鷺舞い(21/19)


 頭に浮かんでこようとする義父の満面の笑顔を、想像の拳で叩き潰した。馬鹿っぽい髭が奇妙に震えて、消えた。

(いけないいけない。ちょっと気安くしてもらったからと油断した。ああやってからかうのだな、男というものは)

 用心せねば・・・と、涼は顔の火照りを払おうとぱたぱたと手で扇いだが、効果はなかった。
 家光は立ち上がっていた。そして唐突に言った。

「一つ、願いを聞いてくれるか、涼姫」

「願い・・・ですか?」

 先ほどのことがあるのでちょっと警戒する。
 そんな涼を見ないようにして、庭園中央の桜を家光は指で差した。
 西日が強まるにつれて影も濃くなりはじめる。やはり惚れ惚れするほど美しい。この桜、夜桜となればどれほど美しいだろう──月光に浸る桜を、涼はあわよくば見たく思う。

「枝が一本、特別伸びやかなのが見えるか」

「──はい。飛び抜けたのがありますね」

「あれを斬ってほしい」

「桜切るば──」

「何か言ったか?」

「何も言ってません」

 なんだそんなことか。朝飯前のお安い御用だ。
 けど・・・と、目が実彰の背中に行く。眠る一番刀の傍らには、十文字鍔と、無造作にも大典太もある。
 お城の桜を上様の御所望で切る役、自分よりもふさわしい人がいるような。
 涼が思ったことを察したか、家光はにこりと笑った。

「今、使い物になると思うか?」

「・・・ならないでしょうね」

 一番刀殿は「うぅん」と苦しげに寝返り、仰向けになった。
 家光は実彰の脇に座り、眉間に寄った深い皺を伸ばすようにぐりぐりしている。やめてあげてください、と一応言っておく。

(桜・・・傷めないように斬ってやらねば)

 庭師の真似事みたいだ。上様の命令であるし、なるべく綺麗なまま斬り落としたほうがいいだろう。それが桜にとっても良いことであればいいのだが。
 脇に置いた永楽銭の刀を取って立ち上がりかけた涼を、家光は止めた。 

「使うのはそなたの刀ではない。──見よ」

 視線を追ってみると、城の方から何かが来るのが見えた。
 掛け軸でも仕舞われているような、いやそれよりも大きく細長い木箱、その端と端を童二人が抱えている。子どもの手には重そうなのを頑張って運ぶ様は愛らしいが、わざわざ子らに持たせなくても、と思う。
 木箱は緋毛氈の端に置かれた。宗矩が声をかけ、童たちは去る。
 何を運ばせたのかと涼が尋ねようとしたとき、

──カラカラカラッ

 と音がした。振り返ると盃の塔が崩れている。転がっていった盃のひとつが地面の土に至って止まる。
 一瞬、家光の眉根がほんのわずかに寄るのを涼は見た。
 強い風が吹いたわけではなかった。春風はそよいでいても、花を散らし髪を揺らす程度。寝ている者が身をよじって緋毛氈を動かしたのでもない。何が塔を倒したのかわからない。
 しばらく、誰も動かずにいた。
 ・・・しかしそれきり何が起こるわけでもなかった。
 家光が仕切り直すように、

「あの箱を、ここへ」

 と促し、涼は木箱に歩み寄った。
 なんだったんだろう、今のは。


◇◇◇◇◇◇


 乾いた音が聞こえたような・・・
 実彰は薄目を開けた。具合の悪い微睡みに意識はまだ溶け込んでいた。
 頭が重く感じる。中に鉛でも溜まっているかのようで、重力に逆らえず、一旦は開きかけた瞼をまた閉じた。

「実彰、実彰っ・・・!」

 と、聞きなれた妖の声が呼んだ。ひどく怯えるような声を聞いたのは、彼女と出会って以来、しかしこれがはじめてかもしれない。
 何事だろうと思いはするが、草と土の香りが濃く、そういえば城の庭で宴が開かれていた、私もそこに・・・
 ──妖の声かけもむなしく、実彰の意識は眠りの波に再び飲まれた。
 宿る刀の持ち主が起き上がらないのを察し、ハバキ憑きは歯噛みした。
 箱が運ばれてくる。嫌な雰囲気。悪寒。駿府に漂う、拒まれているような空気──こいつが原因か。

「・・・何したらそうなんのよ・・・」

 低く言って、影の世界に隠れた。


◇◇◇◇◇◇


 木箱の蓋を開けると、刀があった。敷き詰められた布の上に寝かされて、打刀が収まっている。
 なんとも言えんな──と涼は思う。
 ちら、と上様に目を向ける。
 上様は膝に手をついて、箱を覗き込んでいる。涼も目線を刀に戻した。

「地味、ですね」

「地味だな」

「・・・」

「・・・」

 ・・・どうしよう。それしか感想が出てこない。
 粗ではないが、美とも言えない。
 生漆の鞘はすらりとして木目は悪くない。平坦な板鍔は、川に持って行って水切りに使ったらよく跳びそうだと思う──つまりはどこにでも転がってる石みたいだ。鮫皮か、平紐の巻かれた柄も、やや太めだが、ありふれた物に見える。

「これで、斬れとおっしゃるんですね」

「弘法筆を選ばず。居合の黒田、期待しているぞ」

「・・・お目汚しを致します」

(桜が欲しいのは口実で、剣技が見たいのかな)

 思いつつ、涼は刀を手に桜に近付く。宗矩の前を通るとき、頭を下げた。硬い面持ちで頷かれた。
 望みの一枝は、緋毛氈の上に差し掛かっている。

(可愛い花。斬るならせめて美しいままに)

 軽く身を落とす。


◇◇◇◇◇◇


 涼が型に入る。
 宗矩の硬直した顔が、より険しくなる。
 家光は──目を細めた。


◇◇◇◇◇◇


 柄に触れる。
 斬る。
 ──誰かに酷く、睨まれてる気がした。


◇◇◇◇◇◇


 抜刀ついでに鞘を捨て──切り上げ、すかさず回転。空いた左手を右腕の下へ差し出し、落ちる枝を地に触れる寸前で取った。
 ひとひらの花も落とさず斬りたるを、驚く者は一人もいなかった。
 まるで斬られたことに気付かないように、桜は涼の手の内に握られている。
 しかし目は──家光も宗矩も涼も──花を見ていない。
 夕日が涼の右手を照らす。その先の刀をも。
 涼は目を見開いていた。顔の前に上げて、よくよく見てみる。

「これは・・・」

 完璧な刃物だった。
 ただそれがそこにあるだけで、それ以外に何もいらない、余計な飾りなど削ぎおとして然るべき、一振。
 水鏡のような刀身には、桜が姿を写りこませているだけかと見えた。
 ──が、違う。
 桜が写ってはいる。しかしそれよりも煌めいて、蝶の舞うような花の零れたような皆焼(ひたつら)が、刀身に焼き付いている。
 その模様と模様の隙間、刀を持つ涼自身の顔──驚きに丸々とさせた目と目が合った。
 見ていられず、涼は無理やり視線を外した。
 ゆっくりと振り返る。

「・・・上様・・・私、これ──」

 喉が苦しい。
 声が掠れる。
 胸が痛い。とてもとても、痛い。
 涙が出そうだった。

「──使ったことが、あります」


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