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「本当困りますって!」「そこを何とか!」
「助けて課長ー!」
「ハハハ。」
フロアに響く課長の笑い声。がっくりと項垂れるわたしを他所に明暗さんはにっこり笑って課長に「ありがとうございます!」と一言。何が、「ありがとうございます」、なんだ!これは立派な人攫いではないか?おかしい、おかしいよ!なんで明暗さん、わたしの腕を掴んで引っ張っているの?どんどん課長が小さくなっていっている気がする…がどうやらそれは気のせいではないらしい
なんでこうなるのよ!
ちょっと手伝うぐらいならと思っていたがまさか今日も、とは!わたしにはわたしの業務があるんですと何回説得をしても、課長には了承得てるからと言われては何も言い返せず。いや、これはもう派遣会社に相談案件だ。業務改善されないのなら更新しなければ良い、そうだ、そうしよう!
「で、ちょっと相談なんやけどな。」
「相談したいのでしたら、まず腕を離していただけると穏やかな話し合いになるかと。」
「ああ、すまんすまん。」
「はあ。」
結局練習場前で掴まれていた腕が解放される。ぐるぐると肩を回して異常がないか確認。か弱い女性の腕を屈強なスポーツマンがぐいぐい引っ張るとはどういうことだ。か弱いんだぞ、一応。一応な。
「お、真緒ちゃん、来たんやなあー。」
「うわ、面倒臭いのが出てきた。今すぐ帰りたい。大体自主的に来たんじゃなくて、無理矢理連れて来られたんです。間違えないでくれますか?」
「なんや偉い怒っとるなあ。」
「誰のせいで!」
「あ、もしかして生理なん?」
「せっ……宮さんのせいだよ!!」
練習場に付いているミーティングルームで明暗さんの相談事とやらを聞こうとして、中に入ると、おにぎりを頬張っている宮さんに遭遇。思わず舌打ちをしてしまった。いかんいかん。この人に関わると碌なことがない。いないものとして無視をしよう、そうしよう。そう思ったのに向こうからやたらと絡んでくるもんだから、条件反射で言い返せば、楽しそうな顔で「生理?」とか聞いてくる。ここまでくると変態ではないか?ていうか、わたし先日あなたのことを思いっきりグーパンしたけど覚えているのかな。それでもやたらと絡んでくるってことはもう辛辣な態度を取られるのが嬉しくって仕方がないドM野郎だということ?やっぱりこの人変態ではなかろうか。いや、その前にセクハラ魔神だわ。
「いやー、宮と都築さんが揃うと賑やかになってええな!」
なんてポジティブなんだ!
この雰囲気のどこが賑やかというポジティブな言葉に変換されるのか。不思議で仕方がないが、突っ込むと面倒なので、ツッコミは心の中だけにしてスルーを決め込む。明暗さんはニコニコと上機嫌でなぜか宮さんの隣に座るように勧めてきたけど、軽くスルーをして一番遠い席に座った。それに対して宮さんが何やらぶうぶう文句を言っているがわたしには聞こえない。明暗さんはそのやり取りにまた楽しそうな顔をして「さてと」なんて言いながら自分も椅子を引いて座り、わたしの顔を真っ直ぐ見据えた
「都築さんって派遣やったよな。」
「はあ。」
「時間精算やし、今のままじゃ色々と支障が出ると思うんや。」
「まあ、そうですね。正直すごく困ってます。」
「はっはっは。そこでちょっと相談なんやけどな。」
「うわ、なんかすごく嫌な予感。」
「次の派遣更新のタイミングで正社員雇用とかどや?」
「……は?」
「給与も安定するやろし、福利厚生も充実しとる。ちなみに給与は今よりもアップすることを保証すんで。これは経理部の課長にも了承得てるよ。」
そんな上手い話があるわけがない。ていうか、この話を明暗さんがしているということはそういうことでしょ。わたしに正社員としてムスビイ社に入社してサポートメンバーをやれって魂胆だ。だが、わたしにはそれをする気は全くもってない。全くないが、正社員という餌は金欠の元専業主婦にとって非常に魅力的なものであるのも事実で
また、バレーに関わるのは、ちょっと。
延長線上に飛雄の姿がチラチラ。それにムスビイブラックジャッカル的にもどうなんだろうか?わたしの存在って疎ましくないんだろうか。だってアドラーズの影山飛雄の元妻なんて密偵とか思わないの?絶対繋がりあるのは明白じゃん。まあ、チームの脅威になるような繋がりなんざ全くないんだけどさ
「お断りします。」
生唾を飲み込んで、放った言葉。正直結構揺らいだが気持ちはもう固まっていた。先日少しだけだがお手伝いをして楽しかったのは事実だ。昔のことを思い出して少しだけ胸が痛くなったけど、わたしは心底バレーが好きだというのも自覚した。飛雄のいない世界でも、わたしだけの世界でも、バレーはきらきらの一部。それでも、この提案は受けられない
「あの、業務時間外に時々手伝うのはいいですから。」
「そっか。残念やな。もし考えが変わったらいつでも言うて。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
明暗さんは困ったように笑いながら「おれは着替えてくるから」と言って、ミーティングルームを後にする。残ったのはおにぎりを頬張り終わった宮さんとわたしの二人。なんで二人きりにするんだ、気まずいではないかと明暗さんを恨めしく思ったが着替えがあるのでは仕方ない。いや、そもそもわたしはこの後どうすればいいのか逡巡したが、課長にも了承得てるらしいから、今日はこのままこのサポート業務を行うしかないか、と溜め息を一つ
「真緒ちゃん。」
がたりと椅子が鳴るのとほぼ同時に、わたしの名前を呼ぶ宮さんの声がミーティングルームに響いた。急に名前を呼ばれたことにびっくりして、肩が小さく跳ねる。宮さんは席を立つと、キュッキュッとバレーボールシューズ特有の、床を擦る音を響かせながらわたしの方へと近付いてくる。不意に近付かれると逃げたくなるのが本能というやつで。反射的に椅子を立ち上がって後退。それに構わずにじり寄ってくる宮さんに逃げるようにわたしも後退りをして、トン、と背中に当たる堅い壁の感触
な、なんなんだ!
追い詰められてるこの状況に居た堪れなくなって、この部屋から飛び出そうとしたわたしの退路を断つ宮さんの腕。反対側へ、と方向転換した方にもすかさず宮さんの腕が伸びて包囲される。なんだ、これは。もしかして昨日の仕返しか?そんなまさか。身長差故に、宮さんはわたしを見下ろし、当たり前だがわたしは宮さんを見上げる形で数秒視線が交差した
「な、何ですか。」
「逃げられると追いたくなるやん?」
「いや、最初に迫ってきたのは宮さんの方でしょ。退いてくださいよ、邪魔です。セクハラで訴えますよ。」
「追わせてるんは自分やろ。」
「意味わかんないですし。」
「……なんで、利用せえへんの?」
「はあ?」
「自分、正社員になれるんやで。賢く利用したらええやん。」
一瞬、宮さんが何を言っているのかわからなかったが、続けて放たれた言葉で理解をした。先程、明暗さんの申し出を断った件についてだ。ぶっちゃけ、いい話であることは間違いない。派遣から正社員なんて、今のご時勢そうないことだ。不景気の昨今、派遣切りだって普通にあるのに。それなのに、何で断るのかということを宮さんは言いたいのだと少ない言葉の中から察した
「…確かに正社員はおいしい話ですけど、そんなことしたら……顔向けできないですし。」
「自分、ほんまイイ子ちゃんやな。」
わたしの少ない言葉で、言いたいことを理解したらしい宮さんが返したのは、棘のある言葉たち。宮さんの「イイ子ちゃん」が、褒め言葉ではないことぐらいわたしにもわかる。この間も思ったが、何なのだ。宮さんにこんな言い方をされる謂れはないはず…だ。まあ、確かにグーパン決めたりはしたけど、それよりも前にひどい言い草をしたこともあったけど、こんな棘のある態度は取られていない
「まあ、自分が思うてるほど、価値ないで、それに。」
「でも、それがなかったらわたしに目なんか向かなかったと思いますし。」
「きっかけはそうかもしれへんけど、正社員雇用してまでサポートメンバーにしたいと思わせたんは、自分なんちゃう?」
「え?」
「あんま固辞しとると損すんで。利用できるもんは賢く、且つ、最大限利用しいや。」
「はあ。」
「自分が評価されたら、自分が利用した者も評価されんで。」
「…なるほど。確かにそういう見方もありますね。」
なんだか癪だが宮さんのその言葉は後ろ向きだったわたしの気持ちを少しだけ前向きにしてくれた。一理ある、と素直に認めれば、また「ほんま自分はイイ子ちゃんやね」と笑われた。同じ言葉なのに、さっきとは違う響きを伴っていて。さっきのはなんであんな言い方になったのかわからず、少しだけの違和感を残して複雑な気持ちになった。
小石を投げたのは。
わたしか、それともあなたか。
(それにしても、ええ眺めやね。)
(…叫びますよ。)
(まだ何もしてへんやん。)
(まだ…?)
(ちょ、ま、言葉の綾やって!)
大きく息を吸って思いっきり叫ぶ準備を整えるわたしを見て、宮さんがすかさずわたしの口に手をやり堰き止める悲鳴。仕方ないので唾液と一緒に飲み込んだら、ホッと息を吐いて手を離す。意地悪な態度や余裕綽々としていた宮さんが慌てふためいていたのが何だかおかしくて、思わず吹き出すわたしをきょとんてした顔で見下ろした宮さん。物珍しいものでも見たという態度が癪に障る。「何ですか、その顔は」と言うと、宮さんは「自分のその顔、ええね」と笑って言う。あまりにも屈託なく笑うもんだから調子が狂って仕方ない。調子は狂わされるし、なんか惑わされるし、何だかムカムカと段々腹が立ってきたので、近くにあった宮さんの顎めがけて手を伸ばし、思いっきり上に押し上げた。あとがき
最近影山出てない。賢く生きるのが一番難しい。