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飲み会も終盤。赤ワインのボトルを2本空けたところで、やっとアルコールが回ってきた。ほろ酔い気味で、トイレが近くなってくる。先程お手洗いに立った園田さんが戻ってきて大丈夫か聞かれたので頷けば、この後の二次会をどうするか確認された。ちらりと飛雄を見遣る。別に飛雄が参加しようがしまいがわたしには関係ないが、何となく気になって。どうしようか迷いを見せるわたしに園田さんはニコニコしながら「また後で聞くね」と言って席に戻っていった


飛雄は、参加するのかな。


わたしは参加しないつもりでいるけれど、飛雄はどうするんだろう。もし、飛雄が参加するのであれば、と変な考えが頭を過ってフルフルと小さく左右に頭を振れば、ゆっくり回っていたアルコールが一気に回り始めてくらくらし始めた。やばい、と隣にいる男性に「ちょっと、お手洗いに行ってきます」とだけ告げて、覚束ない足取りでお手洗いを目指す。背中越しに「ついて行こうか?」なんて声をかけられたけど、ついてくるって女子トイレにか?と何を言っているのか意味がわからなかったので丁重にお断り。何とか足に力を入れて転ばないようにするのが精一杯で、トイレに続く細い廊下の壁に手をついて、少し休憩。ふう、と息を吐き出して目を瞑るとその場で寝そうになり、いかんいかんと慌てて目を開けた



「おっと、本当に大丈夫?」


「え、あ、はい。ごめんなさい。大丈夫です。」


「大丈夫じゃなさそうだけど。」


「いやいや、これぐらいどうってことないですから。」



トイレへ歩き出そうとしてもつれる足。履き慣れないヒールに足を取られて前のめりになる体を後ろから追ってきていたらしい隣の男性がわたしの腰を持つようにして支えた。その手つきが何だか気持ち悪くて、ぞわりと背筋が凍る



「そう?結構酔ってるみたいだよ。」


「あ、本当大丈夫なんで、あの、ありがとうございました。それよりも手、離してください。」


「ねえ、真緒ちゃん。」


「ちょ、手。」


「おれ、本当に真緒ちゃんがタイプなんだよね。」



その話は何回目だ。この数時間で聞き飽きた言葉に溜め息が出そうになって飲み込む。一層のこと、ゲロを吐いたらこの人の手は離れるんだろうかとも考えたが、それはあまりにもお店の人に迷惑がかかり過ぎるかと思い留まる。しかしながら、腰に回された手をどうしてくれようか。悶々と考え、黙っていたのがよくなかったらしい。抵抗されないことをいいことにぐいっと引き寄せられて密着する体。アルコールで上手く力が入らず、身を捩って体を離そうとするも攻撃力0、むしろ、マイナス値の今のわたしの力ではあまり意味がなかった。


なんで初対面の人にベタベタと触られなければいけないんだ!


宮さんだったら一発グーパン決めているところだが、園田さんのこともあって躊躇してしまう。何とか離してもらおうと、足に力を入れて踏ん張り、力の限り押してみても、男性の力に敵うはずもなく、近づいてくる男の顔を避けるように逸らすしかできない。耳元に当たる息でぞわりと粟立つ肌



「おれ、介抱するの得意だし、どう?」



どうってなんだ!介抱するの得意って何?!というか、それよりもトイレに行きたいんですが!!


ぐわんぐわんと揺れる視界の中で、本当に勘弁して!とグッと拳を握り締め、何とか振り解こうとするも上手くいかない。耳元から首筋に移動して、触れられそうになり、ああ、もう無理、と思った瞬間に、ぐらりと視界が揺れて、引かれる腕。腰の辺りにあった手のひらの感触がなくなって、代わりに背中に当たる感触と、頭上から降ってくる声に心臓が跳ねる



「嫌がってんだろ。」


「あ、影山…何だよ、お前別の子と仲良くしてただろ?その子はおれが先に目をつけてたんだけど。」


「目をつけるのは勝手だけど、無理矢理は良くねえだろうが。」


「無理矢理って人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ…ね、真緒ちゃん。」


「いや、あの。」


「大体影山はあそこからいくらでも好きな子を持ち帰りでも何でもできるだろ?真緒ちゃんはお前に興味なさそうだったし、おれとずっと話して交流深めてたんだから横取りすんなよ。」


「つーか、真緒ちゃん真緒ちゃんって気安く呼んでんじゃねえ。」


「は?」


「先に目をつけたとか知るか。これは、昔からおれのなんだよ。」


「え?」



視界が揺らぐ。引っ張り回されて色んなことがジェットコースターのようで頭がついていかない。ぐらぐらしている世界できちんと捉えられたのは、真っ黒で、真っ直ぐな前髪。頬に添えられた手に、わたしの体を支えるように抱えられた腰。そして、唇にぶつかる温もり一つ。あの人と同じことをされているのに、どうしてだろうか。気持ち悪さなんて微塵もなくて、むしろ、なんて言うか、心地良ささえ感じるのは



「んっ、ちょ、ちょっと、まっ。」


「…続きでも見てくか?」


「何だよっ、くそ。」



挑発するように放った飛雄の言葉に、悪態をついて舌打ちを一つ残し、去っていく背中。見えなくなるまで見送って、離れる温もりが少しだけ名残惜しい。聞きたいことはたくさんあるのに何から聞けばいいのかわからない。そんなわたしを他所に飛雄は何も言わずに、はあ、と溜め息を一つ吐き出し、わたしの腕を掴み、しっかりとそこに立たせてくれて、更に「小便、行くんだろ」と言って、腕を引いてトイレに案内までしてくれる。

いや小便て…確かにそうなんだけど、一応わたしも女なのでそうストレートに言われるのは、と突っ込もうとした瞬間、飛雄が男女兼用のトイレのドアを開け、ポイっとわたしの体を中に投げ込み、次いでピシャリとドアを閉めた。投げ込まれた際に備え付けの洗面台に肘を強かにぶつけて涙目。もう少し優しくしてくれてもいいと思うんですけど!と思いながらも、ふらつく足で便器に向かいショーツを下ろそうとして手をかけるも、ストッキングのせいで上手く下ろせない。このままでは大人としての尊厳が失われてしまう。もう恥もへったくれもないと意を決して、一縷の望みにかけドアの向こうへ声をかけてみる



「あの、と、飛雄、さん?そこにいます?」


「……何だよ。」


「本当にとっても…とっても申し訳ないんですが…パンツ下ろして、くれません、か。」


「………………はあ?」



長い沈黙の後に発せられた一音。よくわかる、よくわかるよ。わたしも自分で何言ってんだ、と思いながら言ってるから。いやいや、でもほら、こんなこと飛雄にしか頼めないでしょ。お漏らしなんかしてあっちに戻れるわけないじゃん、わたしだって大人だよ一応。パンツ一枚下ろせない女が何言ってんだって話なんだけど、さ


ドアの向こうですっごい顔してるんだろうな…眉間に皺寄せてさ。


見なくても何となく想像できて、落ち込む。それでも尿意はすぐそこまで迫ってきていて、背に腹は変えられない。「早くして!」と切羽詰まった声で再度飛雄に声をかけると、はあぁぁぁあ、と深くてとてつもなく気合の入った大きな溜め息を吐いて、ドアを少し開け、そこからするりと体を滑り込ませる。入ってきた飛雄を見上げれば「何やってんだよ、ボケェ!」と叱られて、こんな時になんだが少し懐かしささえ感じた



「真緒、酒弱いなら飲むんじゃねえよ。」


「飲まないとやってらんない時もあるんだよ。」


「知るか。コントロールできないなら飲むなよ。」


「はいはい、パンツを下ろせる程度にしときますよ。」


「それだけじゃなくて。」


「トイレ、していい?もう限界。」


「はあ。勝手にしろ。」


「で、出ていってよ。」


「パンツ下ろせねえ奴がパンツ上げれんのか?」


「……そうですね、すみません。」



居た堪れなさに沈黙ができないよう話しかけ続ければ、一応答えてくれる飛雄。フレアスカートの中に手を突っ込まれる。太ももに触れた飛雄の手が冷たくて思わず声が漏れた。そんなわたしには構わず、ショーツとストッキングを一気に下されて、早くしろと言わんばかりに顎でしゃくって指示される。「せめて後ろ向いてよ」と言えば「言われなくてもそうするっつーの」と言いながらくるりと体を反転。用を足して、水洗すれば、またこちらを向いた飛雄がショーツを上げてから、慣れない手つきでストッキングを上げる。ストッキングを上げる際に図らずとも密着してしまう体。顔を上げれば、思ったよりも近くに飛雄の顔があって、びくりと肩が跳ねた



「あ、ああありがとう。ごめん、あの、もう、大丈夫、です。はい。」


「真緒。」


「え、な。んっ。」



返事は、噛み砕かれて跡形もなく消え去る。ぐいっと引き寄せられた腰により一層密着する体。密着度が増すのに比例して、深くなる口付けに、酸欠とアルコールで頭がぼーっとしてきて。酸素がうまく回っていない頭で、ちらりと過ぎる、あの、記事。そして、さっきあの人に放った言葉を交互に思い出して、これはダメだ、流されてはダメだ、と突き放そうにも手を洗っていない。さすがにこのまま触れるのは気が引けて、お手上げ状態でなすがまま



「んっ、んーっ!」



訴えようにも口を塞がれてしまっては無理がある。ぬるりと入ってくる飛雄の舌を押し出そうともがくわたしの舌をいとも簡単に絡め取って、わたしの口内を蹂躙しつつ、くるりと体を反転して、ドアに押しつけられる手首と背中。がたりとドアが鳴るのも構わずに強い力で押さえつけられて手首が痛い。なすすべもなく受け入れるしかない状況で、不意に離れた顔。肩を上下させてわたしを見下ろした飛雄が、わたしの肩口に顔を埋めて、ガブリと歯を立てる



「痛っ。」


「……これでチャラにしてやる。」



パッと離れる飛雄の手。わたしの肩を押して、ドアから遠ざけ、開いたドアから出て行く。閉じたドアにふらふらと背を預け、首筋を手が触れないように腕で押さえて



「な、何なのよ。」



訳がわからないまま熱くなっていく頬と首筋。こんな情けない顔のままでは戻れないな、と覗き込んだトイレの鏡に映るわたしの首筋に噛みつかれた歯形と何とも言えない気持ちだけがそこにくっきりと残された



深い痕が残るだけ。
それ以外、きみも、何も残してやくれない。


(都築ちゃん、長かったね?)
(あ、す、すみません。)
(大丈夫?)
(だ、大丈夫です!)
(そう?顔、赤いけど。)


結局顔の赤みは消えずにそのまま。残された歯形は、上げていた髪を下ろして隠すことにした。顔が赤いのは、きっとアルコールのせいだ。そう自分に言い聞かせるけど、どうしても意識してしまうきみのこと。じんじんと痛む首筋を押さえて、はあ、と溜め息を一つ。そして、ちらりときみに目線を送っても交差しないことに落胆なんかして馬鹿みたいに。隣の男性はもうわたしのことはガン無視で違う人に狙いを定めたみたいだ。きみはわたしのことなんか見えてないかのように、周りの女性と談笑なんかして。思わずワインボトルに手を伸ばそうとして逡巡。はあ、と溜め息をもう一つ。そして店員さんを呼び止めてお水を一杯。馬鹿みたいに振り回されてるな、と思いながら、ごくりと運ばれてきた水を一口。喉元を通過する冷水で少しでもこの頬の熱が取れたらいいのに、なんて願ってみた。

あとがき


酔ってるとたまにタイツとか下ろせないことあるよね?ね!

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