鷺舞い(21/17)


 駿府城庭園の中央に咲く、大木の古桜。
 その桜を目にした瞬間、涼は歩きだしていた。近寄らずにはいられなかった。
 なんと大きく、なんと豊かな・・・
 落ち着いた午後の温かな日差しのもと君臨する姿は、さながら春の女王様。御前試合の会場にも、この女王の使いがたくさんやってきていたのだろう。
 枝は花の重みにしなり、風に揺れる。太く伸びた幹の苔むした様子が、大木の未だ瑞々しい生気をあらわしていた。
 袖を盆のようにして持ち、落ちてくる花びらを集めた。ただ立っているだけで山とつもりそうだった。
 私が女童だったなら、これを使っておままごとをしただろう──そう涼は夢想した。型に詰めてはご飯やお菓子に見立てて、玩具の皿に盛りつけるんだ・・・

「・・・お恨みする」

 おっと?
 不穏な言葉が聞こえたなあ。夢見心地の空想がどこかへ消える。
 涼は花びらを落とさないように、そっと桜に背を向けた。

「よく聞こえませんでした。なんですか──“大典太を授かりし一番刀”様?」

「その呼び方は止めてもらおう」

 実彰はやや尖った物言いをした。
 はて、侍の夢を叶えたはずの人にしては余裕がない。
 ふっふっふ、と涼は意地悪に笑った。なんだか小気味いい。

「まあいいじゃないですか、お諦めなさいな」

 涼は諭すように言って、周囲に目を向ける。
 庭園には緋毛氈が敷かれていた。その上に数十のお膳。使用人らが忙しく行き交い、料理と酒の準備がなされていた。
 ここで剣取りを祝い、城主主催の宴が催されるという。お偉方らしき方々が集りはじめていた。

「どうせなら楽しみましょうよ。あなた様のためでもあるんでしょう?」

 涼は袖にたまった花びらを実彰のまわりに撒いてやる。避けられた。

「そうですとも。黒羽殿がいなければ、せっかくの宴も意味がない!」

 涼の言葉に加勢したのは、柳生宗矩。将軍家の剣術指南役であり、黒田家ともあさからぬ縁のある人物だ。涼が習う剣術も柳生新陰流だったから、つまりは上の御方だった。
 決勝後、涼のもとへ実彰を連れてきたのはこの人だった。
 宴に招待した実彰が乗り気でないので、宗矩は友軍を求めていた──鬼気迫るほどに。無理くりにでも参会させたいように感じられたのは、宗矩より更に上の御方のご所望が、それほど強いからかもしれない。
 なぜ実彰が涼へ恨みがましい視線を送っているかというと、涼が全力で宗矩の味方に回り、実彰に口ひとつ挟ませずに庭園へ移動させたせいである。
 しかし怒られてもどうしようもない。涼にも立場がある。こちとら幕府の犬なのだ。なにも嫌がる実彰が面白かったからではない。ない。

「大典太に主が定まり、上様もお喜びである。祝杯の一つも上げねば勿体のうございますぞ」

「まっこと、その通りです〜」

 宗矩が言うこと全てに涼は頷く。ワンワン。

「酒宴の口実など、何でもいいのが世の常だ」

「往生際がお悪いです〜」

 尚も抵抗を試みる実彰に涼は肩をすくめてみせる。
 宗矩がこほん、と咳払いをし、一旦失礼すると言った。

「上様が来られるまで今しばらくお待ちを。では涼姫様──頼みますぞ」

 実彰を引き留めておけと目が光った。
 涼は分かっています、と会釈し、声の届かない辺りまで宗矩が離れたところで呟いた。

「上様が来られるまで、ね。城主主催って仰ってたから、城主様も来られるんですよね?」

「さあ」

 そっけない返事。いいけど。

「分からないでもないですけどね、知らないおじさんたちとの宴会なんて、絶対つまんないに決まってますし。でもほら、お酒はきっと美味しいですよ」

 なにせお城である。いいものが出されるはず。料理も美味しいだろうし、舌鼓を打ちつつ適当におじさんたちとの会話をこなせばいい。
 酒が入ればどうにでも時は過ぎ行く──涼は元気付けるつもりで言ったのだが、実彰は頭を振る。

「酒は好まない。苦手だ」

「おや、おやおや、それは──」

 飲ませてから戦えばよかった、なんて口が裂けても言えなかった。
 代わりにいいことを思い付いた、という風に、ポンッと手を打った。

「ではこうしましょう、黒羽様」

 涼は提案した。
 実彰と涼は隣の席を確保する。実彰に注がれた酒は飲んだふりをして盃を涼にこっそり渡す。涼は自分が飲み干した盃と交換する。そうやってれば実彰は飲まずに済む。

「それではあなたが大変だろう」

 注がれた倍、下手をすればそれ以上を飲むことになる。

「──黒田には決まりがありましてね」

 涼は目を細め、ふっと不敵に笑った。

「新しく人が入るときは、庭に三間の綱を張りまして、一升飲ませて渡らせるんです。渡りきれなかったら黒田の者と認められません。私はそれに二升で挑みました。もちろん端から端まで、きちんと綱渡りしましたよ」

「嘘だろ?」

「ほんとですよ」

「酒なら断るから、無謀なことはなさらなくていい」

 信じない実彰に本当に大丈夫だからと話していると、お偉方たちからお声をかけてもらったりなどする。
 対応に追われるうちに、宴の準備が完璧に整ったらしい。
 そして、この日の本で一番偉い御方が姿をおあらわしになった。


◇◇◇◇◇◇


 かくして酒宴がはじまった。
 つい昨日見ていた美麗な男の顏と、まったく同じものが上座に座っている。
 疑っていたわけではないのだが、何も邪魔する物のないところで改めてその雅やかなお姿を拝せば、

(本当に将軍様だったんだなぁ)

 と感慨深い。
 それにしても、天は二物を与えたどころの話じゃない──涼は唸った。
 この庭の桜に主がいるなら、それは上様以外に許されない。花はきっとこの御方のために咲き、この御方のために散る。そうとしか考えられないほど絵になっていた。

(・・・口に出しては言えないけど)

 城主様はいらっしゃられなかった。しかし上様が気にしていないからか、誰も気にする様子はない。
 実彰は末席にお邪魔しようとしたが、無礼講というお達しがあり、何より時の人であるから、結果上座寄りの真ん中くらいの位置に座らされていた。そのどさくさに紛れ涼も隣を陣取っていた。
 上様のご機嫌麗しく、おじさんたちも意気揚々と酒が進む。
 涼は自分の盃に注がれた酒を飲んだ。

(あ、これ・・・)

 振る舞われているのはなんという酒だろうか。
 口当たりはまろやかで飲みやすいのに、胃に落ちた瞬間、控えめに、だが妖魔のようにほくそ笑んでいるのが、涼にはわかる。
 これは気づかぬうちに湯水のように飲んでしまっている、危険なやつだ。ずるいやつだ。
 涼にも良心はある。無理に参加させた責任を感じて実彰にひっついていて正解だった。宴会場に漂いだした酒の匂いを嗅いでるだけでくらりときてるらしい。
 一番刀へ酌をしにくる者が多い。実彰が遠慮したとしても「まあまあ、一献、一献」と結局注がれている。

(だから言ったのに)

 影から奪うようにして、ささっと盃を換えてやる。もはや断られなかった。
 涼がくいくい飲んでるとさすがに目立った。酔いの回りだしたおじさんたちに面白がられ、次々と注がれてしまう。
 にっこり笑って飲み干すが、飲まされるだけなのはつまらない。しつこい酌をやり過ごすコツは、注いでくる人に注いでしまうことだ。飲ませ上手が旗を取る。
 涼は飲みくらべをしようと持ちかけた。
 いくら酔っぱらいでも、自分らと涼の顔色を見比べればすでに勝負はついてると分かりそうなものだったが、そこは武士の矜持があるのか受けてたった。
 酒を持てと給仕に催促するお偉方に気取られない程度に、涼は鼻で笑う。
 酒ってほんと、何の意味があるんだろう。水を飲んでるのと変わらないじゃないか。
 実彰には楽しもうなどと言いはしたが、その実何を楽しめばいいのか、涼にも分からない。
 だが勝負事で負けること能わず。
 調子よく黒田節を歌ってくれだしたおじさんたちを、涼は笑顔のまま冷ややかに見下した。

(・・・なめるなよ)


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