鷺舞い(21/6)
駿府の桜は美しい。
こと駿府城内の庭園ともなれば、尚更に美景であった。
庭の中央に満開の一本桜がある。ぐるりに植わった桜たちを束ねたような大木だ。空を支える如くに枝を広げ、千朶万朶の盛りとなって咲き誇っていた。
気の早い一片が、そよ風に舞い降りていく。
「見事だ。決勝の日には桜吹雪となるやろうの」
家光はそう言って、弟を振り返った。
忠長はふいと顔を背ける。
御剣試合の会場を下見した後、半ば無理矢理に誘い出したせいもあるだろう、気難しい弟君は、庭木を誉められても、さして嬉しくもないらしい。
「特にあの辺りの枝振りががよいな。よく枝垂れて艶かしい。切ってもいいか?」
その切り取るにお誂えむきに伸びた一枝を、扇子の先で指す。
聞かれて忠長は家光を一瞥し、
「桜切る馬鹿、とは聞いたことがないのか」
家光は笑顔を返す。
「美しいものは欲しうなる」
「下らん」
不機嫌を隠しもしない声音だ。
「それよりも、家光。大典太の他に、何を運びいれた?」
ご機嫌ななめはそれが理由か、元からか。
家光は、瞬きをして扇子を唇に触れる。
「伝えておっただろう。試したい者がおる。悪さはさせんから、安心せよ」
縄張りに異物があれば警戒するのは当然のことだろうが、説明する気はなかった。下手に興味を持たれても困る。
実際、それは駿府へ来た第一の目的ではない。天下五剣についてと比べれば、些末なこと。
ただのちょっとした業物よ、と、笑顔を深めた。
追撃があるかと思いきや、忠長は踵を返して立ち去ろうとする。
ろくに答えなかったせいで苛立たせてしまったか。引き留めれば、さらに機嫌を損ねる気がする。立場を鑑みれば気を使う必要は全く無いのだが。
忠長の背中に家光は問いかけた。
「──剣取りは成ると思うか?」
「知るか」
素っ気なく返し、城主は行ってしまわれた。
離れたところに付き添いの者がいるにはいるので、ぽつねんと寂しいことにはならないが、それにしても・・・
「・・・まぁ、よい。楽しみはあることだし」
今年の御剣試合は、きっと一味違ったものとなるだろう。盛り上がる民草を思い、ニヤリとしてしまう。
参加者の中には懐かしい名もあった。
「どうなることやらの」
ぬるい春風を受けながら、微笑んだのだった。
◇◇◇◇◇◇
駿府に宿をとって数日が経つ。
日に日に人が増えていくようだった。
明日はいよいよ御前試合の初日。参加の受付も済ませ、やることもないので、多くの人でごった返す町に、実彰はハバキ憑きを──憑き物なので仕方なく──連れ、出てみた。
表の通りは数歩踏み出すごとに誰かとぶつかりそうになるほど混みあい、腰に差した孫六兼元を守りつつ歩かねばならない。
ここまで人が多ければ、返って目立つこともない。ただ目の前を人が流れていくだけだ。他人にとっても実彰は、通りすがりでしかない。驚かれないわけではないが、平素よりましだ。
「これだけ人がいれば、仕事には困んないわね、実彰」
「ああ・・・賑やかだな。さすがは、家康公ゆかりの地だ」
繁華な通りは様々な店が軒を連ね、人々の目を楽しませていた。
人波に流されたり逸れたりしながら、どこに行くでもなく歩いていると、店と店の切れ目から、暗い路地が見え、実彰は足を止めた。
座り込む人がいる。
酷い襤褸を着て、腕や脚などは少し押されれば折れそうなほど痩せている。そう若くもない男のようだった。
普段は通りに座って施しを待つ乞食か。
珍しい存在ではない。だがこの華やいだ町の雰囲気から逃げるように、しかしどこにも行く先がないように暗がりに佇む姿は、哀れで物悲しく見えた。
「──実彰、あんたまさか、あんな不味そうな人間を・・・」
やや上空で、ハバキ憑きが唸る。
「さすがのあたしもあれはちょっと・・・」
「・・・馬鹿を言うな」
実彰は、その乞食を眺めるために足を止めたのではなかった。
蔦の細道を出て東海道を歩き、丸子宿の入り口、見附にいた番兵から聞いたことを思い出したからだった。
『丸子宿近くの神社に住み着いた乞食の家族が、食い物を探して蔦の細道に入った。
昼だから大丈夫だろうと思っていたが、そこに妖怪が出て、命からがら逃げ帰ってきた・・・』
だから蔦の細道はしばらく警戒した方がいいぞ、と、話がされていた。
涼殿だ、と分かった。
乞食の家族を使い、周辺の民に警鐘を鳴らし、妖怪に襲われる者が増えないようにしたのだろう。
東海道に間を開けて入りはしたが、それにしても手早い差配だった。
実彰の視線に気づいたでもないだろうが、暗がりの人物は消えていた。
再び歩いていると、何やら人垣ができている。その中心から、町の喧騒に負けず、女人の声が聞こえてきた。
「──そんなもったいないことしないでくださいよ! 何のためにここまで来たとお思いですか!」
「別に髪のためじゃないもん。いいから入らせてよ」
「ぜっっ・・・たい、どきません!!」
周りの者は面白そうに成り行きを見物している。
恐ろしいほどの衆目を浴びているのに、当人たちは気にする様子がないのが凄い。
かもじ屋、の看板を掲げる店の前だ。かもじとは、女人──特に身分の高い──が、髪の長さが足りない時にそれを補うための付け髪のことだ。店では買い取りも行う。
どうやら髪を売る売らないで揉めているらしい。民衆側を向いた片方が腕を広げて行く手を塞ぎ、必死に止めていた。
「あれっ? ねえ、実彰、あれって・・・」
「・・・」
実彰の頭は人より一つ二つ高い位置にある。知った顔が見えた。
瞬間、引き返そうとした。
しかし叶わなかった。
止めている方の娘──フミが見つける。
「く、黒羽さま・・・!? 黒羽さま、お侍さま、あっほら涼さま、あっちに黒羽さまいますよ良かったですねー! 挨拶しましょ、とおーりあえず挨拶しましょ!!」
と叫んで人混みを掻き分け掻き分け、いじけて頬を膨らました涼と、人々の視線を引きずりながらやってくる。何としてでも涼をかもじ屋から遠ざけようという意志が見えた。
「・・・何を」
しているのか、一応聞いてみようとしたのを、泣きそうになってるフミに遮られた。
「黒羽さま、この人止めてください! 髪の毛売ろうとしてるんですよ、髪の毛! 女の、女のっ──」
「命って言うけど、どうせまた伸びるんだからいいでしょ」
「こういうこと言うんです!!」
「落ち着きなさい・・・」
ふて腐れた涼の物言いに、フミが顔を真っ赤に金切り声をあげる。
耳鳴りがしそうだ。
あと、周囲からの好奇の視線がきつい。
女が髪を捨てようというところにあらわれたあの男はなんだろう、という誤解。
ただでさえ自分は目立つのに。
このままでは変な評判がついて回りそうだった。
「・・・場所を変えて、話を聞こう」
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