塗り潰される


安っぽい、恋愛ドラマみたいだ。いや、それにも満たなかったなあ



「……ばかみたい。」



全部あの人好みになりたかった。髪を伸ばした。髪が長い子が好きだって聞いたから。ダイエットだってした。細い子が好きだって聞いたから。そうして残ったのは、あの人好みになって、あの人に好かれなかったわたしだけ


意味、なんてなかった。


全てが。意味のないものになった。あの人好みになろうとして、それに掛かった時間も、それになったわたしも。全て、全て意味のないものに成り下がって。こうして出来上がったわたしは、あの人に好かれるはずだったのに、どうして。どうして、わたしは今、ここに一人でいるんだろう。よくわからない



「みょうじ?」



行き交う人たちの波に紛れて、ふらりふらりと歩いていると、急に取られた腕。背中にぶつけられた声。振り返って、落胆。思わず、錯覚しそうになった。わたしの表情の変化に振り返った先の怪訝そうな顔



「ま、つかわ…。」


「おす。」


「……おす。」



いつも通りの松川。それはそうだろう。わたしみたいに何かあったわけではないだろうし、ただ単に人混みに紛れていくわたしを見つけて、声を掛けてくれただけだろうから。だから、わたしもいつも通りにしなくては、と随分と高い位置にあるお顔から降ってきた挨拶に、そのまま同じ言葉を返す


なんで、松川がこんなところに。


休日の、人混みの多い路地。カップルばかりが溢れるここで、なんで。いや、まあ、松川がここに来ていても、問題はないだろうし、わたしには関係のないことなんだけれど。部活とかなかったのだろうか。それにしてもなんか新鮮。いつも制服かジャージ姿のクラスメイトの私服姿になんだか少し違和感を感じてしまう



「一人でお出かけ?」


「え、あ、うん。そんな感じ、かな。えっと…、松川は。」


「あー…まあ、ちょっと買い物。」


「そっか。」


「おう。」



ぽりぽりと頬を掻いて気まずそうな顔。もしかして、彼女、とかとデートの途中だったのかもしれない。べつにわたしから話しかけたわけではないし、申し訳なく感じる必要はないんだろうけれど、少しちくりと痛む胸。わざわざ見かけたから話しかけてくれたんだろう、きっと。なんか、悪いな、と思っていると、わたしの目から何かを感じ取ったらしい松川が躊躇いがちに口を開く



「あ、なんか、勘違いしてるっぽいから言うけど…おれべつに彼女いねえよ。」


「え、そうなの?」


「うん。」


「そ、そうなんだ。」


「おー。何せバレーが恋人なもんで。」


「……ぷっ。何それ。」


「いや、本当だって。おれすっげー真面目にバレーやってるからな。笑うなよー。」


「ごめんごめん。」



松川が放ったバレーが恋人発言に、思わず吹き出し笑い。松川らしくない言葉だなあ、なんて思いつつも、確かに松川がバレーをすごく本気でやっている事をわたしはそれなりに知っている。よく足を運んだ場所の通り道から、男子バレー部の練習が見えたから。それに及川徹という男子バレー部のちょっとした有名人が所属しているおかげで、男子バレー部の活躍は知ろうとせずともよく耳にしたし


松川は、真面目だなあ。


バレー一本で。及川なんてちゃらちゃらしてるとか、海外の人だとかどこかしら色んな噂が飛んでくるけれど、松川はそんなことはなくて尊敬するわ。そんな変な尊敬の眼差しで松川を見上げていると、松川はきょろきょろと辺りを見渡して、ベンチが二つほど設置されている小さなスペースを指差して、「少しそこで話さないか」と提案。わたしは数秒思案して、ゆっくりとその提案に乗ることにした

松川に誘導されるままに、ベンチへ足を向ける。松川が一緒だと人が勝手に避けて道を開けてくれるものだから、歩きやすくて助かる。辿り着いたベンチにわたしだけが先に座らされて、二人揃ってベンチに座るものだと思って状況が飲み込めず呆けた顔をするわたしの耳に、松川が「何飲む?」と自販機を指差して笑っていた



「えっと…ミルクティー。」


「ん、了解。」



わたしの答えを聞いて、松川は小走りで自販機のところへと駈けだしていく。がこん、がこん、と二つの缶が自販機から吐き出される音が響いたのも束の間、ほい、と差し出されるスチール缶を受け取って「いくら?」と聞けば「それぐらい構わないって」と返ってきて、申し訳なく思いながらも、それ以上何も言わず「ありがとう」と一言返すだけに留めた

二人して、カシュ、と音を響かせながら開けるスチール缶。いつの間にか赤文字ばかり増えた自販機から吐き出されたそれは、もくもくと飲み口から白い雲を吐き出している。ごくり、と一口ミルクティーを口に含めば、さっきまで鬱々としていた気持ちが少しだけ晴れてるから不思議だ



「みょうじ。」


「ん?」


「髪、結構伸びたな。」


「う、うん。でも、もう切ろうかなって思ってる。」


「そっか。」


「うん。」



急に、松川が口を開いたと思えば、髪の毛の話題に、わたしはどきりと心臓が跳ねるのを感じて、少しだけどもりながら返す言葉。じくじくと戻ってくる胸の痛みに、次いだ言葉。すっかり下の方になった毛先を指先で弄びながら、「長いと鬱陶しいから」なんて言い訳みたいな言葉を吐き出せば、松川は「そんなもんか」と静かに言葉を放って、カフェオレをごくりと一口



「なあ、みょうじ。」


「何?」


「おれ、謝らないといけないこと、あんだけどさ。」


「松川がわたしに?何急に。」


「実は、さっき全部見てた。」


「え……?」


「全部見てたんだ。だから、おれ。」


「何を、全部見て、たの?」


「…米田との。」


「ああ…あはは、そっか。全部、見てたんだ。そっか。」



言いづらそうに松川の口から告げられた言葉たち。シラを切るように、何を全部見てたの?なんて聞いたりして。本当は全部見ていたと言われた時点でその意味をよく理解していたのに。なんか、恥ずかしいや。全部見られていたのに、伸びた髪の毛を切る理由をわざとらしく言い訳じみたことを言って。松川は全部見ていたっていうのに

つい数十分前の出来事。同じクラスでバスケ部の米田くん。彼の軽口に、行動に、わたしは何度も勘違いをした。何度も「なまえのそういうところ好きだな」と言われて、一人有頂天。勘違いしたわたしの負けで。髪なんか伸ばしても、ダイエットをして痩せても、化粧をいくら頑張っても、意味なんてないのに、ばかみたいに勘違いをして。デートだと思って、精一杯おしゃれをして、化粧をして、米田くんの心の蓋を開けてみれば、重い、なんて



「本当ばか、みたいだよね。」


「なんで。」


「重いって思うでしょ。こんなことしても、好きになってもらえるわけじゃないのに。」


「……みょうじは可愛いよ。」


「え?」


「好きな人に振り向いてもらうのに、頑張ったみょうじは可愛いよ。」


「ま、つかわ…。」



それが慰めの言葉だとしても、松川の言葉の温かさが胸にじんわりと広がって、泣きたくなった。握り締めるミルクティーの缶。そっと差し出されたハンカチ。可愛らしい熊さんが描かれたそれに、松川らしさが全くなくて思わず笑えば、「間違えて持ってきたんだ」と必死になって弁解し始める松川に、「ありがとう」と言ってそれを受け取る

泣いていいよ、なんて優しい言葉が頭上から降ってくる。その言葉に、みるみる内に歪んでいく視界。さっきは、涙なんて一滴も出なかったのに、際限なく溢れてくる。声を押し殺して泣くわたしの頭に、それをすっぽりと包み込めるほど松川の大きな手が乗せられて。その手の温かさにさらに泣いた



「みょうじ。」


「ん。」


「泣き止んだらさ、髪を切りに行こうぜ。」


「……うん。」


「それで、少しずつ前を向いて。」


「…ん。」


「前を向けるようになって、からでいいから、それからでいいからさ、次は、おれのために髪の毛を伸ばしてくれない?」



言われた言葉の意味がわからなくて、きょとんとした顔のまま、見上げた松川の顔。少しだけ頬が赤く染まって、照れ臭そうな笑みを一つ。寒いからだけじゃないその頬の色に、松川の笑みに目を奪われて、どうしようもなく胸が苦しくなったわたしは、反射のように、思わず一言



「うん。」



それしか言えなかったんだ。



目まぐるしく塗り潰される世界。
まるで、油絵の具のキャンパスみたいに。


(ほら、行こう。)
(うん。)
(前髪もっと短くしようぜー。)
(おでこ半分より上とかないよ!)
(みょうじの顔がよく見えていいと思うぜ?)


ああ、また勘違いしてしまいそう。単純で学習能力のないわたし。まだ、きみを好きだとは言えない。好きだとは思えない。でも、わたしの手を引いて前へと導いてくれる、きみのその手の温かさはひどく心地良くて。前を向けたら、その時は一番に見たいな。きみの顔を。たぶん、わたしが前を向こうと思う時、きっと一番に目に飛び込んでくるのは、わたしの顔を上げさせたあの笑顔だと思うから。その時には、言えるように、思えるようになっているのだろうか。まだきみを好きじゃないわたしだけど、少しだけ前にある笑顔を想像して歩き出すことはできるようになったんだ。

あとがき
そんな変わり身の早い子はいないだろうけれど、きっときっかけぐらいは振られた後でもあるはず。

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