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「はあはあっ、あか、赤葦さ、ん!はあ、ほ、本当にすみませんっ!!」


「大丈夫だから。ちょっと落ち着いて。」


「30分もお待たせしてしまって…!もう、本当に本当にすみませんつ!!」


「本当大丈夫だから、ね?はい、深呼吸。」


「あ、はい。」



促されるままに、すーはーすーはー、と深呼吸。3回ほど繰り返して、やっと呼吸が整ったわたしを見て、背中をさすってくれていた赤葦さんがホッと息を吐き出した。「大丈夫?」と念押しで確認されて、それに対して頷き、「本当にすみません…」と勢い良く頭を下げて謝れば、赤葦さんは「いや、もう大丈夫だから、本当」と言ってわたしの頭をぽん、と一撫で。怒っていなさそうな顔にホッと安堵して、低くしていた腰を上げた



「これ、チケット。」


「あ、いくらでしたか?」


「今日はおれが誘ったから。」


「え、でも。」


「いいから。経費で落ちるし。」


「あ…ありがとうございます。」



これ、と言って渡された入園券。どうやら待っている間に買っておいてくれたらしい。先日のお礼にと考えていたので、チケット代を払おうとしたが、鞄から出した財布を手で押し込められて渋々鞄に入れ直す。無理矢理渡しても受け取ってくれなさそうだし、経費で落ちると言われてしまったらそれ以上何も言えず、ここは素直にお礼を言うに留めた


スマート、だなあ。


こんな風に飛雄以外の男性と出掛けることが初めてで、どうしたら良いか戸惑う。別にデート、ではないのだけれど、失礼ながら飛雄と比べてしまい、赤葦さんのスマートさに脱帽した。まあ、飛雄も飛雄なりにあのガサツさからは想像できないくらい色々と調べたりはしてくれていたとは思うんだけど、いかんせん不器用、だからなあ。あと詰めが甘くて、よく困ったものだ。今ではそれも、何だか懐かしくて。あれ、少しセンチメンタルな気分になっちゃったな。いかんいかん

後ろ向きな思考を振り払うようにぶんぶんと頭を振るわたしを他所に「じゃあ、行こうか」と入園を促されて、慌てて頷き、赤葦さんの背中を追う。入り口で赤葦さんが係員さんに券を渡して、半券と園内マップを受け取り、わたしもそれに倣って一緒に入園。マップを見ながら顎に手を当てる赤葦さんを見上げていると、急に赤葦さんがこちらを見て、ばちり、と目が合い思わずどきりと心臓が跳ねた



「ごめん、ちょっと回る順番考えてた。」


「あ、はい。大丈夫です。」


「トラから見て回ってもいい?」


「わたしは大丈夫です。」


「了解。じゃあ、こっち。」



赤葦さんに案内されるままトラの展示場へ。土曜日だからか、家族連れが多く、子供たちがわらわらと最前線に群がってトラを見つめている。キラキラと目を輝かせて見入っているその姿に微笑ましさを感じている横手、赤葦さんはカメラでパシャパシャとトラを撮影。漫画家さんの担当って大変なんだなあ、と改めて尊敬の念を込めて見つめていると、不意にこちらを見た赤葦さんと目が合い「あ、ごめん。おれのことは気にしないで好きなの見てきていいよ」なんて気を遣われちゃって。「大丈夫ですよ」と笑えば、「そう?それならいいんだけど」と微笑み返されて、何とも言えない気持ちになる


思えば、動物園に家族以外と行くの、初めてだなあ。


飛雄は動物になぜか嫌われる質だし、中学、高校はバレー漬けの毎日だったから。気付けば動物園でデートするような年齢じゃなくなってたし、ね。まあ、今日もデートじゃなくて宇内さんの漫画の資料集めでここにいるんだけども



「あー…都築さん?」


「……。」


「都築さん?」


「えっ、あ、は、はい!」


「大丈夫?」


「大丈夫です!どうしました?」


「欲しい写真は撮れたから、都築さんの見たいところあればと思ったんだけど。」


「え、パンダ!」


「……ぷっ。ん、パンダだね、じゃあ、こっち。」


「やった!」



いつの間にか欲しい資料は収集できたようで、赤葦さんが時間もあるし、他も見て行こうと誘ってくれた。どこを見たいか聞かれて、上野動物園と言えば、パンダだ!と即答でパンダと答えると、一瞬驚いた顔をして、次いで小さく吹き出す赤葦さん。思わずはしゃいでしまい、恥ずかしさが込み上げてきて、赤くなるわたしに、「都築さんって、可愛いところあるね」とさらりと言うもんだから、余計に恥ずかしくなった

パンダを飼育している動物園は限られていて、生で見るのは初めてだ。うきうきしながら歩くわたしをちらりと一瞥する赤葦さん。首を傾げながら「どうしました?」と聞けば、「付き合わせちゃったけど、楽しそうで何よりだよ」と言われたので、「こういうのは楽しんだもん勝ちです!」と胸を張って言っておいた。しばらく移動して、パンダの展示エリアに到着。ここも家族連れでごった返していて、前には進めなさそう



「これはなかなか難しそうですねえ。」


「都築さん。」


「へ?わっ、ちょ。」



急に名前を呼ばれたのかと思えば、手をキュッと握り締められる。びっくりしているわたしを他所に赤葦さんはわたしの手を引いてスタスタと人混みを掻き分けて、最前列とまではいかないが、パンダが見える位置まで誘導してくれた。初めて見るパンダに興奮するわたしを見て「見れて良かったね」と微笑む赤葦さん。これは絶対子供扱いしてるなあ、とは思いつつもその微笑の眩しさに突っ込むのはやめた

しばしパンダを堪能して、キリンやカバ、ペンギンやゾウなんかも見て周り、いつの間にか15時前。お昼を摂るのも忘れ、時間があっという間に経ってしまった。園内で軽食を買って、休憩所で二人腰掛ける。びっちり歩き回ったおかげで、普段運動をしないわたしの足がパンパンになっていた



「こんなに歩いたの、久しぶりです!」


「会社勤めすると、なかなか運動できないよね。」


「そうなんですよねー。営業職ならまだしも事務方だと余計に。」


「おれも高校ほど運動はしなくなったかな。」


「でも担当した漫画家さんの資料集めってこうやって実際に足運んだりするんですね!ネットで集めたりしてるのかと思ってました。」


「え?あー、うん。まあ、そうだね。」



何だか含みのある赤葦さんの返答に首を傾げると、赤葦さんは困ったように頭の後ろを掻きながら、コーヒーをごくりと一口。ふう、と一息吐き出して、次いで放られる言葉たち



「実を言うと、まあ、資料集めは口実で。」


「え。口実、ですか?」


「都築さんの気分転換になればと思って。」


「気分転換?わたし、何か思い詰めてる感じでした?」


「いや、そういう感じじゃなくてホッとしたけど。木兎さんや黒尾さんにも様子見てくれって頼まれて。」


「様子、ですか…?」


「影山のこと、大丈夫?」


「…ああ、なるほど。」



だから時々ちらちらとこちらの様子を窺っていたのか。通りでやたらと目が合うと思った。なるほど、合点がいく。


どうやら赤葦さんが今日誘ってくれたのは、飛雄の記事を心配して、わたしの気分転換にでもなればと思ってのことだったみたいだ。木兎さんや黒尾さんも心配していたらしい。あの二人に心配されるなんてよっぽどだな。そこまで、落ち込んでいない、いや、落ち込んでいたけど、それなりに少しずつ浮上はしていて。この間は佐久早さんにまで大丈夫か確認されたし、今日は赤葦さんがこうして外に連れ出してくれて。こうやって周りの人たちが気を遣ってくれるのが擽ったくて、幸せなことだと思える



「頼まれたからっていうのもあるけど。」


「はい。」


「本音を言うと、おれが都築さんと出掛けたかっただけ。なんてね。」


「えっ。」



真っ直ぐわたしを見据えた赤葦さんの口から放たれた言葉に呼吸を忘れそうになった。



配役A、矢を射る。
ぐさりと刺さって、呼吸困難。


(あ、あの、あのあの…!)
(もうそろそろ、帰ろうか。)
(あ、えっと、そうですね、はい。あ、赤葦さん!)
(ん?)
(お土産、買いに行っても、いいですか?)


わたしの申し出に、「大丈夫だよ」と二つ返事で頷いてくれる赤葦さん。飲み終わったカップを捨てて、お土産コーナーへ向けて二人歩き出す。隣を歩く赤葦さんをちらりと横目で見て、先程言われた言葉を思い出し、何とも言えない気持ちになる。どういう意味だったのだろうか、と聞いていいものか悩んでいる間にお土産コーナーに到着。パンダのグッズが並ぶ隣に動物のストラップが置いてある。色々手を伸ばして見ていて、狐のストラップを見ていたら、横でそれを見ていた赤葦さんが「なんかそれ、宮に似てるね」と指差しながら言った。確かに、何となく似ている。色合いとか。高校も稲荷崎、だし。別にお土産なんて買う必要はないんだろうけど、何となく買ってあげようかな、と手に取る狐のストラップ。セクハラはされるが、色々と助けてもらっているのも事実で。今日誘ってくれたお礼に赤葦さんにも梟のストラップをあげようと二つ手にしてレジへ。ストラップがわたしの手の中で笑うように揺れた気がした。

あとがき


たまにはモテモテになってみる。
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