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「何飲むの。」


「あ、じゃあ、烏龍茶。」


「明日なんかあんのか?」


「いや、別にないけど。」


「じゃあ、生飲め、生。」


「えー…。」


「すいませーん、生二つ。」


「姉ちゃん、生もう一つ追加で頼むわぁ。」


「生三丁入りまーす!」



練習試合も終わり、一時解散して、埼玉県大宮駅で勇太郎と再度落ち合った。どうやらここら辺に一人暮らししているらしく、お店は勇太郎がチョイスしてくれたリーズナブルなイタリアン居酒屋。ここ最近アルコールで痛い目にあったことを考え、アルコールだけはやめておこうと烏龍茶を頼もうとしたのに、勇太郎に生ビールに変更されてしまった。ファーストドリンクを注文する声に被せて、なぜか隣に座る宮さんが追加でもう一つ生ビールを注文して、訪れる沈黙。それもそうだ。勇太郎からしてみれば、何故この人が、それも今日練習試合をしたばかりのよくわからない相手が一緒のテーブルにいるのかさっぱりわからないのだから。なんだったらわたしも何故宮さんがここにいるのかはわからない



「……宮さん、どうしてここに?」


「せっかく埼玉に来たんやから、何か食うて帰ろ思てな。たまたまや、たまたま。」


「だからって、なんで隣に、しかも同じテーブルに座ってるんですか。そもそも埼玉で何か食べようとしてイタリアン居酒屋っておかしくないですか?」


「一人で食うの寂しいやん?仲間に入れてえや。」


「……ごめん、勇太郎。この人、頭おかしいんだ。」


「頭おかしいって、誰のことや!」


「宮さん以外にいないでしょ!」


「おれは、別にいいけど…。」



全然良さそうじゃない顔でそんなことを言う勇太郎に苦笑を一つ。宮さんはそれを見てほくそ笑みながら「ま、おれのことは気にせんで」とか言っている。思わずいつもの調子で「気にするわ!阿呆!」と返してしまい、勇太郎が珍しいものでも見るかのように、こちらをまじまじと見つめた。何か、言いかけて口を開いた勇太郎の間に店員さんの「生でーす!」と言う元気な声と、テーブルにどんと置かれた生ビール三つ。打ち砕かれた言葉の代わりにそれぞれジョッキを手に持って、とりあえず、と何故かこの場に一番関係のない宮さんが乾杯の音頭を務め打ちつけるジョッキ


何だろう、このカオスな空間…。


肴として頼んだ枝豆を食べながら、ビールでそれを飲み下し、また枝豆に手を伸ばし、を繰り返す。その間、誰も口を開くことなく三人それぞれが同じ行動を取っていて、気まずいと言ったらありゃしない。目の前に座る勇太郎をちらりと見れば知り合いでも何でもない宮さんの手前、何を、どう話して良いか困っているようで、わたしも何をどう切り出してよいか悩む。三人の共通の話題なんて皆無なので仕方ないことだと思うのだが…そもそも本当に何故この人はここにいるのだろうか。たまたまと口では言っていたが見え透いた嘘にも程がある。真意が見えず、それが余計に困惑させている原因でもあった



「あー…で、何?」


「いや、さすがにここで切り出すのは気が引けるっつーか…うん。」


「そりゃそう、だね。」


「あー、うん。えっと、ムスビイの宮さん、ですよね。真緒とは、どういう関係で…?」


「真緒ちゃんの彼氏や。」


「違います。違うから、本当。変な誤解を広めるのやめてもらえますか?」


「何でやねん。何がちゃうねん。」


「何もかもですけど!宮さんはご飯を一緒に食べてくれる人なら誰でもいいでしょ。」


「そんなわけないやん!おれは真緒ちゃんが好きやから一緒にご飯食いたいだけなんやけど?」


「あー、はいはい。すごーい、嬉しいー。」


「自分こんな女やめとき。見たやろ?こないストレートに言うてもわからへんような女なんやから、自分の気持ちにも気付いてへんで。」


「こんな女とか失礼だな、本当!」


「あ、はは。」


「い、った!いったいわ、自分やめえ!」



人のことを鈍感だとか何だとか言う宮さんの腕をぐりぐりと拳で攻撃する。勇太郎に「ごめんね、この人失礼が標準装備されてて…本当もう無視していいから」と言って、話の続きを促すも、やっぱりわたしの隣にいる宮さんは気になるようで、「いや、後でいいわ」と苦笑しながらビールを嚥下した

しばらくは卒業した後のことについて、どうしていたのか話したり、勇太郎が埼玉の電気工事会社に就職して、V2のバレーチームでプレーしていることを聞いた。国見はバレーを辞めて一十一銀行に就職し、銀行マンをしているらしい。最近連絡を取り合うことがなかったので、みんなの近況はわからなかったが、みんなちゃんと就職して、なんだかんだバレーに関わっている人も多いみたいだった。思い出話に花を咲かせてたりしている間、宮さんは何も言わずに頬杖を着きながら、ビールを飲んで、ただ頷いて聞いていただけ。わたしはそれを横目で一瞥して、そういう置物みたいだなあ、なんて思っていると不意に宮さんと目が合って、「つまらないじゃないですか?こんな話」と言って苦笑を返せば、「いや?」とそうでもないよといった顔で笑った



「それで……影山と別れたの、いつだよ。」


「え?あー…3ヶ月くらい、前、かな。」


「ばっ、何でその間一言も連絡くれねえんだよ!」


「何か、言いづらくて…あんまり言い回るようなことでも、ないし。」


「しかも、3ヶ月前って…半年前からだろ、あれ。」


「……その頃には、別居状態みたいな、感じだったし。」


「何で言わないんだよ!」


「もう、相手いるし、ね、ほら。わたしたちは終わったこと、だから。」


「だからってなあ!」


「勇太郎…わたしのために怒ってくれてありがとね?」


「そんなんじゃねえよ!」


「ゆ、勇太郎…?」



ビールジョッキを力任せにダンッとテーブルに置いて、わたしを真っ直ぐ見据える勇太郎。その視線に、只ならぬものを感じて少し、怖い。頭に血が昇りやすい性格は昔からだけれど、それだけじゃない気がして、少しだけ引く椅子。わたしの反応を見て、苦虫を噛み潰したような顔で「悪い」とだけ。隣の宮さんは何も言わず、どこか違う目線で、それもつまらなさそうな顔でわたしたち二人のやり取りを見ていた



「……おれは、お前が幸せならって、色々我慢してきた。」


「う、うん。」


「お前が選んだのがあいつで、おれじゃないってのはわかってるし、ちゃんとわかってた。」


「…うん。」


「昔からずっとお前から目が離せなくて、影山がお前を泣かす度になんでおれじゃないんだって、思ってた。」


「そっか。」


「お前の花嫁姿を見るのがどんだけ苦しかったかお前にはわかんねえよな…!」


「勇太郎…。」


「でも、離婚したって聞いて、実はほんの少しだけ喜んだ自分がいるのが許せねえんだよ…!だから、そんな自分を正当化したくて、影山を責めてるのかもしれねえ。」


「うん。」


「…真緒。」


「はい。」


「おれは、お前が、真緒が好きだ。」


「……うん。」


「今すぐに真緒とどうこうなろうなんて思ってない。だけど、ちょっと、考えてくれよ。今度こそ、真緒のことをおれが幸せにするからっ。」


「勇太郎。」


「……おう。」


「ごめんね。」


「………。」


「わたし、しばらくは恋をする予定はないんだ。」


「でもっ。」


「疲れたんだ、そういうのに振り回されるの。わたしにとって、その10年はそれだけ、重たかったよ。」


「………そう、だよな。」



わたしは、きっと、もう恋ができないんだと思う。


勇太郎が初めて吐露してくれた気持ちは、嬉しかった。本当に、嬉しかったのは確かだけど、わたしはきっと、もう恋をしない。飛雄に裏切られたからじゃない。もう、そういうのに疲れただけで。今は仕事もあるし、毎日それなりに充実している。だから、とわたしの言葉にぽつり呟くように肯定した勇太郎の言葉がビールの泡に消えた。ふと、宮さんを見れば、宮さんは勇太郎を真っ直ぐ見据えながら「しんど」と一言だけ呟いた



あの日に恋心は置いてきた。
きみが出ていった、あの日に。


(悪い、急にこんな話して。)
(ううん、わたしこそ、ごめん。)
(おれじゃあ、お前を幸せにできないけど。)
(うん。)
(お前なりの幸せがあると、いいな。)


そう言ってビールをごくりと嚥下する勇太郎。何だそれ、あんた岩泉先輩に負けず劣らずの男前じゃん。実の所、勇太郎の気持ちに少しも気付かなかったわけではない。見て見ぬふりをしていたの。友達でいたかった、なんて自己中心的なわたしの考えで。そんなわたしはきっと、勇太郎を幸せにできないから。わたしだって思っているんだよ。勇太郎の幸せを誰よりも願ってる。でも、それは幼馴染として、友達として、で。それに、わたしには自信がないんだ。人を幸せにする自信が。あの日、「失望した」と言って出ていったきみの背中を何度も思い出す。その度に、わたしはきっとまた、誰かを失望させてしまうと思うんだ。勇太郎は前を向いているから、わたしと一緒に後ろを向く必要はない。なんて、これら全て言い訳に過ぎないことはわかっている。ただ、わたしはまだ、前を向いて、きみのいない世界を見るのが怖い臆病者なだけなんだ。

あとがき


勇太郎玉砕に未来の自分を見ているような宮さんの図。
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