鷺舞い(21/3)
妖の体は、突風に吹かれた粉のように雲散霧消した。後には何も残らない。
男は音もなく納刀する。
天の助けかと思った。
(・・・お凄い)
神速の一太刀が、妖を割った。
涼はその瞬間を、目を離さず見た。心臓はバクバクしていたし、呼吸も辛くなってきていたけど、その瞬間ばかりは息を止めた。
見るものを見とれさせる剣──こういうものが、この世にある。
(いいもの見れたな)
フミを見ると、地面に這って喘ぐように肩で息をしている。走り込む際にフミだけ転んだ、そのままの姿勢で、しばらく動けなさそうだ。
涼も脚が疲れた。
走るのを止めたら、冷えた手足に体温が戻ってくる。
呼吸がある程度落ち着いたところで、男に向き直り、深々と頭を下げた。
「お助け下さり、有り難く存じます」
「大事ないか」
「はい、おかげさまで、無事に済みました」
微笑みつつ、改めてお顔に目を向ける。
背の高いお方。涼たちより上に立つから、顎をくっと上げないと見えない。
女の勘は休むことを知らないものなんだと思う。峠の頂上から見下ろした時からひそかに気づいていたが、これはいわゆる、“いい男”ってやつだ。
そのお顔立ちの麗しさたるや、天が遣わしたと思ったのも、ただの感ではないと本気で信じそうになる。
「あなた様に行き逢えて幸運でした。命の恩人様ですね。お礼をしなくては」
美丈夫は頭を振って、
「大したことはしてない」
「あら、本当に助かりましたのよ」
涼はかがんで傍らのフミの背を撫でてやる。
「大丈夫、フミ・・・?」
フミは声も出せないらしい。代わりに手を振って答える。
視野にスッと竹筒があらわれた。見上げれば美丈夫が差し出している。
「水ならあるが、飲まれるか?」
「まぁ、ご親切に!」
申し訳ないが、有り難く受け取る。お返しのお礼を増やさねば。
蓋をとってフミに渡す。上体を起こしたフミを支えてやる。飲み終えてもまだ息は乱れているが、なんとか落ち着いたようだ。
「・・・し、死ぬかと思いました・・・」
「宿についたら、また結ってあげようね」
涼はフミの髪を撫で、
「お転婆娘みたいになってる」
クスッと笑うとフミはちょっと恥ずかしそうに身動ぎした。
「い、いいんですよ、わたしの髪くらい・・・」
立ち上がるのを手伝う。
美丈夫は、静かに待ってくれてる。
姿勢を正して、名を告げる。
「申し遅れましたわね。私、涼と申します。こちらはフミです。あなた様のお名前、よろしければお聞かせ願えませぬか?」
美丈夫は数秒間ためらう。しかし教えてくれた。
「黒羽実彰と申す」
「黒羽実彰様・・・なるほど、それで──」
聞いたことのある名だった。
詳しくは知らないが、凄腕の剣豪だったはず。見事な太刀筋も納得のもの。
涼はにっこりと笑って言った。
「つまらないものを切らせてしまいましたね」
黒羽は苦笑する。
「本当に、お助けくださって、フミにお水まで。なんとお礼したらよいか」
「ほ、本当に、ありがとうございました!」
フミも頭を下げた。
「お気になさるな。──あの妖、どの辺りで出くわされた?」
不意に黒羽は質問してきた。
「山に入り、しばらくして」と、涼が答える。
「あの坂道を、二人で走ってこられた?」
「そう、なりますねぇ」
黒羽の目は涼とフミを交互に見下ろす。
涼は目をそらす。
・・・聞きたいことは分かる。
フミが涼の着物を、涼が痛いくらいにはたいて、汚れを落とす。
まずは自分を身綺麗にしなさいよ、と涼は思う。
「この方、体力だけは、化け物なんですよ。お転婆娘は、この人自身のことなんです」
「これでも疲れてるんですよ〜」
「お疲れのようには見えないが」
「そうですか? いやもう、へろへろですよぉ〜っ・・・?!」
フミのパンパンから逃れようとして。
言ったそばから足がもつれて。
踵がついた地面には、水をたっぷりと吸った苔がむしていた。草鞋が足袋越し、足裏にずるりとした感触。
「危なっ・・・!」
黒羽が咄嗟に手を伸ばすが間に合わない。
それどころか踏み出したために、滑った涼に脚払いを食らうが如く一緒に倒れる。
救いは、道の脇の花叢を後ろに倒れたこと。
──雪柳が、吹雪いた。
ふかふかのお布団をぴっと裂いたら、こんなふうに綿が舞うかと見た。そこに一瞬、たゆたうように揺れた白い髪。
わあっという、フミの悲鳴が、涼には遠く聞こえた。
花の奇跡じゃない。黒羽が涼の頭を抱きかかえて倒れてくれたからだ。
ふわりと包まれたおかげで、どこも傷めずに済んでいた。
次のページ#*前のページ
(21/3)
しおりを挟む
戻る