鷺舞い(21/14)
「ひょぇっ」
情けない声出た。
驚いた拍子に安倍川餅を落としそうになって慌てて抱え込む。
この声、呼び方、あの子しかいない・・・
見れば上様と黒羽殿は気が付いていたみたい。驚いたのは私だけだった。
(恥ずかし・・・)
とりあえず、お餅を安全なところへ置いて立ち上がる。
声のほうに向き──
「・・・フ、フミちゃん」
椿の影の最も濃いところから、その子がゆったりと木漏れ日の下へ歩みでてきた。その後ろから黒田の家人の男が二人、私を確認して、ほっとした顔で会釈する。一人が背を向けた。
「どれほど探し回ったと思われます?」
フミちゃんはにっこり笑ってらっしゃるけど、温度を感じない。お怒りだ。
額に冷や汗が伝う。目を外したほうが負けだ。
いやいや、そもそも私が上なんだから負けるとかじゃない。
むしろ開き直って偉そうなくらいがちょうどいい、はず!
「ちょっとね、散歩を──」
「え?」
笑顔が消えた。こわ。
「なんでもないです」
だめだ・・・・・・
「すまぬ、私が付き合わせたのだ」
あ、救世主。篠さんがススッと割り込んでこられた。
細いけど、けっこう大きい方だなあ。その背に隠れていいかしら。
「この方はどちらさまですか?」
フミは体を傾け、篠さんを通り越して、私に向けて聞く。
・・・冷や汗が額の上で凍らされるみたいだ。
「ど、どちら様っていうか──」
上様っていうか。
ちらり、庇ってくれてる方のお顔を伺う。
形のいい右頬の輪郭が優美な曲線になった。これはきっと、黙っていろの笑み。
「──し、篠さんだよ」
「そういうことを聞いてるんじゃないんですよ」
「あ、はい」
侍女殿は真顔で重々しいため息をついてから、淡々と喋る。
「待っても一向、出てこない。城の方に聞いて確認していただいたらもう出たと言われ。しかも男二人と出ていったと聞かされ。町方に知られるのもはばかられるため、皆に知らせて走り回っておりました、わたしたち。昼もとらずに」
「まばたきをしてください・・・」
連れてきた家人たち、全員駆り出されたんだろうな。すまないことをした。
「いくらひぃさまでも女人なのですよ。皆心配しておりました」
「ごめんー・・・」
「町に行くならどうして連絡もくださらなかったんですか。今まで何をしてたんですか」
頭の隅っこにはあったのだけど、言伝を頼む暇と心の余裕が無かったのだ。
それを言ってなぜかと問われても、上様にさらわれて一緒にご飯など食べてたから、とは言えない。
「それ〜は〜・・・」
どうしよう。嘘をついても即座にバレそうだ。
言葉に詰まった私を追い込むように、フミが訝しげに目を細める・・・と、篠さんが口を開いた。
「──私は徳川に仕える者だ。涼姫に上様からあるご要望があって、その事をお伝えしていただけだ。気が回らず、そちらにはご迷惑をおかけしたな。申し訳ない」
ご要望?──と、フミが首を傾げる。
私も隠れて同じく捻った。我関せずと佇んでいた黒羽殿も一瞥をくれる。
「上様から?・・・どんなご要望ですか?」
私も知りたい。
「うむ。決勝戦前に、舞を奉納していただきたい。姫が名人である話は上様のお耳にも届いている。不都合なら、お顔をお隠しになってもよいからと仰せだ」
「・・・!」
叫びそうになった。口をふさいだ。
「・・・は? 舞を奉納? 明日? そんないきなりっ──なぜもっとはやく言ってくださらないのです!?」
フミが狼狽している。
それはそうだ。奉納というなら第一試合前に納めるのが自然だし、踊るには準備がいるので事前に依頼しておいていただきたい。普通はそうする。
無理があるような話を、篠さんは、
「思い付きでな──上様の」
ということで済ませた。
「ご滞在の宿へ案内を寄越す。衣装はこちらで用意させる。何を踊られるかだが、これは姫に任せると──」
「ま、待ってください、そのお話、受けたのですか、ひぃさま?」
フミが篠さんを回り込んで駆け寄ってきた。
私は口をふさいだ手の下で、頬がゆるむのを感じていた。
舞台だ。私の舞台。
踊れる。
踊っていいって、言ってもらえてる。
黒田の宴で所望されることはあった。だけどそれは内輪の集まりで、おおよそ人に披露することは許されなかった。もう大名家の姫様になったし、芸事は庶民の目に触れさせていいものではなくなった。
だけど駿府に来て、舞台に立っていいとお許しが出た。
それがどれだけ貴重なものか。浮き立つ心が抑えきれない。堪えなければ涙が出そうになる。
手を下ろして、握りこんだ。なんだか手のひらがじりじりする。
「踊るよ、私。・・・義父上には内緒にしよっかな?」
「・・・そうおっしゃるなら、お止めしませんけど。ですが、久しぶりでは」
「上手くやるよ」
「何を出される?」
と篠さんが聞く。
決勝戦前、つまり黒羽実彰が一番刀になる直前。
上様の御前にて披露する、神聖な捧げ物。
黒羽殿と、篠さん──藤と瑠璃と目が合う。
この二人と逢えた、我が身には勿体ない幸福。
駿府に来てよかったと、心から思う。
決まった。
「──では、“鷺”を。・・・この駿府の御前に舞い降りましょう」
◇◇◇◇◇◇
そうと決まればおさらいだなんだとあるからと、挨拶もぱっぱと済ませたフミは私を引っ張って道に出た。
そして家人が呼んでいた町駕籠へ、篠さんが「忘れ物だぞ」と投げてくれた餅の包みと刀ごと、ぽいっと乗せた。
しかし宿への帰り道になっても侍女殿はむすっとしていた。話しかけてもろくに返事もない。
「すまんて〜」
私は駕籠の脇に付いて歩くフミへと、窓から弁解する。
「ちょっとご飯食べて、歩いて、話してただけだよ。それも大したこと話してないって〜」
駕籠からだとどうしても上目遣いになるので、懇願する犬みたいな気分になる。
フミはハア、とため息をついて、もうそれはいいです、と言った。
「それより・・・」
と、格子の間から見える顔を、ぐっと歪ませた。口惜しそうに。
「・・・私は、ひぃさまが、ひぃさまのお力を世に知らしめてくださると思ってました。意外な戦いぶりだったので驚きました」
ああ、納得した。それでずっと怒ってるのか。
私が負けたから。これについてはあまり言い訳したくないが。
「居合でもね、無理だったよ。幸運が重なっても剣取りは無かったろうなぁ」
黒羽実彰がいたから。
一番刀さえ必ず阻まれただろう。
「しょうがないでしょ、私より強い人はいるわよ」
フミは口を開き、何かを言いそうになりかけて、一旦は閉じ、でも、と言う。
「遊んでおられるように見えました」
「真剣に遊んだんだよ。・・・私の本気は、私でも思い通りに出せないの」
嫌だな。
自分でも嫌なのに、声が低くなる。
口を出してほしくない。踏み込んでほしくない。
でもそれをフミにはっきりと言いたくない。言えば傷付くだろうから。そうなれば、自分で自分が嫌になる。
だから、
「もうこの話はおしまい」
そう言って、侍女側の窓を閉めた。
刀を股に挟んで、膝を抱く。はしたないけど人の目無いし。
片側からの採光に、袴の青海波がつやつやした。銀糸の刺繍の裏側は脚の肌に当たると少しだけ痛い。模様をなぞってわざと痛く擦りつけながら、独り言を言った。誰にも聞こえないように。
「私だって、勝ちたかったよ」
できることならね。
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