剣刻 創作(4/1)


!!!剣が刻、相模坊列伝ネタバレあり!!!

!!!ご注意ください!!!



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「梅雨を伴う夢」

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「雲の白と綿の白を、我々は描き分けねばなりません」

 いつだったか探幽が言った言葉を思い出す。
 それができなければ、絵師とは名乗れないのだと。
 聞いて何と返したか、相模坊は覚えていない。へえとかはあとか言った気がする。
 絵の技術について聞かされたようだが、よく分からなかった。
 だが今目の前にある絵に描かれた、その白が何かは、見れば分かった。

──雪だ。


◇◇◇◇◇◇


 五月も過ぎ去り、天狗は暇をもて余していた。
 天の恵みはうるさいほど屋根を叩き、雨樋からボトボトと庭を浸している。
 梅雨。
 一年で最も相模坊の収入が減る季節。

「暇だー・・・」

 本陣の一室にて、ひとりごつ。
 やることがない。戯れに雨を降らせるにも、既に降っている。
 畑仕事も済ませてある。
 先日、飯綱に子守唄を歌ってやったら、うるさくて眠れんとギャーギャー怒ったので、しばらくは遊べんだろう。
 このまま道場に行けば、溜め込んだものを発散してなにか壊すかしらん。そうなればまた、あの真面目な忍の兄ちゃんに、何度目かわからん世話をかける。
 大人しくしているしかないが、暇でしょうがない。
 相模坊は不貞腐れた。
 そんな天狗を笑うかのように、外はザアザアガタガタ、かしましい。

(・・・寝るか)

 そう思って、畳の上に大の字になったときだ。
 探幽のとこの使い魔の繁々が、一本の掛け軸を持ってやってきた。
 主人がこれを、と文を出す。
 起き直り、胡座をかいて見ると、端麗な筆致で「梅雨の慰みに」とある。
 床の間に掛けながら繁々が言うに、新作らしい。初のお目見えをくれるとは嬉しいことだ。
 どんなだろうと思って、絵を見た。
 そして、息を呑んだ。

──雪。

 一面の雪が降り積もる山の中。
 長い獣道が、ぐぐっと上へ続いている。
 雪に白く染められて、しかし陰の暗さは濃い──つらく厳しい冬の重さが思い出された。
 見上げた先に、人影があった。
 目を凝らして見なければ、それと気づかないかすかな後ろ姿に、ああ、と声が漏れる。
 線の柔らかさは女のもの。
 寒かろうに薄衣の、肩に羽織をかけてやりたい。
 足取りの軽そうなのは、なんのためか。
 走るな、転ぶぞ。そう脅しつけてやらないと、後で自分が焦ることになるんだ。
 娘の上には空がある。
 きっと綺麗な景色が見えはじめているのだろう。
 そんなもの、いくらだって見せてやるのに。連れていってやるのに。
 ・・・じわりと滲んだ視界の中で、あいつが振り向く幻を見た。
 溜まる涙のまばたきの内に、娘の笑顔がまたたいた──

「──お前・・・」

 自らの声に、はっとした。
 ザアザア、ボトボト・・・今は梅雨。
 天狗は頬に伝った温みを撫でた。
 部屋には相模坊だけがいた。どのくらい経ったのか、見入っていたようだ、繁々は消えていた。

「探幽のやつ、なんつうもん見せやがる」

 悪態をついても鼻声では格好がつかない。
 絵を見やると、後ろ姿の影が墨で描かれているだけだった。当たり前か。

「若造がぁ・・・」

 もう一度見たくてたまらなかったもの。
 かけがえのない記憶。
 よみがえらない思い出。
 相模坊は一瞬だけ、その目に見た。まるで現実のように。

「何が慰めだ、悲しむかもしんねえだろうが」

 それでもあの奥絵師は、相模坊に見せた。
 おそらくは並々ならぬ自信を持って、励ましになると信じて。
 
「生意気なやつだなあ」

 そう言いながら相模坊は、優しく口もとを緩ませていた。


◇◇◇◇◇◇


 生きていればいつかは飢える。雪が降る。渇きに苦しみ、悲しみに苦しむ。
 生きるもの全てが逃げられないものに、せめて慰みがありますように。
 雨は天の恵みと言えど、涙が雨となって降るなら、溺れる人のありませんように。
──それが僕の筆で叶えられるなら、僕はどんな努力も惜しまない。

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