鷺舞い(21/5)
努力はしたらしいが、ひそひそ話は耳に届いてくる。
その黄色い声に実彰は疲れさせられる気分だ。
なんだろうか、この緊張感の無さ、居心地の悪さは。
経験になく賑やかな道中になってしまった。今朝、宿を出るとき、こんなことになるとは思ってもみなかった。
涼は文を渡すくらいなんてことないと主張し、フミは軽く考えすぎだといさめる。
目付役らしい。
涼が転んだとき、咄嗟に「ひぃさま」と呼んだ。「姫様」を呼び習わした呼び方だろう。
坂を駆け下り実彰の後ろに回り込む際の身のこなしや、疲れたと言いながら平気そうな様子から、涼には体術の心得があると見える。
察するに、どこかの武家の姫君であるようだ。着ているものも、地味な色合いの着物だが、よく見れば質の良さそうなものだった。
どうしてこのようなところに居るのだか。
懐にカチャリと鳴るものがある。思わぬ収入を得た。有り難いような困るような。はじめ出された小判の枚数にはさすがに驚かされた。
上の人間には上の人間の面倒事があるのだろう。そういうところから、実彰の仕事が生まれる。
それが分かっているからこそ、追及する気は無かった、つもりだったが。
──岡辺口で、何があった?
口が滑った。
涼には、身分が高い者に備わっているべき慎みや、ある種の狡猾さが、足りていない気がする。
真っ直ぐに人の目を見るのも、素直に喋りすぎるのも、このおひぃさまの不器用さか、あるいは美徳か。
フミ殿は苦労するだろうな、と実彰は思った。
「実彰ぃ、モテてんじゃ〜ん。よかったわねぇ〜ぷぷっ」
二人の周囲を飛んでいたハバキ憑きが戻ってきていた。ニヤニヤしながらからかってくる。
「・・・静かにしてろ」
凄んでも、ハバキ憑きは屁でもない。
「くろばさまこわ〜い」
うるさい、と睨む。
「黒羽様ー!」
ひそひそ話は終わったらしく、涼が走ってきた。転ばないようにするはずではないのか。
「何か?」実彰は横に並んだ涼に顔を向けた。
「黒羽様は、御前試合に出られるんですか?」
別に隠すことでもないから、答える。
「一応、そうだ。あなた方は、見物か」
「やっぱり出られるんですね! 駿府城に将軍様が来られると聞いてます。会場からお顔って見えるものなんでしょうか?」
「それは、どうだろう。奥まった場所から御簾越しに見ておられるから、なるべく前の方からなら、かろうじて人影くらいは拝見できるかもしれない」
「ははぁー、なるほど・・・」
涼は腕を組んで考え込んでしまった。
そんなに上様の顔が見たいのだろうか。
「・・・一度、近くで見たことがある」
「え?」
「上様のお顔を」
涼は目を見開いた。
「・・・そうなんですか? 凄い」
「御簾越しではあったが、お若いながら、大樹然とした威厳のある方だった」
「目の色は何色でした?」
「目の色? 何色だったか、たしか・・・」
思い出そうとして、燃え立つ赤が、ふと浮かんだ。それは違う方だ。
だが、そうだ、目は同じ色だった気がする。
「青、だな、・・・たぶん」
「青・・・そうですか」ふむふむ、と頷く涼。
「たぶん、だ」少し自信がなくなってきた実彰。
涼はパッと笑顔になった。実彰に笑いかける。
「黒羽様、御前試合、頑張ってくださいませ。私、応援してますね」
後ろからフミの、
「だからぁ・・・」
という声が聞こえた。
◇◇◇◇◇◇
東海道の人波に紛れ込んだところで、フミはぼそっと話しかけてくる。
「まさかお心を奪われておいでではないですよね・・・?」
ふっと涼は笑う。
「心配しなくていいよ。──剣は素晴らしかったが」
「あの方、秘密にしてくださるでしょうか」
「大丈夫でしょ」
勘だけど、とは言わず。
黒羽は今日中に駿府入りするという。
こちらは丸子宿に用があるので、ひとまずお別れとなる。
同時に街道へ出るのは避けたい、と伝えるより先に、道を譲ってくれた。お見通しだった。
「黒羽殿には、迷惑をかけてしまったね」
「ところでひぃさま、お財布の残りは?」
「駕籠においてたよ」
「そうでしたっけ・・・?」
フミは、一層声をひそめて、
「妖怪があらわれたことについてはどうなさいます・・・?」
「施行ついでに適当な者を使う」
「分かりました。それについてはお任せを」
「うん」
歩く先に駕籠をかついだ集団がいた。涼が指を差す。
「あ。あれ、あいつらじゃない?」
フミは目を細めて、
「あぁ・・・ですね。追いつきましたね。合流しましょう」
涼はちょっとだけ後ろを振り返る。
侍、商人、町人、男、女、子ども、老人、馬に駕籠・・・
東海道は御剣祭や御前試合を目当てにしているらしい大勢の人々が通っていた。
(あんまり人が多すぎるのも不安になるなぁ)
明日には駿府へ着く。視界に入る人々の、何倍もの数が集って、駿府は賑やかなお祭りになるのだろう。
週を跨げば御前試合の初戦の日。
「・・・さてさて、お仕事、お仕事」
呟いて、涼は前を向いた。
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