鷺舞い(21/20)


 何度も何度も。
 飽きずに、懲りずに。
 思い返しては噛み締めて。
 感触は記憶になり、記憶は思い出に、思い出は幻想に近くなった。もはや遠いもの。掴めないもの。
 皮、肉、骨。一つ繋がりを断つ。
 あの時、それができた。地に転がっていたのが“なまくら”だったなら、今私がここにいることはなかっただろう。
 ただの刀でなかったと知ったのは、黒田の屋敷で様々な刃物に触れる機会を得た後でのことだった。義父上でさえ手に振れることの滅多にない業物も、私の目には劣るように見えた。
 桜の枝は人の腕とは柔さも熱も厚みも違うけど、斬る瞬間の感触でわかった。
 これはあの時の刀だ。

「私が私の兄さんを斬った──刀です」


◇◇◇◇◇◇


「・・・そうか。悟るか」

 そう言って家光は目を伏せた。こうなることを心のどこかで予感していた。
 御前試合で刀を飛ばされ転び、ぽかんとしたあと黒羽に笑いかけた無邪気な笑顔を見て、この者なら大丈夫だと思った。
 だからやめようかとも考えた。試すとは、騙すことだ。裏切ることだ。
 だけど、それでも、確かめなければならなかった。そのために呼び寄せたのだから。
 そして想像通りになって、さらに涼は勘づいた──刹那にも満たなかったであろう、手応えをもって──よりによってこの刀を持たすか、と。罠にかけられた気分だろう。

「・・・ご存知だったんですね。なんでこんな・・・。義父上もあなたのしもべですか」

 掌上ですか、と冷たい響きが聞こえた。見れば涼は悲しいような、怒るような表情でいる。
 家光は苦く笑った。

「──そんな顔をするな」

 つい先ほどまで、花のように笑っていたのに。
 そうだ、分かっていた。だがそれでいい。嫌われていい。
 いいのだ。この娘には、使命があるのだから。
 家光は立ち上がり、身を翻した。

「聞いてもらわねばならぬことがある。ついてまいれ」


◇◇◇◇◇◇


 城内の奥は静かな一室に、涼と家光は対面に座した。宗矩が控える。
 二人の間には二振りの刀と、桜。
 四方を壁と襖に閉じられているため灯りがともされている。その光を受けた永楽銭が場違いに光っていた。こちらは脇に置いておくべきだったなと、この後駿府のことを思い出すたびに涼は思うことになる。
 家光は茶で口を湿し、話しはじめた。

「まずは刀の名を教えよう。──千五村正。妖刀だ」

「・・・むら、まさ? ・・・え?」

 涼が首を傾げる。その名前に“妖刀”という言葉がついてくることは、知識として違和感はなかった。が、今ここで聞くことになるものとは思っていなかった。
 何の話だ?

「他言無用だぞ。それが人の手の内にあるということ、知る者は限られている」

「はぁ」

「ことは五年前。筑前より早馬が来た。ある手紙を持ってな。それにはこう書いてあった──」

──妖刀、村正を捕えたり──


◇◇◇◇◇◇


 村正の存在は、かねてより知られていた。筑前の辺りに移動しているらしいとは、頼りない報告だが、あるにはあった。噂程度だがな。
 妖刀は人に憑く。心を惑わし、宿主の恨みを食いものとする。代わりに力を与え、凶行に及ばせ、ついには宿主の命さえ貪る。
 用が無くなれば影へ消える。不可侵の闇に潜み、次の餌を探す。そういう妖怪だ。
 しかしその筑前からの報せは、前代未聞だった。妖刀が捕まえられるものとは、誰も思っていなかったからな。
 とりあえずは簡素な術をかけさせつつ、あやかし封じの術を施させるため、寛永寺の大僧正、天海のもとに運ばせた。
 そして封印した。
 ・・・はずだったんだがな。
 誘われる者が出る。
 刀に憑かれる決定的な行動は何だと思う?──それは柄に触れることだ。
 柄を握ったが最後、気を狂わせて恨む相手を手にかけ、自らも村正に消費されて死ぬか、人の手によって処分される。
 また術をかける。また誰かが殺され、憑かれた者が死ぬ。
 それの繰り返しだ。
 封印が効かない。被害は増えるのみ。
 なぜ効かないのか──いや、一旦は効いているのだ。
 しかし、時が経てば封じる力に綻びが出てくる。通常そのようなことはないはずなのだが、起こる。
 封印の呪が未熟か?──これは有り得ない。余が信を置く者の手によるものだ。
 人心にある恨みを食って生きると伝わる。それは間違いないようだ。死に様から分かる。
 復讐を胸に秘めた者が、自力で探し当てているだけかとも考えた。
 しかし否だ。
 江戸に置いて間もない頃──寺の内部でも極秘であり、村正の存在を知る者は数名といない時期、遠方より来る旅人が、寺奥の倉内から、襤褸に包まれた一見して刀と分かりそうもないこれのみを、他に金目の物があったにも関わらず、盗み出そうとしたこともあった。
 ・・・声がしたんだそうだ。刀のな。
 封印しておいて声が云々もなかろう。術が解かれかけていたのだ。
 なにぶん、妖怪の理とは分明なものではない。
 だからといって、ここまで飼い慣らせんものか。黙らせられんものか。
 我々は仮説を立てた。
 封呪に対抗する力を、村正がどこからか、もらっているのではないか・・・と。
 そも──捕える、とは何だ。
 先も言ったが、捕えられるものなのか、あやかしを?
 あやかしとなった刀を?
 捕えられた時点で、村正に何か異変があったと考えるべきなのではないか?
 そこで思い出された。
 若い女だが、妖刀を手に取り人の腕を斬って尚、以前と変わらず生きている者がいる。
 人の生気を糧にするあやかしだ。どのような繋がりからかは分からんが──天海は絆と言った──その人物から力を得ているのではないか?
 言うなれば本命の宿主。
 そことの絆が生きている以上は、村正も生き続け、弱まることがなく、封じられないのではないか?


◇◇◇◇◇◇


 妖刀だの、宿主だの。
 何を言っているんだと、言いたかった。
 兄さんを斬ったときの刀が、妖刀だった?──まずそこから頭が追いつかない。
 目の前の刀が間違いなく当時のものだと確信している。
 だがこれの、なにがあやかしなのか、涼には分からない。妖怪の気配など微塵もない、ただの物だ。将軍の話といえ、すんなりと信じられない。
 しかし妖刀と言われて、納得する気持ちもあった。あの切れ味はただ事ではないのだ。
 涼が五年前に手に取る前と、それからの年月、一体何人が憑かれ、何人が殺されたんだろう。その中に自分がいないことが、不思議な感じがする。
 涼は喉をつまらせながら、やっとのことで声を発した。

「先ほど、桜を斬らせたのは・・・」

 家光は脇息に肘をついて薄く笑った。

「そなたが本当に心を侵されていないか、確かめるため」

 ぞっとしない答えだった。将軍の自覚がないのか、この人は。
 涼はほとんど悲鳴のように叫んだ。

「危ないことをなさる! 私が憑かれていないという保証がどこにあります!? 下手をすればっ──」

「だが斬ったのは桜だけ」

 家光は桜の枝を手に取った。
 握ったが最後──と言ったはずの村正の柄に、その指先が触れそうだった。見ているほうの血の気が引く。
 桜の香りを嗅ぐように、頬擦りをした。

「そなたが村正の主だ」



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