同じ文字


「ねえ、岩ちゃん。」


「あー?」


「もし岩ちゃんが金田一と結婚したら、金田一一だね。」


「……やめろ、今すぐその妄想やめろ。いいか、今すぐだ。やめろ。もうそれ以上言うな。おれに想像させるな。わかったか。」


「いひゃい!いひゃい、いひゃいってうあ、うあちあん!」



わたし、すごいこと思いついちゃった!なんて言って披露したわたしの大発見が気に食わなかった岩ちゃんがわたしの両頬をガッと掴んで、ぎりぎりと力を込める。それ以上何も言うな、という物理的意思表示である。さすがパワーゴリラの岩ちゃん。頬の肉が全て中心に寄っていく。素晴らしい握力だ

言葉になっていない声を上げながら必死の形相で謝り倒すとやっと解放されるわたしの頬肉。元の位置に戻ったはずの頬が未だに少し中心に寄っているような気がしてならない。ひりひりするし。きっと赤くなっているに違いない



「痛い…。」


「変なことを言うなまえが悪い。」


「パワーゴリラァ……。」


「ああ?なんか言ったか??」


「イイエ、ナニモ。」



にぎにぎと何かを主張する岩ちゃんの手。その行動が恐ろしすぎて思わず片言になる言葉たち。怯えたわたしの姿に少し気が晴れたのか、岩ちゃんはその手を下ろして肩を竦めて見せた。もう何もしねえよ、アピールである。良かった。わたしの頬肉は無事守られた

それでもなお、ひりひりする頬を押さえながら、「何だよう」とぶつぶつ文句を垂れてみた。「文句を言いたいのはこっちだっつーの」と言われて言葉による反撃は終了。それはそうだ。岩ちゃんは男で、結婚したら、ともしも話で相手役に出した名前の金田一も男である


ちぇー、大発見だと思ったのにー。


唇を尖らせながらそんなことを思う。きっと及川だったら、この話に目を輝かせながら乗ってきてくれたに違いない。松川も花巻も及川ほどの食いつきではないにしろ、にやにやしながら岩ちゃんを茶化していただろう。まあ、話題にされている岩ちゃんが乗ってくるはずもないんだけど



「きっしょいこと考えてんじゃねえぞ。」


「岩ちゃん、金田一が可哀想だよ。きっしょいなんて。」


「お前の残念な脳味噌のせいで金田一が可哀想なんだろうがよ!それにきしょいのは金田一じゃなくてお前だ!!」


「え、そうなの?」


「何だこいつ、一回しばいていいか?」


「まじか。やめて。」



まあ、岩ちゃんの言いたいこともわかるんだけどね。確かに、岩ちゃんと金田一が結婚するところは見たくないな。ていうか、わたしの岩ちゃんに金田一なんてことをするんだ。略奪か。許さんぞ。勝手に妄想したのはわたしのくせに、金田一にとばっちり。今頃とてつもなく大きなくしゃみをしているに違いない

わたしの相手をするのが疲れてきたらしい岩ちゃん。深い溜め息を吐いて、ごろりとベッドに横になる。何ですか、その無防備な感じ。いいんですか、そんな無防備で。わたし、襲いますけどなんて生唾ごくり。ちょっとお触りでも、なんて無防備な岩ちゃんの腹筋にでも手を伸ばそうとしたわたしをまじまじと見ながら岩ちゃんが放った言葉の羅列に、ぴしりと固まる手



「なまえとおれが結婚したら、お前、岩泉なまえか。」


「え、何、結婚するの?!」


「しねえよ。」


「しないの?!」


「あー、うるせえ。」



まさかの拒否にぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるわたしに「うるさい」と一言。いや、これは黙っていられないでしょ。仮にもわたしは岩ちゃんの彼女ですけど!と主張すれば、「わかってるっつーの!」と吠えられた。わかっているのに、なんでさっきの言葉!とさらに騒ぐわたしの頭をがっちりホールドしてぎりぎり締め付けてくるもんだから、わたしは慌てて口を噤む


もう、嫌ね、岩ちゃんったらすぐに暴力で解決しようとして!仕方ないから、黙ってあげるわよ、仕方ないから。



「岩泉なまえ、ねえ。」


「岩ちゃんが婿養子になったらみょうじ一だよ。金田一と結婚したら金田一はじ、いでででで!」


「お前本当学習しねえよな。なんでそこで金田一出すんだよ。出すなって言ってんだろ。」


「ごめんってば、ごめんってばあ!」


「まあ、みょうじ一は微妙だな。」


「なんで?」


「なんでってなまえ…。」



何とも言えない顔をする岩ちゃん。何その顔、と呆けるわたしに岩ちゃんはまた溜め息を一つ。「何だか今日の岩ちゃんは溜め息ばかり吐いているね」と言えば、「誰のせいだ」と返されてぐうの音も出ない


まあ、確かに岩泉って苗字かっこいいもんねー。


岩ちゃんによく合っていると思う。なんか響きだけで強そうだもん。頑固というか、男気が泉のように溢れる岩ちゃんにぴったりの苗字だと思うんだ。それに岩ちゃんの苗字が変わってしまったら、わたしは岩ちゃんをこれからなんて呼べばいいのかわからなくなるし。岩ちゃんのこと、岩ちゃんって呼べなくなるのは困る。非常に困る。これはたぶん、及川も同じ気持ちであろう。わたしと同じく岩ちゃんを岩ちゃんと呼んでいるから

だから、「岩ちゃんのままでいてよ」なんて岩ちゃんに言えば、これまたさらに微妙な顔をされた。今日は溜め息だけじゃなくて、そういう顔も多いよね、岩ちゃん。まあ、言われる前に自分に言っておきますが、わたしのせいであることは重々承知の上なんだけど



「なまえなあ。」


「何。」


「例えば、岩泉なまえになったとしたら、お前も同じ苗字になるのに、これから先もおれのことを岩ちゃんって呼ぶつもりなのかよ。」


「え?あ、本当だ。」


「今気付いたのか?お前は本当にばかだな。」


「失礼な!で、でも、困るね、それ。及川が混乱しちゃう!」


「困るのそこだけか?!大体及川はお前のこと、なまえちゃんって呼んでんだから何も困んねえよ。」


「確かに!すっかり忘れてた!わたしも岩ちゃんって呼ばれるものだと思ってたわ。烏滸がましいね!危ない危ない。」


「こいつ本物のばかだ。」



さっきから岩ちゃん人のことばかばか言い過ぎだと思うの。確かにわたしはあんまりおつむがよろしいとは言えないけれどさあ。これでもテストの点数は岩ちゃんより上なんだぞ、えっへん

ベッドにだるそうに寝転がりながら、横目でじとっとわたしを見つめる岩ちゃん。「何だよう」と言えば、「何でもねえ」と言う。「何でもないなら見ないでください」なんてむっとした顔で言えば、岩ちゃんはからから笑いながら、膨れたわたしの頬をぐりぐりと人差し指で潰した。潰す、というよりめり込んだという表現が正しいかもしれない。パワーゴリラの人差し指最強か。めっちゃ痛い。やめてください、割とまじで



「なまえ。」



ぐりぐりと膨れたわたしの頬を潰していた指はいつの間にか、さらりとわたしの頬を撫でる。岩ちゃんがわたしの名前を呼んだ。物があまりない男の子の部屋!という感じの岩ちゃんの部屋に、その声は静かに、だけども、よく響いた



「んー?」



すりすりとわたしの頬を撫でるその手が気持ち良くて、目を細めながら返事をする。さっきまでわたしをしばいていたはずの岩ちゃんの手も、わたしの名前を呼ぶその声も、ひどく気持ちが良い



「さっき、結婚しねえよって言ったけど。」


「うわ、今すごく幸せモードだったのに、一気にショックな気持ちが帰ってきた…。」


「あーはいはい、うるせー。」


「ひど!」


「いいから黙って聞けよ!うるせえな!!」


「うう。何ですかー。」



ひどくやさぐれた気持ちになりながら、続きの言葉を促してみる。すると、岩ちゃんはひどく照れたように頬をぽりぽりと掻いて、次いでわたしの頭をぽんぽんと撫でつつ一言



「まだ、結婚しねえよって意味だからな。」


「……岩ちゃんっ。」


「まあ、本当にしないかもしんねえし。」


「その一言は余計だよ!」



付け足された言葉に思わず吠えれば、「うるせえ!」とまた怒られる。いや、今のは岩ちゃんが悪いよ、なんて思いつつも、どうせそれも照れ隠しだということがわかっているから、にやにやと上がる口角を止められない



「岩泉なまえ。」



今までとても特別だった「岩泉」という苗字。何だか、今日から、今から、さらにその苗字が今まで以上に特別で、大切なものに思えたんだ



いつかきみと同じ文字を背負う日まで。
わたしはその言葉を大事にしていきたいと思ったんだ。


(でも、そうなったらわたし岩ちゃんって呼べなくなるね。)
(呼ばなきゃいいだろ。)
(え、だって。)
(今から慣らしておけよ、下の名前。)
(な、ななな!)


「ほら」と言って迫ってくるきみ。堅物、頑固、男らしいきみもこういう時はひどく積極的でサディスティック!「待ってよ」なんて言っても待ってくれない。こんなにも、きみの前で緊張したことがあっただろうか。たった一言、きみの名前を呼ぶだけなのに。でも、わたしにとって、やっぱりきみの苗字も名前も尊くて、ひどく大切なものだから。もう何年もきみの隣にいても「岩ちゃん」ではなく、きみの名前を呼ぶのは緊張するんだよ。そうきみに正直に告白してみれば、きみはトマトみたいに真っ赤な顔で小さく「ばか」と呟いた

あとがき
金田一、なんかごめんね。

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