09
何でまたわたしはこんなとこに…。「真緒ちゃん、何飲むー?」
「水。」
「芋焼酎ロックやな、了解。」
「やっ、ちょ、嘘嘘!ジンジャエールで。」
「すんませーん!生二つ!」
「ちょ、ちょっと宮さん!」
勝手に頼むなら最初から聞かないでよ!
何を飲みたいか聞かれたから、早く帰らせろの意味を込めて水を要求したのに、わたしの細やかな抵抗は泡沫に帰した。渋々伝えたソフトドリンクの注文も却下され、生ビールを注文する宮さんの声が響く
そもそも、だ。なぜわたしが宮さんとこうしてサシで呑まないといけない状況になったか、というところからだ。経費精算も何とか終わり、部長や課長、河村さんに挨拶をして会社を後にしたのが18時3分のこと。ずっと同じ体勢でいたからか、すっかり凝ってしまっていた肩を回しながら会社の自動ドアを潜ったところで、にこやかに笑う宮さんに丁度回していた肩を掴まれ、拉致するかの如く連れ込まれたのがなかなか渋めの焼き鳥屋。若者はおらず、仕事帰りの中年サラリーマン御用達のお店のようだ。この間の定食屋と言い、この焼き鳥屋と言い、こういう渋めのお店が宮さんの好みらしい
「はい、かんぱーい。」
「……乾杯。」
運ばれてきたキンキンに冷えたビール。渋々といった体でグラスを打ち付けながら乾杯。小麦色の誘惑に負けて、ごくりと一口嚥下したそれは、キンキンに冷えていたこともあり喉をするすると通過して、きゅうっと喉元を締め付ける。つい素直に「あー、美味い」と言えば、宮さんは「自分はほんまに素直やなあ」なんて言いながらケラケラと笑った
ビールを運んでくれた店員さんに串盛り合わせと肴を何品か頼むと、ビールに夢中になっているわたしに宮さんが「で?」と声を掛ける。で、ってなんだ、で、って。頭の中で話の繋がりが見えず、ぐるぐると思考を巡らせるも思い当たるものはない。結局、答えは出ないし、考えることはやめて宮さんに聞くという結論に。仕方ないと言わんばかりに、ビールをテーブルの上に置いて、宮さんに向き直る
「で、って何ですか。」
「だから、昨日は誰とお楽しみやったん?」
「……何もないですぅー。」
「はい、嘘ー。」
「うっ。て、ていうか、宮さんには関係ないじゃないですか!」
「えーなんてー?そないつれないこと言うなやー。おれと真緒ちゃんの仲やろ!」
「なんだ、この暖簾に腕押し感…。」
ぶっちゃけ、宮さんには何の関係もないのに、何でこんなに追及を受けなければいけないのか。いや、全く関係ないとは断言できないのが辛いところだが、昨日の件に関しては関係のない話であることは明白だ
「そんな目立つところに痕付けといて、何もないは嘘やろー。」
「わたしが付けたんじゃありません。」
「あ、何かあったんは認めるんや?」
「……はあ。」
「自分のその顔、好きやわぁ。」
「ほんっと、いい性格してますね!」
「褒め言葉、おおきにー。」
それ以上突っ込むのも面倒になり、もう汗をかき始めたビールジョッキに手を伸ばした。それ以上話すつもりはないというポーズでもある。半分ほど残っていたビールを一気に飲み干して、料理を運んできた店員さんにお代わりを二つ要求。宮さんのジョッキにはまだ半分以上も残っているがお構いなし。「ペース早っ」という宮さんの声も無視だ
「真緒ちゃん、意外と遊んでるやん。」
「は?」
「一夜限りとかないって言うてたやんか。」
「は?ないですよ。」
「え、何、じゃあ、もう彼氏作ったん?誰、赤葦とか?」
「何で赤葦さんなんですか。」
「この間の飲み会でやたらと仲良しさんやったし。」
「あの場にまともな人は赤葦さんしかいなかったじゃないですか。」
「おれもおったやろ。」
「は?」
「は?」
何言ってるんだ、この人は。
さも自分はまともだと言いたげな宮さんに、眉を顰めて、ありえないといった顔をすれば、それに負けじと心外だという顔をする宮さん。まさか本当に自分はまともな部類の人間だと思っていたのか。今までの自分の行動を振り返ってみて、どうやったらそう思えるのか不思議で仕方がない
ていうか、そもそもなんで赤葦さんの名前が出てくるのか。わたしのそういう人の選択肢はバレー繋がりしかないのか。いや、まあ、宮さんと共通している男性と言えばバレー繋がりしかないのは確かなんだけど…もう懲り懲りだし。飛雄が飛び抜けてストイックなバレー馬鹿だったのかもしれないけれど、日本の代表として戦う人や学生という身分を離れ、社会人になってもバレーを続けている人は、結局飛雄に負けず劣らずのバレー馬鹿だと思う。だってそうじゃなかったら続けられないし。それを支えるしんどさはもうしばらくは遠慮願いたい。というか、もう味わいたくない。そう、思っているのは本当なのに、なんでわたしは昨日飛雄と。今考えても自分の行動には矛盾しかないな、と反省しつつ、それをビールで飲み込んだ
「おれも付けてへんしなあ。」
「うわ、サラッと嫌な爆弾発言やめてくださいよ。」
「赤葦もちゃうんやろー?」
「犯人探し、だめ、絶対。それに、わたしは答えませんよ。」
「え、もしかして飛雄くん…とか?」
「………。」
「まじか。」
絶対当たらないと思ったのに、なんで当てちゃうかな、この人は。しかも思わず黙ったわたしを見て正解を確信している。本当に嫌な人だ。
「自分ら別れたんちゃうん?」
「…別れましたよ。わたしが離婚届出しましたし。」
「え、それでヤる?普通。」
「……成り行きで。」
「どんな成り行きやねん!」
宮さんに突っ込まれたことがグサリと胸に刺さる。居た堪れなさに八つ当たりの如く、ネギ間を乱暴に口の中へ放り込んで咀嚼して、飲み込めば少しだけ気分もマシになった。そんなわたしを他所に、宮さんはテーブルに頬杖を着いて、ビールを煽りながら「変な夫婦」なんて呟く。もう夫婦じゃないです、元ですなんて言おうとしてもそれはそれで面倒だったので、聞こえなかったことにした
わたしだって普通じゃないってわかっているし、ていうかそもそも、なんでそうなったのかも未だにわからないし
ただ、言えるのは嫌いで別れたわけじゃなかった、ということ。飛雄はあの時失望したとわたしに言って出て行ったけれど、わたしは飛雄とのことに折り合いをきちんとつけられないままだったし。それに、飛雄がイタリアに行く、なんて言うから。いつかは海外でプレーすることになるんだろうと何となく予想はしていた。飛雄が好敵手としている及川先輩が単身アルゼンチンに行ってから、まあそれがなくてもそんな日が来るとは思っていたけど、わたしも一緒に行けると思って疑わなかったから。だって、夫婦だったもん。家族だったから、離れ離れではなく、一緒に行くから、もう会えなくなるかもなんていう心配を微塵もしていなかった
「飛雄にとって、バレーが一番だから。」
「うん?」
「きっと、もう会えなくなるって思ったから。」
「会えなくなる?…あー……イタリア行きのこと言うてんの?」
「え、何、宮さん知ってたんですか?」
「まあ、同じ業界やから、噂は嫌でも聞こえてくるしなあ。」
「わたしだけ、知らなかったんだ…。」
「真緒ちゃんは、ええ子やからな。」
「え?」
「そういう顔するってわかってたから、言えなかったんとちゃう?」
そういう顔ってどういう顔ですか。そう聞こうとして、やめた。俯いた先の小麦色の液体に自分の顔が映し出されていて、口を噤む。なぜか波紋を作ったビールが少し泡立って、わたしの顔を歪ませた
別れたのに、馬鹿みたい。
寂しく思ったって、仕方ないのに。もう会えないかもしれないと思っても、わたしを連れて行く理由を飛雄は持ち合わせていない。今朝薄情者だと思ったけど、飛雄の行動は当たり前じゃん。わたしと関わる理由も、関係性も何もない。あれは、飛雄の気遣いだったのかも。もし、朝、顔を合わせてしまったら、わたしはまた縋り付いてしまっていたと思う。背中を押すことなんてきっとできなかった。だから、飛雄は何も言わずにいなくなったんだ、と皮肉にも今、わかる
「好き、だったんですよ…。」
それでも、好きだったから。思わず口を衝いて出た言葉。宮さんに言っても仕方ないのに。取り消そうとした言葉を遮るように宮さんがわたしの名前を呼ぶ
「真緒ちゃん。」
「は……。」
返事をするために出した言葉は、顎を掬った指先とぶつかった温もりにぱっくり食べられて、喉元で霧散した
思考を止める魔法がぶつかった。
ゆっくり離れて、笑うあなたに頭がくらくらした。
(は?)
(焼き鳥のタレついてたで。)
(や、意味わかんない。)
(塩味もあって、少し辛いなぁ。)
(ちょ、はあっ?!)
「お、元気になったやん」とか馬鹿みたいなことを言う宮さんに、握り締める拳。それを見た宮さんが慌てて「ちょお待ち、焼き鳥のタレがついてたんやって!」とか意味わからん言い訳を繰り広げるので、構わずにその整った顔の右頬へと一発決め込んだ。「知らない!帰る!!」と言って、半分以上も残っていたビールを一気に飲み干して、鞄から財布を取り出し、中を開ければ、そこに5000円札しか入っていないことにチッと舌打ちを一つ。渋々5000円をテーブルに叩き付けて店を出た。店の外に出れば夜風が血が昇った頭を少し冷やしてくれる。油断していたわたしが悪いのか、あの馬鹿が悪いのか。はたまた両方か。いや、もう考えるのは辞めた。力任せに唇を拭えば、本当に焼き鳥のタレがついていたらしい。手が少しベタついたことにさらに遣る瀬なさを感じて、はあ、と溜め息を一つ。いつの間にかクリアになった視界で見上げた月が綺麗で、少しだけ立ち止まって空を見上げたあとがき
セッター尽くしでいこうかと。