変えてみませんか。


「どこもかしこもカップルだらけじゃねえかよ。」


「本当にねえ。」


「超うぜー。」


「口悪いなあ。いいじゃないの、これくらい。」


「目の前でべたべたべたべたべた、と。見てるこっちのことも考えろってんだよ。」


「まあ、確かに、ねえ。」



日曜日の大通り。人で溢れ返る街の中を岩泉と二人で歩く。デート日和と言っても過言ではない日本晴れの天気。やっぱり街へ繰り出せばこの暑さも関係なくいちゃつくカップルが道を埋めていて、それに文句をこぼす隣の岩泉


端から見たら、わたしと岩泉もカップルに見えるだろうか。


そんなことを思いながらだいぶ高いところにあるお顔を見上げてみた。何だよ、なんてガン付けてくる辺り、やっぱりそうは見えないかも、なんて



「大体なんでオフの日に出かけねえといけねえんだよ…。くっそ人多いのに。」


「いいじゃないの、たまには。岩泉は休みの日に引きこもり過ぎなんだよ。」


「べつに引きこもってなんかねえ!トレーニングしてんだよ!」


「はいはい。」



岩泉の文句は適当に流せばいいんだ。いつものことだし。そんなことを思いながら、「はいはい」と適当に返事をすれば、脳天に振り降ろされるチョップにぐらぐらと脳が揺れた。「もう、何するの!」と怒って反撃を試みようとしたが、いつの間にかできていた身長差に不発に終わって


いつの間にそんなに大きくなったんだか。


隣にある、と言ってもわたしよりも高い位置に設置された岩泉の顔を見上げながら、はあ、と深い溜め息を一つ。その溜め息に気付いた岩泉が眉間にしわを寄せてこちらを威嚇してくるけど、そんな顔慣れっこなわたしには全然通用しないのである

幼馴染、というものは時として非常に厄介で。それも、男と女の幼なじみというものは、どう身を落ち着かせればいいのかわからず、距離感が掴みにくい。恋人でもなければ、ただの友達とも言えず。家族に近い関係だけど、家族ではなくて。なんというか、そう、複雑だ



「なんだってこんな人の多いところ選ぶんだよ。」


「選んだつもりはないけど…どこ行っても休日はこんなもんだよ。」


「あー、そうかよ。」


「いいじゃない、岩泉はまだ。」


「何がだよ。」


「身長高いから。」


「それの何がいいってんだよ。」


「頭一つ分出てるから呼吸がしやすいでしょ?」


「……まあ、確かに。でも。」


「ん?でも、何??」


「………何でもねえ。」


「え、ちょ、何それ。」



途中で止められた岩泉の言葉。続きが気になるわたしは、「どういうこと」と詰め寄っても岩泉の「うるせえ」という一言で一蹴。意味わかんない。膨れっ面をしてみても、岩泉には通用しないことはよくわかってる。及川だったら通用するのに、と唇を尖らせるわたしの様子が気に食わないらしい岩泉が「あいつと一緒にすんなよ!」と怒った

岩泉は、怒りっぽい。いつも何かしらぷりぷりと怒ってる。及川に対してはもう耳掻きクラスの器しかないんじゃないかってレベルで及川に怒ってる。花巻や松川に対してはそこまでなんだけどなあ。後輩思いのいいところもあるんだけれど、どうもわたしや及川に対しては遠慮がないようで。何だかなあ、と思う反面、それはそれでわたしや及川に対して岩泉は心許せる存在なのかと考えれば少し嬉しくもなるのだけれど



「あ、わっ。」


「っと、危ねえな。しっかり前見て歩けよ。」


「え、あ、うん、ごめん。」



岩泉の数歩後ろを歩きながら、少し思案を巡らせていたら、人波に飲み込まれて足がもつれた。ぶつかる肩。よろけたわたしの体を前を歩く岩泉の腕が支えた。ごめん、と言って崩れた体勢を整えて岩泉を見れば、わたしの目を見て何か考える仕草。口元に手を当てて、何かを言おうとしていたけれど、すぐにくるりとわたしに背を向けて「行くぞ」と歩き出してしまう


何だったんだ、今の。


数秒の沈黙だったのに、ひどく長く間があったように思えた。それもすぐに人波の喧噪に紛れて消える。岩泉は人の波を器用に避けながら、というか、人の波が岩泉を避けながら歩いているからか、スムーズに歩を進めているけれど、わたしの方はそうはいかなくて。どんどん遠ざかっていく岩泉の背中。追いつかなきゃ、急がなきゃ、と思うほど人波に飲まれて前に進めない



「岩泉、待っ!」



わたしの声が、届かない。


こんな喧噪の中ではわたしの声なんて岩泉に届かないんじゃないか。声を張り上げてみたけれど、やっぱり周りのカップルの話し声が幾重にも折り重なった音に阻まれてすぐにどこかへ掻き消える。前を見れば岩泉の背中が完全に消えていた。どうしよう、早く追いかけなきゃいけないのに、どうしよう。焦りばかりがこの胸に巣くうばかりで足は一歩も前に進んでくれない

ぐっと拳を握り締めて、俯く。わたしがいないことに岩泉は気付いてくれない。まあ、普通に考えたらこの人混みだもん。気付くのも難しい。だけど、それがひどく寂しくて、悲しい気持ちになった。振り返ってくれない。どんどん前に進んでいく岩泉。立ち止まるわたし。距離は広がるばかりで埋まらない



「……ばか泉。」


「あ?誰がばかだ、このばかなまえ。」


「え?」


「何ぼさっとしてんだ、このばか。ふらふら急に消えんじゃねえよ。」


「…違うよ、岩泉の方が勝手にどんどん前に進んでどっかに行っちゃったんだよ。」


「うるせえ。」



ぼそりと放った言葉に返事をする人はずっと前の方へ消えてしまったと思ったのに、耳に届いた不機嫌そうな声。見なくても想像できる眉間にしわをいっぱい作ったその顔。頭上に降り注ぐ言葉の数々に言い返してみれば、うるせえ、と一言で一蹴されて

前に行ってしまったのは岩泉の方なのに、なんでわたしが怒られなければいけないんだ。振り返ってくれなかったじゃん。いなくなったのに、全然気付かなかったじゃん。頭の中で岩泉への文句やら、寂しかったさっきの感情やらが入り交じってぐちゃぐちゃ。顔を俯かせているからか、じわり、と不覚にも何かが目から思わず零れ落ちそう



「なまえ。」


「何。」


「ん。」



ぶっきらぼうな声でわたしの名前を呼ぶ岩泉。俯いた顔のまま、返事をすれば岩泉はずいっと何かを差し出す。歪んだ視界の中で捉えたのは、いつの間にかわたしよりずっと大きくなっていた、ごつごつしている岩泉の手。ぐちゃぐちゃしている脳内では、その事象を上手く処理できなくて混乱。何、どういうこと、なんて頭の中に溢れるクエスチョンマーク。何も言わない、しない、わたしに岩泉は、小さく、ぶっきらぼうな声で、手、なんて

いや、わかってるよ。それは岩泉の手でしょ。手はわかってるよ、手は。だから、それが何?とパニック状態にすっかりクリアになった視界。俯いた顔を上げて、少しだけ赤くなっているであろう目のまま岩泉の顔を見る。その顔は想像していた不機嫌な顔とは全く違う顔で



「手、貸せって言ってんだよ。」



ずいっと差し出された手。勢いに押されたまま、わたしはその手にそっと自分の手を重ねてみる。乗っけられたわたしの手を確認して、岩泉はぎゅうっと痛いくらいわたしの手を握り締めてくるりと方向転換。岩泉が一歩歩けば、わたしも手を引かれて一歩。遠くなってしまわないように、一歩離れれば、一歩近づいていく距離

人混みの中を歩いても、その距離は変わらない。繋いだ手のひらが異様に熱い。そっと見上げた先の岩泉の耳が、真っ赤で何とも言えない気持ちになったりして



「岩泉。」


「あ?」


「ありがと。」


「ん。」



たった一言返される。こっちを見ない岩泉。でも、寂しくはない。悲しくはない。この手のひらが繋がっていれば、人混みに紛れても岩泉はそこにいるとわかるから。端から見たら、わたしと岩泉もカップルに見えるだろうか。高い位置にある顔を見上げて心の中で問いかけてみる。「何だよ」とさっきと変わらずガンを付けられても、今なら、少し自信を持って、そう見えたらいいな、と思えたんだ



ちょっと名前を変えてみませんか。
幼馴染からカップルなんて名前の関係に。


(なあ。)
(ん?)
(このくっそ人混んでる中を歩いて、これが見たかったっていうのか?)
(うん、いいでしょ?)
(……はあ。)


やっと辿り着いた映画館。やっぱり休日は人がごった返していて。その中を抜けて予約していたチケットを発行。見る映画の内容を知ったきみはげんなりとした顔。面白いんだよ、自称猫型の青いロボットのアニメ映画。そうは言っても、きみは随分とげっそりした顔で。そしてわたしに向かって一言「色気がねえ」とか失礼にもほどがある。「何だよう」と膨れるわたしの顔を見たきみがやれやれと肩を竦めて、呆れたように笑いながら「行くぞ」なんて言ってまた目の前に差し出される手。「もう人混みじゃないから大丈夫だよ」と言ったわたしの手を無理矢理さらって、「いいんだよ」なんて。

あとがき
男の幼馴染はいないけど、大学からの酒乱の男友達はいます。幸せが訪れるらしい鐘をがんがん朝っぱらから鳴らしながら「おい!幸せこねえぞ!!」と暴れていたのを思い出しました。彼はそれでも社会人やっているところを見ると成長したのだと思いたいです。

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