10秒前


「うぐぐ…。」



一歩が踏み出せずに尻込み。この右足が動けば、左足も自然と動くだろうに、それができずに唸り声を上げる。睨みつける目の前の金属板。まあ、睨みつけたところでどうしようもないんだけれど、矛先はそこにしかなくて



「うしっ。」



気合いを入れて、さあ、と踏み出す足。気合いは入れたけれど、その動作は何とも鈍い動きか。ゆっくり、慎重に右足を持ち上げ、そおっと金属板に乗せれば、足の裏に広がるひんやりとした感触。ふう、といかにも一仕事終えたかのように息を吐き出して、次は左足、と覚悟を決めて金属板へ。動き出すディスプレイの数字。くるくる回って、叩き出された数字に思わず息が止まりそうになった



「じゅ、13キロ…?!」



いつぶりかに乗った体重計。最近は乗るのが怖かったので前に乗ったのがいつだったかは覚えていないが、一ヶ月は乗っていない事は確か。でも、それ以前にそこから13キロも体重が増えているという事実が今目の前に。とてもじゃないけれど信じられない。まあ、ぶっちゃけ太ったとは思っていた。前に乗った時よりはいくらか体重が増えていても、仕方ないなあーなんて軽く思っていたのに、まさか13キロも太ったなんて誰が信じられるだろうか


今すぐダイエットしなきゃ…!


もうこれはゆっくり落としていけばいいよね、とか、思春期特有のやつだよ、とか言っていられない。今すぐにダイエットを開始しなければ将来有望なお相撲取りまっしぐらだ。就職には苦労しないだろうが、それは女子としていかがなものか、と変なことをぐるぐると脳内会議

体重計壊れているとかないよね、なんてもう一度目線を下にやれば、違和感。足が、三つ。わたしの足は二つだ。今まで二つだった。え、じゃあ、これはどういうことだ?と振り返って、わたしのおでこに衝撃が走る



「っつー!」


「ってえな!」


「な、なななな!」


「ナポレオンフィッシュか、お前は。あー、でこが痛え。」


「な、なんでっ、ふた、二口が?!ど、どこから入った?!」


「どこからって、普通に入ってきましたけど。」



普通に入ってきたってどういう事だ!


パニック状態のわたしの耳に、リビングからお母さんの「堅治くん来てたから入れたわよー」なんて陽気な声が響く。いや、お母さん。よく考えてよ。年頃の娘がいる家にさあ、こんな男ほいほい入れてさあ、不用心にもほどがあると思うんですよ。ましてや、娘が入浴して…あれ、わたし



「タオル一枚とかなんか色々ぞくぞくするよなー。まあ、その相手がなまえだと半減もいいところ…いや、マイナスか?」


「で、出ていけー!」



自分の置かれている状況にはっとして、絶叫。わたしの叫び声にリビングからお母さんが「何大声出してるの!近所迷惑よー!」なんて言っているけど、無視だ。いや、だからお母さん。娘がお風呂に入っているってわかっているのに、なぜこいつを入れた。ましてや娘がタオル一枚でいるところに入ってきている男がいるっていうのに、それよりも近所迷惑だと娘を注意する親ってどうなの?

いろいろげんなりしながら、とりあえず二口をどうにかしなければ、と目の前の巨体をぐいぐいと押しやってご退室していただく。必死に背中を押すわたしに「お前の裸見たこっちがお金もらいてえぐらいなんだけど」とか二口が言っていたような気がするが聞かなかったことにする。いや、聞いたけれど、とりあえず今はそれに対してやんやん言うより出ていってもらうことが先決である、と考えてわたしは二口をここから追い出すことに専念。やっと一人になれた空間にほっと安堵の息を吐き出す



「……よかった。」



13キロはやっぱり何かの間違い、というか、二口の悪ふざけのせいで、もう一度乗った体重計にはそんなびっくりするような数字は表示されず安心。安心したところでふつふつと沸き上がってくる二口への怒り


普通に考えて年頃の女の子がいるってわかっている脱衣所に足を踏み入れるとかありえないんだけど!


握り拳一つ。これは一発お灸を据えるどころでは済まない。よし、そうと決まればまずはぱっぱと着替えて、二口を殴りに行かねば。体に巻き付けていたタオルをするする取って、用意していた着替えを身に纏う。毛先からぽたぽた床に落ちた水滴を拭ってがらりと脱衣所のドアを開けたけれど、お目当ての人はそこにはいない

どこへ行った、なんて辺りをきょろきょろ様子を窺っていると、リビングのドアからひょっこりお母さんが顔を出して「堅治くんはあんたの部屋」と簡潔なお答えどうもありがとうございました。どうしてお母さんはいつも二口の味方なのか娘は甚だ疑問です



「ちょっと、勝手に人の部屋入ってくつろがないでよ。」



お母さんの言葉で真っ直ぐ向かう自分の部屋。扉を開ければ、さも自分の部屋かのようにくつろいでいる人が一人。そんなの、二口以外いないのだが。わたしのベッドに勝手に寝転がり、また勝手に拝借している漫画を面白くなさそうな顔でぱらぱらと流し読み。そんな二口に声を掛ければ、わたしに一目もくれず、文句は無視。なんて野郎だ

文句を言ったところで無駄だということは今までの経験でわかっている。文句を言う体力だけが削られていくだけだということも。だから、溜め息を一つ吐き出して、自分を落ち着かせると、二口が寝転がっているベッドの縁にそっと腰を下ろしてみれば、ぴくりと反応する二口の肩



「で、何しに来たの。」


「おれがなまえの部屋に来るのに理由なんているのかよ。おれの勝手だろ。」


「……はあ。」



気まぐれ屋なのは最初からわかっていた。だからべつに落胆も何もない。もう怒るのも面倒になってきた。ただただ呆れるだけ。自分で言っていて悲しくなるけど、一応女の子の部屋だというのに、この体たらく。家が隣で、幼なじみで、異性として扱われたいなんて思ってはいないけど、少しは遠慮というものを覚えるべきだと思うんだけど、どうなんですかねえ



「何だよ。今日機嫌悪いな。」


「誰のせいだと思ってんの。」


「あ、生理か。」


「二口のせいだよ!」



無自覚とか質悪すぎるでしょ!


さらりと出た発言に思わず突っ込めば、意味分からねえという顔をする二口。普通の人だったら、自分が悪かったかも、ぐらい考えて、少しぐらい反省しているところだというのに、二口にはそういう感情というか常識は欠落してしまっているらしい

馬の耳に念仏、暖簾に腕押し、糠に釘、だ。溜め息を一つ吐き出して自分を落ち着かせる。人の本棚からごっそりと勝手に抜き取ってきた漫画をベッドの上に広げて読みふけっていた二口が急に何かを思いついたかのように口を開く



「なあ、なまえ。」


「何。」


「もし、さ。」


「だから、何。」


「もしも、地球が滅亡するってわかっていて、滅亡する日時も全てわかっていたら、地球滅亡10秒前になまえだったら何するよ?」


「はあ?急に何言ってんの。頭大丈夫??」


「おいこら、ばかにすんな。べつにこの漫画に書いてあったから聞いただけだからな。」


「地球滅亡10秒前、ねえ。少なすぎない?」


「そうか?結構長いだろ。」


「10秒ねえ…この部屋から二口を追い出してるかな。」


「夢ねえな!」



夢がないって…ていうか、ここにいるとは限らないだろとは言わないところを見ると、地球滅亡10秒前もきみはここの部屋に居座っているつもりなのかね。それはそれでどうなの、というわたしの言葉はさらりとスルーされる。それにむかっときながらも、ちょっと考えてみる


地球滅亡10秒前か。


何かできること、なんてあるのだろうか。10秒ってわたしは結構短いと感じるんだけれど。何かをやろう、と思って立ち上がっただけで10秒経って地球は滅亡しそうだ。ダイエット、は10秒前にやっても意味はないし。それなら好きなものをお腹いっぱい食べる、とか。そんな風に頭の中にぱっと思い付いたことをつらつらと言葉にしてみれば、二口はつまらなさそうな顔で「もっと夢のあることにしろよ」なんて言う



「地球滅亡したら夢も何もなくなるじゃん。」


「いいんだっつーの。もしかしたら、そこから何か始まるかもしれねーじゃん。」


「地球滅亡10秒前に何が始まるの?そういうもん?」


「そういうもん。」


「じゃあ、二口だったら、どうするの?地球滅亡10秒前。」


「おれ?」



そうだ。そこまでわたしの意見をことごとくつまらんと言ってきた二口くんならとっても高尚で夢のある模範解答があるのでしょう、なんて皮肉を込めて聞いてやれば、少しだけ考える素振りをした二口が口を開く



「なまえに告る、かな。」


「え?」



今なんて?そう聞き返そうとして二口を見れば、いつの間にか漫画ばかりを映していた目がこちらを向いて、わたしを真っ直ぐ捉える。少し頬を染めながらも、にいっと悪戯な笑みを浮かべたその瞳にわたしは何も言えなくなって、くらくらと目眩を起こした



地球が滅亡する10秒前に。
きみからわたしに「これから」を与えるらしい。


(って、漫画に書いてあったから言ってみた。)
(なっ。)
(どう?どきどきしたか?)
(う、うううるさい!してない!!)
(嘘吐け。なまえ、顔真っ赤だぞ。)


悪戯な笑み。その笑いの真実をきみの口から告げられて恥ずかしさが一気にやってくる。それと同時に沸き起こる怒り。ばか!と言ってその怒りの勢いのまま、きみの手から奪い去る漫画。「あ!」と慌てたような声を出してわたしから漫画を取り返そうとする手を避けて問題のページを探すも見当たらない。どういうことだ?きみへと向けたわたしの目が映した、きみの何とも言えないバツの悪そうな顔。その顔にハッとしたわたし。もしかして、と口を開きかけたわたしに向けられた、きみの真っ赤な頬に刻まれた笑顔に結局わたしはそれ以上何も言えずに、小さく「ばか」と言って笑うしかできなかった

あとがき
地球滅亡前にわたしはきっと寝ていると思う…寝るの好きです。

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