、も、もう。やめてください、擽ったい!息吹きかけないで!!」


「え、これ?真緒ちゃん?」


「んっ、やめてくださいってば。いい加減にしないと、お浸しにしますよ、その手癖の悪い手。」


「何やそれめっちゃ怖い。」



新婚さんとか意味わからないこと言うし、名前を呼ぶと同時に耳に生温い息がかかってぞわりと背筋が寒くなった。嫌だと体を捩るわたしに、なぜか楽しそうに声を弾ませて、次はわざとらしく息を吹きかけてくるし、お腹に回りかけた宮さんの腕を掴まえて、鍋の中で茹っているほうれん草を指差しながら脅しをかければ、苦笑交じりに引っ込められる手。でも体はまだ背後にぴたりとくっついていて、やりづらいったらない

気にしたら負けだ、と後ろは無視して茹ってしまっているほうれん草をお湯からあげて、水気を切ったら、まな板の上に寝かせて、根元を落とす。食べやすい大きさに切って、小皿に三等分。鰹節を乗せてお浸しが出来上がり、あとはご飯とお味噌汁をよそうだけ



「はい。」


「え?」


「ふっ、なんて顔してるんですか。味見ですよ、味見。」



味見くらいしてもらうか、とお味噌汁を一口分小皿によそって、後ろにいる宮さんにずいっと差し出せば、きょとんとした顔でわたしを見る宮さんの顔が面白くて、思わず笑ってしまった。気恥ずかしそうにぽりぽりと頬を掻きながら、差し出した小皿を受け取って、一口。「ん、美味い」と溢れ落ちた言葉と刻まれた笑顔に、定食屋のおばちゃんも思わず嬉しくなっちゃうアルコール抜けの朝



朝ご飯はいかがでしょうか。
心温かくする、一言を添えて。


(お、何や偉い美味そうなもん出来上がってんなあ。)
(あ、治さん、おはようございます。)
(おはようさん。)
(サム、タイミング!)
(何やねん。何のタイミングや。)


なんかもめもめし出した二人を他所に、ご飯とお味噌汁をよそって、テーブルへ配膳。三人席に着いて、いただきます、と手を合わせる。一口食べて「美味い」という声に、破顔。こんな風に食べてもらえるのは、やっぱり嬉しい。当たり前のようで、当たり前じゃないこと。思い出す、初めてきみに料理を振る舞った時のこと。不慣れなせいであまり美味しくないご飯が出来上がったのに、きみは何も言わずにガツガツと食べて、食べ終わってただ一言「美味かった」って言ってくれたな。美味しいわけがないのに、嘘吐き。でも、それがすごく嬉しくて、幸せだった。あの日から、わたしはきみの「美味かった」が聞きたくて、お料理の本を買ったり、お母さんに教えてもらったり必死で。そう、あの頃のわたしはただ、きみの「美味かった」が聞きたかっただけ。ただ、それだけだ幸せだったんだ。

あとがき


作った料理を美味しいと言ってくれる人とならずっと幸せに生きていける気がするー!
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