17
期待をした。追いかけて来てくれたのは飛雄なんじゃないか、と。でも、振り返った先にいたのは飛雄じゃなくて、宮さんで。「なんで、宮さんがそんな顔、してるんですか…。」
「………。」
「泣きたいのは、わたしの方ですよ。」
「…すまんかった。」
「それなのに、自分の方が傷ついてるみたいな顔して!ずるいですよ!!そんな顔されたら責められないじゃないですか…!」
「真緒ちゃん、あんな。」
「そんな顔するならしないでくださいよ!」
「真緒ちゃんっ!」
「もう、なんで追いかけてくるんですか!放っておいてくださいよっ。」
「自分が放っておけないような顔するからやろ!」
「はあ?!」
意味がわかんないですけど!責任転嫁か!!
宮さんがあんなことをしなければこんな思いはしていないわけで。それなのに、なんでわたしのせいだと言われなければいけないのだ。宮さんのせいなのに、ひどい責任転嫁だ。何言ってんだ、と眉間に皺を寄せて、宮さんを睨めつければ、宮さんも眉間に皺を寄せて「あー!もうあかん!」と頭を掻きむしりながら舌打ちを一つ。何なのだ。そんな態度を取りたいのはわたしの方だというのに、なぜ宮さんにわたしがそんな態度を取られなければいけないのだ。合点がいかない
「自分、泣きそうな顔、しとったやろ。」
「…してません。」
「してたやろ!…飛雄くんに近寄っていく女の人見た時。」
「べ、別にっ。」
「その顔、ムカつくんじゃ。」
「ちょっ!」
何でムカつくとか、そんな罵られなきゃいけないんだ、と言い返そうとしたのに、言い返せなかった。急につかつか歩み寄ってきて、逃げる間もなく、ぐいっと引かれた腕。抵抗する準備をしていなかった体は、そのまま宮さんの腕の中へと招き入れられる。わたしの肩口に顔を埋めるかのように強く引かれる体。掻き抱かれているせいで、背骨が軋む音がした
また性懲りもなく!ていうか、苦しい!!
抵抗ができないほどの力で腕の中に閉じ込められて、ぎゅうぎゅうと締め付けられる体。首筋に当たる宮さんの吐息にぶるりと体が震えた。わたしを掻き抱く腕は強くて不器用なのに、そっと壊物でも扱うかのようにわたしの髪を撫でるその手は優しくて、抵抗を試みていたわたしの視界がなぜか段々と歪み始める。ずるい、と思った。泣きそうな顔で文句を封じ込めるわ、その手の平の温かさで泣かせようとするわ、これに何人の人が騙されたのか。詐欺師の手口は怖いなと舌を巻く、いや、この泣きそうな感覚は背骨が軋んでるからなんだとかくだらないことをぐるぐると頭で処理したりなんかして。そうしていないと今にも涙が溢れ出そうで
「……やめてくださいよ。」
「嫌や。」
「セクハラですよ。」
「業務時間ちゃうし。」
「ごちゃごちゃうるさいな。とにかく離してください。」
「いーやーや!自分こそうっさいな。」
駄々をこねるように言う宮さんに呆れて、溜め息が一つ溢れ落ちる。それと同時に、頬を伝って流れた涙が、宮さんの上着を濡らした。別に泣きたくなんてなかった。泣こうなんて思ってなかった。でも、なぜか涙が出て、止まらない。そんなわたしを見兼ねて、自分の胸にわたしの顔を押し付けるようにして宮さんの手が後頭部に回り、力が込められる。髪の毛の間を縫うように差し込まれた宮さんの指がくしゃりと音を立てて、わたしの髪の毛を乱した
「窒息死しそう。」
「するか、あほ。」
「髪の毛ぐちゃぐちゃにされるし。」
「最初からぐちゃぐちゃやったろ。」
「失礼な!ちゃんと整えてるわ、ボケェ。」
「ははっ。いつもの真緒ちゃんやな。」
「はあ?どういう意味ですか、それ。絶対失礼な意味でしょ!」
「どうやろなあ?」
「はああああ!ムカつく!」
ひどい言われようをしていることに気合いの入った溜め息と合わせて、ムカつくと言えば、宮さんはさらに笑い声をあげた。つられて、わたしも思わず笑い声をあげれば、宮さんがびっくりしたような顔をして、次いで、わたしの頬に手を這わす。近づいてくる宮さんの顔
「ぐえ。」
近づいてきた宮さんの顔をぐいぐいと下から押し上げた。ついでにわたしの頬に這わされた宮さんの手の甲をつねれば「いっ、たいな!何すんねん!!」と宮さんが声をあげた
油断ならないな、本当!
いつの間にか乾いてしまった涙に絆されてやるほど、軽い女ではない。大体、今いけると思われたことが心外なんですけども。そりゃあ、宮さんはおモテになるでしょうし、今まで上手くいっていたかもしれないけれど、わたしは違う。宮さんに好意を持って近づいていた女の人たちと違う。雰囲気だけに流されるなんてしない。まあ、さっきは突然のことで対処できなかったけど、何回も許してたまるか
「何でや!今、良い感じの雰囲気やったろ!!」
「ハッ!どこがですか?自惚れるのも大概にしてくださいな!」
「自惚れてへんわ!隙がある自分が悪いんちゃう?」
「はあ?!隙があれば誰彼構わず手を出すんですか?何それスケコマシか!」
「真緒ちゃん、スケコマシ好きやな!」
「別に好きじゃないです、あほか。」
「何やねん、人が元気付けよ思たら!そういうとこ自分、ほんま可愛くないで!」
「元気付け方がおかしいんですよ!自分とキスしたら元気になると思ってるとかどんだけですか!引くわ!!ていうか、いい加減離してください。」
「えー?」
「叫びますよ。」
チッ、と小さく舌打ちを一つ。そしてパッと手を離して、そのまま上へ挙げると、まるでお手上げポーズをしながら宮さんは「これでええんやろ?」と言う。最初から叫ぶと言えば良かった、と思いながら「そうですね」と返せば、「可愛くない返答やな!」と宮さんが唇を尖らせながら言う。全然可愛くないし、どちらかと言うと薄ら寒さを感じるからその顔は本当にやめた方がいいと思う
本当に不本意だし、こんなこと思いたくないし、認めたくないんだけど、でも。元気が少し出た。感情のベクトルが違う方を向いたから。たぶん。だから、少しだけ、ほんの少しだけ元気が出たんだと思う
「宮さん。」
「何や?」
「…ありがとうございます。」
「え、何。何のお礼!?え?!」
「教えてあげません。」
だから、お礼を一つ。まださっきのことは許してあげないし、許せないけど。元気が出たのは確かだから、それに対してのお礼だ
何のお礼なのかわからず、混乱している宮さん。そうだ、少し困れば良いのだ。教えてあげないといえば、「何なん?ちょ、気色悪いんやけど!」と言われた。なんだ、気色悪いって。本当失礼だなこの人は!
「はあー。疲れたし。かーえろっと。」
「え、帰るん?ご飯は?食べに行く言うたやん。」
「は?行くなんて言ってないです。」
「何でや!一人で飯食うたら寂しいやんけ!」
「寂しくないですし!」
ぎゅうぎゅうと締め付けられて体が縮こまっていたからと、伸びを一つすればぼきぼきと体の至る所で骨が鳴った。いつの間にか宮さんとご飯を食べに行く約束をしていたらしい。全く身に覚えがなかったので、「行くなんて言ってない」と言えば、宮さんがぶうぶうと文句を連ねる
「大体いい大人が一人でご飯食べられないって…普段どうしてるんですか。」
「……うん、まあ、色々、あるやろ。な?」
「うわあ。」
「いや、ちょ、なんか誤解してるやろ?ほら、おみおみとかぼっくんとかおるから!」
「うわあ。」
なるほど、やっぱりこの人はスケコマシだ。ひどい女たらしだ。
変な間を持たせて発した答えに色々察する。うわあ、とドン引きして見せれば慌てて否定してくるあたり余計に怪しい。そもそも、わたしなんかに弁解する必要ないのに変なの。でも、必死に弁解しようとする宮さんの姿に思わず吹き出してしまう。それを見て、何を必死になっているのか我に返ったようで宮さんも笑った
「なあ、真緒ちゃん。飯、食うて帰ろ?」
「どんだけ寂しがり屋。しつこ……はあ。もう、仕方ないですね…宮さんの奢りですよ。」
「ええでー!」
「よっしゃ、じゃあウルフギャングのステーキで!」
「ちょ、いや、待ちぃ!あかん!お店はおれが決める!!」
「ステーキ、ステーキ!」
「真緒ちゃん?!」
「待ってや!」と追いかけてくる宮さんに逃げるように駆け出す。ヒールが少し、軽くなってた。
仕方ない、と溜め息を一つ。
そして二人歩き出す、赤提灯街。
(なんでまた焼き鳥屋なんですか。)
(ここ、美味いやろ?な?な?)
(美味しいですけど…。)
(何が不満なんや。)
(ステーキ……。)
ステーキの口になっていたのに、宮さんに連れられてきたのはこの前の焼き鳥屋さん。確かにリーズナブルなお値段なのに、かなり美味しい。特にレバーや砂肝、ハツといった内臓が新鮮らしく美味しいのだが、未だにステーキへの想いを捨て切れず口から溢れた恨み節に宮さんが苦笑い。ステーキへの想いを吐露しつつビールを呷るわたしの頭を撫でながら宮さんが「ほな、次はステーキ行こな!」と笑う。くしゃくしゃになってしまった髪の毛を直しながら「次なんてありません」と言うと「ほんま可愛くないな!」なんて言う。なんでそんなにわたしとご飯行きたいとか言ったり、やたらと絡んでくるんだ。意味がわからない。ドMか?再度ビールをググッと呷って、宮さんを見据える。そして口を開いた。「なんでそんなにわたしに絡んでくるんですか」と。宮さんは困ったように「何でやろうなあ」と言いながら笑ってた。あとがき
あれ、影山どこいった!といつも思う。