デジタルデータ


きみとわたしの関係は、ひどく曖昧な関係だった。それは、はっきりさせる事が怖いわたしの臆病が収まった関係。はっきりさせてしまえば、今のままではいられないってわかっていたから。だから、はっきりさせたくなかったの、なんてひどい言い訳

曖昧な、傷付かない関係でいる心地良さに身を委ねていたのはわたしの方で、それだけで良かった。だって、わかっていたのに、それだけでよかった、満足していたはずなのに



「黒尾にとって、わたしって何?」


「なんだよ、急に。」



とても面倒な女のテンプレートのような台詞を吐いた。聞こえる黒尾の溜め息。その溜め息の数だけ、きみの眉間のしわの数だけわたしの胸に鋭利なナイフが刺さる。黒尾が首の後ろに手を当てて思案顔。それは心底面倒なことがある時の、癖。今、わたしはそれを目の前で見ている


ああ、今、わたしは黒尾にとって面倒な女になっている。


都合の良い女から、面倒な女に早変わりしている。自分のことなのに、そう、どこか客観視してた。客観視していたのに、止められなかった。抑えられなかったこの心が悲鳴を上げる。その悲鳴につられるままにわたしは口を開いて言葉を発していってしまった結果が、これ



「急じゃないよ、ずっと思ってた。」


「今更、だろ。」


「そ、そうかもしれないけど!でもっ。」


「それを聞いてみょうじはどうすんだよ。」


「どうすんだよって…。」



どうするって、何。


そう心で自分自身に問い掛けても、答えなんて返って来ない。だって、そんなこと考えたこともない。いや、嘘だ。本当は、考えていた。もし、もしもって世界の夢の話を

でも、わかったの。こうやって聞いてくる黒尾の胸の中に、わたしの描いた夢の世界は、望んだ答えはないんだと。でも、それでも聞かずにはいられなかった。今まで塞き止めていたのになぜか、もう止められなかったの。もう変わろうと動き出してしまった関係は、元には戻らない。それなら、とわたしの愚かな口はさらに言葉を紡ぐ



「はっきり、させたい。はっきりさせたいの。」


「みょうじは、はっきりさせたいのか?」


「このままじゃ嫌だよ。こんな、中途半端なの。」


「中途半端、ねえ。」



そうだ、「中途半端」だ。わたしと黒尾の関係はひどく曖昧で中途半端。わたしと黒尾の関係は?と誰かに聞かれて、答えられるようなものなんて何一つない。友達、でもなく、恋人でもなく。友達の線を越え、恋人の線を越えられないわたしたちはどう見ても、中途半端、だ


わたしは、そんなの、嫌だ。


もう、そんなの。欲張り、なのかもしれない。それはわかっている。だけれど、もう嫌なんだ。黒尾の隣を堂々と歩きたいと思う。黒尾との関係を聞かれても、堂々と答えたいと思う。誰かに見られていないか、こそこそと会ったり、わざとらしく話題を逸らしたり。「友達だよ」という言葉を吐き続けて「友達だ」と言われるのはもう辟易していて

読めない黒尾の感情を細められた目から必死に読み取ろうとする。でも、ひしひしと伝わってくるのは「面倒だな」という直球で、わかりやすい感情。それだけで答えなんてわかっているのに、ばかみたいに足掻こうとしているわたしは何をやっているのだろうか



「おれ、前にちゃんとみょうじに言ってたと思うんだけどさ。」


「……っ。」


「おれとこうしていても、絶対みょうじが傷つくって。だから、やめとけば?って言ったよな。」


「い、った。」


「でも、みょうじはおれのその言葉に対して、いいって言ったよな。」


「言った!」



確かに、言った。黒尾は何度も確認をした。わたしに。いいのか、って。その確認の度にいいよと頷いたのはわたし。紛れもなくわたしなのだ。いいよ、と頷いたのも、それでもいいから、と望んだのも。でも、いつからか、欲張りになったわたしはそれだけでは足りなくなって。あんなにも、幸せで満ち足りていた器が、いつの間にか幸せがこぼれないようにと面積を広げて。広がった分だけ、今まで満足できていた幸せがひどく小さなものに思えてしまったの


でも、もう後には引き返せない。


こうして言ってしまったこと。黒尾にこんな顔させていること、言われた言葉。友達にも、戻れない。言う前の関係にも、戻れない。わたしの身の置き場は黒尾の中にはどこにもない、と言われている。だからこうなっただろ、って、おれはちゃんと言っていただろって



「はっきりさせたいって言ったよな。」


「っ。」


「恋人に、おれの彼女になりたいって意味だろ?」


「そ、う…だけど。」


「どうしても、はっきりさせたいってみょうじが言うなら、おれは電話帳からみょうじのデータ消す。電話もメールも、もうしない。」


「なっ。」


「クラスは同じだし、話すことはあるかもな。でも、クラスメイト、としてしかしない。」


「切るって、こと?」


「はっきりさせるって言うなら、おれはそうするから。」


「黒尾っ。」


「決めるのは、みょうじだから。」



くるり、踵を返してわたしに背を向ける黒尾。草を掻き分ける足音。遠ざかっていく黒尾の背中。喉が、痛い。手を伸ばそうとしたのに、体はぴくりとも動いてくれなくて。黒尾の名前を呼んでも、振り返らない。もう、振り返ってくれない


なんで!


動かなかった足。一度しか呼べなかった黒尾の名前。そこに答えなんてあるのに、わたしは気付かない振り。本当は、わかっていたの。本当はわかっていたのに。黒尾にわたしと同じ感情はないのだ、と。わたしと黒尾の感情はどこまでいっても平行線。交わる場所などないのだ。それはわかっていたのに

どこかで勘違いをした。どこかで、ではなく、初めから。黒尾が好きだった。本当に好きだった。だけど、わたしは黒尾に拒否されることから逃げて、卑怯な手を使った。体だけ満たされればいいってもんじゃない。そう気付いたところで、もう手遅れだ



「ばかみたい。」



やっと口から出た言葉は自嘲の言葉。本当ばかみたいだ。勘違いばかりして、させられて。どこか期待をして、裏切られて。残ったものは、何だ?何も、ない。わたしの手には、わたしと黒尾の間には本当に何もないのだ。結局、残されたのは、行き場のなくなったわたしの想いだけで、確かなものなんて何一つない

どうすれば正解だったかなんてわからない。どうすれば、こうならなかったか、なんて今更どうしようもない話。友達に何度やめろと言われても、わたしはやめなかった。その結果が、これ。なんてお笑い種だろう。あれだけ忠告してくれた友達の言葉を鬱陶しがっていたわたしの幸せの結末が、これ



「好き、だった。」



遠くなっていく黒尾の背中に一言。追いかけられなかった。みっともなく縋りついて捨てないでと言う事もできたのに、それができなかった。友達にも、前みたいな曖昧な関係にも戻れないと知っておきながら、黒尾の背中に縋りつくなんてできなかった。そんな勇気、なかった。ずっとどこにも置き場のないこの想いを抱えたまま生きる覚悟が、それでもいいから好きでいさせてほしいと思う気持ちがなかった。ただ、呆然と非情にも小さくなっていく黒尾の背中を見ていた。唇を噛みながら、ただ、見てただけ


何、やってんだろう、わたし。何、やってたんだろう、わたし。


優しいキスをされる度に、その腕で優しく抱き寄せられる度に好きが募っていって、溢れだして、決壊した。そして、気付いたんだ。そうして、やっと、気付いたんだ



デジタルデータのような恋でした。
ボタン一つで終わる、そんな恋だった。


(おれとこうしていても、きっとみょうじが惨めになるだけだぞ。)
(うん、それでもいいの。)
(みょうじがいいって言うなら、いいけど。)
(それでも、わたし黒尾のことが、好きだから。)
(あ、そ。)


結局、きみの言う通りになった。ひどく、惨めになった。先なんてなかった。感じていた幸せは幻で、わたしの夢はそこにはなかった。だって、幻だったんだもん。わたしときみの間に何もなかったように、わたしの夢も。ずっと、気付いていた。それでも必死に気付かない振りをして、わたしの中にあるきれいな、幸せな夢ばかりを見ていたの。気まぐれでもいいから、愛していると言ってくれるような、細やかな夢はもう終わり。きみへの想いは、好きはまだこの胸に溢れている。でも、もうわたしはきみのことを「好きだった」としか言えないデジタルデータ

あとがき
悪い男な黒尾。切ないものを書くのは苦手です…悲しくて時々書きながら泣きそうになります。

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