膝小僧


「すいませーん。」



がらりと開くドア。中にいるはずの人へと声を掛けてみたけれど返答はなし。中をぐるりと見渡しても、人の気配はない。くるりと先ほど開いたドアを見てみれば、会議のため不在の文字。なんだ、保健室の先生、いないのか



「いてて。」



手当てをしてもらおうと思ったのに、当てが外れてしまった。まあ、それは仕方ない。絆創膏と消毒液を勝手に拝借しても怒られないだろうか、と考えつつ、わたしは血がだらだらと流れている右足を引きずりながらくるくるとよく回るスツールに一旦腰を落ち着かせることに。はあ、と息を吐き出すと、ぴりりと痛む足。結構派手にやったなあ、と我ながら思う

それはつい数分前のこと事。今日の体育の授業はグラウンドでサッカー。フリーの状態でゴールを決めようと思ったものの、運動がそこまで得意じゃないわたしがそんな上手く決められるわけもなく。振りかぶった足は見事ボールに当たることはなく、空振り。その勢いのまま後ろに倒れそうになった体を何とか支えようと前のめりになって、結局そのまま体勢を崩してすっ転んだ。もの凄い音に駆けつけてきたクラスメイトの子たちに「大丈夫、大丈夫」なんて恥ずかしくて笑いながら強がったけれど、実はだいぶ痛かったりする


絆創膏と消毒液ってどこに、しまってあるんだろう…。


いつもいる保健室の先生がはいはいと手際よくやってくれるものだから、しまっている場所がわからないことに今気付いた。友達が付き添ってくれると申し出てくれたけど、申し訳なくて断ったことを今、後悔する。後悔したところで絆創膏や消毒液が魔法みたいに目の前に現れてくれるわけではないんだけど



「おーい、みょうじ。」


「わっ。な、な、なな、びっくりした!」


「おー、悪い悪い。そんな驚くと思ってなかったわー。」


「な、なんで、黒尾ここにっ。」


「みょうじが派手にすっ転んでんの見てたからなー。しかも一人で保健室行こうとしてるし。」


「み、見てたの?!」


「おー、ばっちりな。」



にやり、と口角を上げて言う黒尾。あー、むかつくその顔、なんて唇を尖らせるわたしを見て黒尾はさらに笑う。本当、いい性格してると思うわ。人の不幸をここまで笑えるなんて、意地の悪い奴だ。そんなわたしの気持ちを知ってか知らずかわからないけれど、黒尾は鼻歌を歌いながら保健室の入り口からわたしの座るスツールのところまで軽やかに歩いてくる。「何よ」と警戒しながらちょっと身構えれば、それすらくつくつと黒尾に笑われて少し癪だ



「何ってお前なあー。消毒しないとそれ、ばい菌入って大変なことになりますよ?」


「なっ、わ、わかってるし!ていうか、今自分でやろうと思ってたし!!」


「いやー、ばりばり挙動不審だったからね、さっき。」


「そ、それも見てたの?!」


「ぼくはきみがここに入っていくところから見てましたよ。」


「なっ?!」



実は最初から見てました、なんてひどく質の悪い話だ。しかも胡散臭い話し方が鼻につく。見てたのなら声を掛けてくれればいいのに、それすらしてもらえず、どうしよう、なんてきょろきょろと落ち着きのないわたしを見て笑っていたに違いない。本当、なんて奴だ

黒尾はそんなわたしの心中なんてお構いなしに、鼻歌交じりに薬品棚を物色。頭痛薬やら胃腸薬、包帯なんかを取り出しては、どこだったかな、と少し楽しそうにしながら何かを探している様子だ。怪我でもしたのだろうか、飄々としながらも実は具合でも悪いのだろうか、と思いながら黒尾の様子を窺っていると、そんなわたしの視線に気付いた黒尾が切れ長の目でちらりと一瞥。それとともに「何見てんのよ、えっち」なんて吐き出す茶化すような言葉たちに少しむっとする



「そんなに見られたら穴が開くわー。」


「べ、べつに見てないし!」


「どうしてそんなわかりやすい嘘吐くんだよ、お前は。どう見てもさっき目が合っただろー。」


「うっ…。」


「結構ばかだよなあ、みょうじって。」


「ほ、放っておいてよ!」


「はいはい。んで、何。」


「何って、何。」


「聞いてんのはこっちだけど。さっきからじろじろと人のことやらしい目で見てなんですか、って聞いてんの。」


「な、やっ…?!み、見てないし!ばかじゃないの!!」


「ばかってお前なあー。」



けらけらと笑う黒尾。弄ばれているのはわかっているけれど、つい黒尾の思い通りに動いてしまうこの口が憎たらしい。無視してしまえば簡単なのに、どうもそれはできずに反応してしまう。黒尾はそんなわたしに構わずに薬品棚からお目当てのものを探し当てたのか、棚の二段目奥からごそごそと何かを取り出す。そして、それを手に持ったままくるりと体を反転。わたしの前にからからと空いていたスツールを引き寄せてどかりとそこに腰掛ける



「どっか、怪我したの?」


「は?」


「いや、だって絆創膏と消毒液なんて持って。そう言えば、さっきははぐらかされたけど黒尾も保健室に用事があって来たんでしょ?」


「……ぷっ。」


「な、え、何!」


「あははは!」



人が心配して投げかけた言葉に大笑い。この黒尾の行動に失礼にもほどがあると思うのは普通だろうか。いや、普通のはずだ。だって、わたしは至って真面目に心配して聞いたのに、この扱い。怒っていいはずだ、普通に考えて。隣でお腹を抱えながらひーひーと笑い声を上げているトサカ男をぎろりと一睨み


まあ、睨んだところで黒尾には効果は至ってないのだけれど。


むすっとした表情で黒尾の笑いが収まるのを待つ。こうなった黒尾は少し面倒だ。ていうか、目尻に涙溜めてるし、むかつく。そうこう黒尾にいらいらしている間にいつの間にか終息を迎える笑い声。少しだけここにこだました笑い声を最後に、平静を取り戻した黒尾が、にやにやと無理矢理収めた笑いを口角に表しながら消毒液をわたしの膝小僧に構える



「きみは本当におばかさんですか。」


「はあ?!」


「おれの姿のどこを見て怪我したと思ってんの。ていうか、怪我してんのはみょうじだろ。」


「ちょ、ちょっと、上手く理解できなっ、つー!」


「おー、滲みる滲みる。」


「いたたたたた!痛い!痛いー!!」



話の途中で吹きかけられる消毒液。「痛い!」と主張しても黒尾のその手は止まらない。満遍なく傷口に消毒液が行き渡るよう、何回かプッシュして消毒液を吹きかけられる度に、じんじんと痛み出す傷口。かあっと傷口が一気に熱を持って、痛みに思わず叫び声を上げれば、またそれに笑い声を上げる黒尾。あ、絶対こいつSですわ、ドSですわ

頭の中は意外と冷静に、ばからしい事を考えていると、手際良く手当てなんてされちゃって。最後の仕上げにどこから掘り出してきたのか、テカチュウがプリントされた大きな絆創膏を膝小僧にできた傷口を覆うようにして貼り付けてにやりと笑う黒尾



「ほれ、いっちょ上がり。」


「え、ああ、うん、ありがと…。」


「みょうじも一応女の子なんだから、気をつけろよな。傷できたら大変だろうが。」


「べ、べつに作りたくて作ったわけじゃ。ていうか、一応ってひどくない?!」


「まあ、でも。何でも一生懸命なみょうじのこと、おれは結構好きだぜ?」



「な、なななな!」


「もう少しそこで休んでから来いよー。」



「んじゃ」とそれだけ言い残して、ひらひらと手を振りながら黒尾は保健室を出ていく。たった一人、そこに取り残されたわたし。しん、と静まり返った保健室に、どくどくとわたしの心臓の音だけがうるさいほど響く



「何よ、ばか尾。恥ずかしすぎだし、この絆創膏。」



余計なお世話なんだから、と素直じゃない天の邪鬼なわたし。貼られたテカチュウがプリントされた大きな絆創膏を撫でながら、にやにやと勝手に上がっていく口角を押さえようと唇を噛み締めてみるけれど、結局笑顔になっちゃって



「うひひ。」



変な笑い声一つ。膝は痛いし、散々だったけど、テカチュウの恥ずかしい絆創膏も少し愛しくなる3時間目



膝小僧から何かが溢れ出しそう。

きみが絆創膏で塞き止めたところから、何かが。


(あら、どうかしたのかしら?)
(あ…ちょっと体育で怪我を。)
(ごめんなさいね、会議で。大丈夫?)
(あ、だ、大丈夫です!勝手に道具お借りしました。すみません。)
(いいのよー。あ、でもあなた顔真っ赤よ?)


戻ってきた保健室の先生。覗き込まれる顔。「熱でもあるのかしら、測る?」と差し出された体温計。必死で「大丈夫です!」と言って検温拒否をして、お礼を口早に告げたら飛び出す保健室。勢い良く飛び出してしまったせいで、少し和らいだ痛みがすごい勢いで戻ってきた。仕方ない、とみんながいるグラウンドに戻れば、わたしの膝小僧を指を差しながら笑うクラスメイト。その中に原因となったきみの笑い声も混じっていて、腹が立つことこの上ない。でも、今だけは水に流してあげよう。この傷がかさぶたで塞がって、燻る想いが溢れ出さないようになるまでは。

あとがき
膝小僧からは基本的に何も溢れ出しません。

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