鷺舞い(21/18)


 義父、黒田忠行とは、一回りも離れていない。
 実の兄より三つ上のまだまだ若い人で、貫禄が欲しいらしく、似合わない髭を伸ばしている。「外様だから」「若造だから」とナメられたくないのだろう。しかし元々が童顔なので、背伸びしているように見える。
 義父上はよく戯れ言をいう。一歩間違えれば狂人かと思われそうな、ふざけた妄言を。
 しかし腐っても鯛、大名という地位ある人なので、義父に慣れていない者が聞いてそれを信じ、家老が訂正して回ることもしばしば。
 他人事であるうちは笑っていられるのだが、悲しいかな、時々、私にも避けようなく火の粉が飛んでくることがある。
 言われて一番困るのが、嫁入りについてだった。気易く言ってくれるのだ。おかげで耳にした侍女がすっかり期待してしまう。

「涼、お前は上様の側室も夢じゃないんだぞ!」

 寝言は寝て言えと思う。
 なので眠り薬を混ぜた酒を出させて様子をみたりしてみるのだが、そこは黒田武士の胃腸の強さが邪魔をして、弁舌が衰えることはなかった。ちっ。
 そんな義父上にも弱点はあった。
 黙らせたいとき、よくこうやって言い返した。

──将軍様の妹君との縁談を反古にした方は、さすがに言うことが違いますね。

 江戸にいらっしゃる義母上には悪いなと思いつつも、効果抜群なので、つい多用した。


◇◇◇◇◇◇


 涼は勝ち取った証の盃で塔を作って遊んでいた。別に楽しいというほどではない。
 傾きだした日の光は、緋毛氈の上に積み上がった塔の影をやさしく滲ませる。
 飲みくらべは涼の圧勝で決した。
 とっくに駄目になっていた実彰は行き倒れのように臥せている。流れる髪の線が優美だ。
 それとは別に、酒に飲まれた男たちが折り重なってできた絨毯は、地獄みたいに見苦しかった。
 負けを予感して早々に退席した者も多数いたが、それは残った者たちより賢い選択をしたと言えるだろう。醜態を、しかも上様の前で晒さずに済んだのだから。
 最後の盃をてっぺんに重ねる。なかなかの高さになった。数えていなかったけど何重の塔だろう。
 「ふむふむ」と、塔の出来に満足していると足音がする。そのほうを見れば、将軍様がこちらへ近付いてきていた。
 手に徳利と盃を持っている。

(え、サシ?)

 さすがそれは恐れ多い・・・。
 とはいえ、酒の相手を勤められる者は涼がすべて使い物にならなくしていた。宴席の隅に控えている剣術指南役は、ただ黙って石のように座っていた。
 紫の珠衣の君が、片頬を日に照らされて死屍累々を越えてくる。
 足元の男たちに躓くと見せかけて蹴っているように見えたのは、涼の目の迷いだったろうか? 蛙が潰れるような声が聞こえたが。
 だが家光はそ知らぬ顔をして、実彰を跨いで涼のもとへとたどり着いた。
 涼は少し後ろに退き、家光の足の近くへ頭を下げる。

「──上様」

「静かになったな。よくやった、黒田」

 呆れられるか叱られるかと思いつつ意外にも褒められたので、涼はお辞儀を深める。

「恐れ入ります」

「面を上げよ。せっかくの花が見えぬだろ」

 涼がおずおずと姿勢をなおすと、見下ろす家光は目を細めた。

「それでいい」

 家光は涼に徳利を手渡しながら座る。隣に横たわる実彰の腰は、ひじを掛けるのにちょうどいい位置にあった。
 凭れかかり、その実彰の顔を覗き込みながら、

「黒羽が下戸とは意外よな。なんでもそつなくこなしそうな顔をして。宗矩も当てが外れたな」

 当てとはなんだろう。言われた側付きはちらりとも見ずに固まっていた。
 涼は酌をしながら、おそるおそる声をかけた。

「・・・篠さん」

「なんだ?」

「返事するんですね」

──にやり、と家光が笑う。色気にも幼さが残るような笑み。

「・・・黒羽殿は一滴も飲まれてませんよ」

「知ってる」

 盃に花びらが落ちた。家光は一気に飲み干す。喉仏が白い皮の内でこくりと動いた。
 ふう、と息をついて盃を膳に置き、帯から扇子を抜いて開く。
 酒に火照るのか、顎を上に向け、襟元を広げて首を扇いでいた──繋がった翠の輪に涼の目が吸い寄せられた。赤い紐に結ばれて揺れる、翠色の宝石。

「この酒はお気に召されたか?」

「悪い男が出す酒だと思います」

「ははっ!」

 扇子で口元を秘す。そういう仕草をされると、艶やかな目がより引き立つ。

「少しは物怖じせねば、忠行の寿命がもたんぞ」

「少しは縮まってほしいものです。──それより、綺麗ですね。翡翠でしょうか」

 家光は涼の視線の先、扇子についた組紐に目を向け、

「ああ、これか。触るか? まさしく翡翠だ」と、扇子を閉じた。

「いいんですか? ありがたく・・・わぁあ」

 膳に置いた徳利と同じくらい気さくに渡されたのを手のひらに受け取った。宝玉の冷たさが気持ちいい。
 まじまじと見る。円やかな翡翠に、組紐の赤の映えること。つるつるした石の表面にも映りこむ。

「可愛い・・・綺麗ですね。──そうだ」

 輪をつまみ、顔の前に持ってきて、奥を覗き見た。翠の中に家光の青を置く。自然と笑ってしまった。

「あはは、玉に玉が入ってる」

「ん?」

 家光は首を傾げた。涼は扇子と翡翠を下ろし、家光へ返した。

「義父上は、上様の目の色を存じ上げないそうです。私が知ってると伝えたら驚かせられると思いまして、駿府に来たら伺いみてみようと企んでいました。上様の目は、瑠璃玉みたいですね。翡翠の艶さえ劣るようです──」

 言ってから、まるで口説き文句のようだと思った。
 無礼を働いた。ちらっと顔を見上げれば、家光は扇子を杖にうつむきがちな体を支え、片手で額をおさえていた。

「──上様?」

 家光が髪をかき上げる。案外可愛らしいおでこが見えた。
 立てた膝に腕を置き、背筋を伸ばし肩の力を抜き、まっすぐに涼を見る。
 それだけのことなのに空気が変わった。切っ先のように鋭く、逃げを許さない雰囲気、しかし決して冷たくはない。
 大樹然──と実彰は形容した、その意味を知る。義父上には真似できそうにないな、と涼は思った。
 家光が口を開く。

「涼姫」

「はいっ」

 涼もぴしっと姿勢を正した。何を言われるかと、少しだけびくびくする。

「礼を言っていなかった。姫には祝舞を納めてもらい、感謝する。──素晴らしかった」

 胸がちくりとした。嘘をおっしゃっていると思った。
 その勘が正解かはわからない。上様という宝玉に映った、見る側の心だったかもしれない。
 後ろめたさをぐっと押し込めて頭を下げた。

「・・・お誉めにあずかり、恐悦至極に存じます」

「余の言葉は誠」

 緋毛氈をすり寄る衣擦れの音を耳に聞いた。
 翡翠の玉が緋毛氈に垂れるのが視界の端に見えた。涼の影内にきても尚、凛とした艶。
 芳しい香りを感じ、おや、と思う隙もなく、慈雨のように優しい響きが降ってくる。

──探幽を連れてくるんだったと、後悔した。

 涼にだけ聞こえる囁きだった。
 やおら一房の髪を弄ぶ、細竹のようなしなやかな指を、髪伝いに感じる。
 顔を上げられない。
 だって、起き直ったら、体温と体温がふれ合うほどに肌近いところにいらっしゃる・・・
 髪が、痛くない程度に引かれる──まるで愛馬の手綱を引くみたいに。
 面を上げよと、私が姿勢をなおすのを、上様が待たれている?
 どきり、と聞こえた音は自分の心臓の音だったと、遅れて気付いた。

(なに、これ・・・)

 心臓が早鐘を打ちはじめる。頬が、耳が、頭が、熱い。
 酔う、とはこういうことだろうか。眩暈に溶けそうになる。
 見えない動力に涼が危うくなった寸前、二人の接近は宗矩の咳払いに打ち破られた。

「──上様、酉の刻が近付いております。そろそろ・・…」

「・・・そうだったな。──あれを持て」

 家光はあえなく離れ、涼はそろそろと身を起こした。仄かに赤らんだ頬を見て、家光は笑った。
 涼はほっと一息つこうとしたのを不機嫌な声に変え、

「なんですか」

 と問う。家光はくすくすと肩を震わせた。

「いや・・・そなたの顔色を変えるには、酒よりも言葉なのだなと思って」


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