鷺舞い(21/16)


 鷺が降り立った。
 全身を白の装束に白鳥を模した冠──その下には打覆いの如く垂衣がひらり──舞手の動きに追随しひらめいてはあと少しのところで顏を隠す。
 地を踏み空を撫でる先から慈愛の温もりの残りが見える心地する。生きる上でつく傷が、なるべく少なく終わるようにと、鷺の仕草はどこまでも優しい。
 桜と戯れるようにひるがえる白妙の袖は絹か。横笛の音に乗って風を切る翼を思わせる。
 鷺がいかに軽やかに飛びまわるとも微かな軋みさえ聞こえさせない舞台は、このために突如駆り出された大工らがいたとかいなかったとか、噂は巷の人々の口の端に上っていた。 
 とある観客の懐などには瓦版がしまってあった。昨日のものとは別の、今朝に売られたものである。それには一部、こう書いてあった。

──準決勝にて大立ち回りの女武者は筑前大名の姫君、その名も涼姫──

 ならば女なれども武芸達者でさもありなん、と実際に観戦した民たちはうなずきあった。
 しかし今日、楽しげに舞台に舞う鷺の、ときおり垣間見えるまなじりに、その女武者の影を見た者はいただろうか。
 鷺が天を望めば、細い首筋の輪郭が白んだ。傷一つなく済んだ首が。


◇◇◇◇◇◇


 踊りながら私は、かつてない緊張に襲われていた。
 手ってこんなに震えるんだ。観客に悟られない程度に抑え込めていられるのは剣術に鍛えられたおかげもあるだろう。
──あの目が見ている。
 垂衣の端から見えてしまうものを見てしまう。
 遠いところにおわす御方の、眼窩におさまった宝玉を感じる。
 それによって不安にさせられていた。他の人々の視線など、路傍の石と変わらない。
 空よりも海よりも忘れられそうにない色が、衣装の裾からじわじわと吸い上がり、やがて私の肌をも真っ青に染めていく──そんな空想に呑まれる。
 凍りついた湖に立ったように足から熱が引いていく。
 上がらないためにやった百篇二百篇のおさらいが無意味なものになる。
 顔を隠していて、そして視界が遮られていて、よかった。義父上に知られては変な喜び方をするかもしれないので、気を回した結果、助かった。
 宝玉は、私の姿だけをとらえてるんじゃない。

(ああ、きっとあの方は、私を看破なさってる・・・)

 この震えも見えている。どんな心で見ているんだろ。
 許してくれ、もう見ないでくれ・・・心の底でそう叫びたかった。

(上様の脇息、爆発したりしないかな)

 そんなことを考えて気をそらした。


◇◇◇◇◇◇


 舞台へ花が投げられた。
 桜吹雪を突き抜けて鷺の足元へ落ちたそれは、真緋の葵の造花。
 佳境の合図だ。
 鷺は御前に向かい、ふわりと袖を広げた。
 羽を畳むように身を折り──至醇たる鷺は平伏した。


◇◇◇◇◇◇


 終わったらこっちのもんよ。
 用意してもらった部屋で衣装を脱ぐ。緊張も脱ぐ。
 濡らした手拭いで体を拭ってもらい、下着も替えた。
 縞に着替え、まとめていた髪もこの際ほどいて汗を拭いた。

「ふぃ〜、さっぱりさっぱり」

「ひぃさま、お茶をどうぞ。お疲れさまでした」

「ありがと」

 フミからもらう。喉が渇いたときのお茶はどうしてこうもおいしいのか。
 侍女の一人が部屋に入ってきて、

「涼姫様、なんと上様からお菓子もお差し入れいただきましたよ。姫様のお好きなものです」

 着替えを手伝った侍女が、上様からと聞いてわあっと色めき立つ。
 盆に乗って出てきたのは、安倍川餅だった。

「・・・そう。恐れ多いね・・・」

「? 姫様、嬉しくないですか?」

「ううん・・・そうじゃないんだ。嬉しいは嬉しいよ」

「・・・?」

 反応の薄い私に侍女たちは具合が悪いのか、医者を呼ぶかと申し出たが、断った。そうじゃないんだ。
 何も気恥ずかしく思わなくてもいいのだけど。
 しっかり覚えられたな、という、このかんじ。

「・・・上様からと聞いても、うちのお姫様はお喜びにならない」

 からかうようにフミが言うと、他の侍女たちも同調する。

「ほんとに。お義父上様が知ったら泣いて喜ばれましょうに」

「姫様はお殿様と違って、出世街道には興味ないんですものね」

「あら、準決勝までいけたんですから、十分出世ですよ!」

「そっちの出世じゃありませんわよぉ」

 キャッキャキャッキャと姦しい。はしゃいでるなあ。

「お前たち、このこと義父上には内緒だからね。いいね?」

「はーい」

 返事はいいんだよな、返事は。

「それより化粧とれてない?」

「とれてます」

「とれてるか〜」

 さて決勝戦はまだかな、安倍川餅食べてから見に行こうか、などと考えつつ化粧をなおしていたら、襖から声がかかった。うちの家人だ。

「姫様、もう決勝はじまりますよ」

「えっもう!?」

 おっといけない。急がないと見逃してしまう。

「試合見てくる!」

「あっこら、一人で行ったらいけません!」

 フミがなんか言ってるけど、無視!


◇◇◇◇◇◇


「一番刀、黒羽実彰!」

 審判の声が響いた。私は呆れた。

「うわあ・・・」

 あの人遊びもしなかった。
 なんとあっけない試合か。ものの数秒もかからず終わった。これでは篠さんが言ってた通りだ。
 観客に混じって見ていたが、なんだか残念そうな雰囲気が漂う。観戦し甲斐がないというもの。
 ある人が、さっきの踊りのほうが見物だったな、と言う声が聞こえた。
 ふふん、となる。
 一番刀となった黒羽殿は御前に呼ばれていた。
 上様と言葉を交わしたと見え、それから天下五剣の一振り、大典太が授けられた。
 剣取りは一番刀より上に位置する、侍にとってこの上ない名誉、らしい。
 これには観客たちも元気を取り戻して興奮していた。大典太を見ようとでもいうのか、前に行こうとする者に押されて、人混みに揉まれる。
 慌てて観衆の塊から抜け出した。

(そんなに見たいかね?)

 私は刀を扱いながら、刀剣という物への関心があまりなかった。どれも同じに見える。男の子の遊びを見るような気分になる、それだけだ。装飾を見るのくらいは楽しい。
 下賜される名誉に喜ぶのもよくわからない。大名家にいるのだから黒田家の面子を慮りはしても──至らないことが多いけど──興味がわかない。
 城内に戻ろうと歩いている最中、思い出した。
 思い出してしまった。

「あー・・・」

 思い出さなきゃよかった。
 一月ほど前のこと。黒田のお城に、江戸にいる義父上からの文が届いた。要約するとこんなかんじだ。

──御前試合で目立って、名を上げてこい。上様へのお目通り代わりだ。
──あと天下五剣、とれ。

 それでわざわざ駿府へ出張ってくることになった・・・と、思う。
 思う、というのは、文を読んでからもう結構日が経つので、一言一句まで思い出せないのだ。
 長いし、旅路。忘れちゃう。
 決して義父上のお言葉を軽んじてるわけじゃないよ。
 天下五剣をとってこいとか書かれてただろうか、書かれてたよなぁ、うん、書いてあった。書いてあったんだよな、たしかに。
 問題は、どのくらいの熱量で義父上が命令してきたかということだが、よく覚えていない。
 覚えていないということは、そこまで本気の文体じゃなかった、ということではないだろうか。
 黒田家の存在を他国の民へも知らしめたいとかも綴ってあったような。もう十分でしょ、とか呟いた記憶があるような。
 結局刀はもらえなかったわけだけど。

(怒られるかなあ。・・・でもねえ)

 精一杯戦った。やれることはやった。
 そもこちらは女である。一番刀は夢に終わって当然。土台無理な命令だとわからないなら、それはもはや義父上が馬鹿なのでは?
 叱責が降ってきた場合の言い訳を考えようかとも思った。が、一つ目の目立ってこいは叶えたと思われるし、お目通りも代わりというかなんというか、ガッツリできたわけだし・・・

(勝てるな)

 義父上に。
 反撃の材料は揃った──たぶん。
 よしよし、それならば気が楽になる。
 考え事をしながら歩いていたら、城内に戻っていた。すぐそこにさっき着替えをした部屋。
 そういえば安倍川餅を食べてない。
 部屋に戻ろうとしていると、向かいの廊下から見知った顔が、御身分高そうな誰かに連れられやってくるところだった。


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