鷺舞い(21/13)
「安倍川に行かなくても、安倍川餅はあるんですねえ」
名物ならば、当然か。
通りかかった甘味屋にもあったので、わざわざ川近くまで出向かずともよかった。
肩透かし、とは違うだろうが、あっさり手に入って嬉しい。
竹皮に包まれた餅を、涼は掲げてみた。
前方、茶髪の美男子様が買ってくださった。
さすがにお腹いっぱいなので、後のお楽しみにしておく。
「それで、篠さん、どこ行くんですか?」
「もう少しで着く」
自分に聞きたいことがあると言う。
それが済まないと刀は戻ってこないし、明日決勝戦に進む人は付き合わされ続ける。町歩きごときで疲れる方ではないだろうが、気疲れはしてそうだ。
いい加減にそろそろ開放して差し上げなければ。
そして自分も、探されてる気がするし・・・
「あそこだ」
篠が案内した場所は、先ほどの料理茶屋からそう離れていないところにあった。
通りを外れていくつか角を曲がったら、寂しいくらい静かになった。
背の高い椿の木に囲まれ、お社がある以外は、特に何もない空間だ。
赤い椿がぽつぽつと咲く薄暗い木陰を、清涼な風が通る。心地よかった。
ここはこれから神社が建つ場所なのだと二人に教えながら、篠はお社の階段の下に腰を下ろした。涼は適当な岩に座る。もうお尻は大丈夫。実彰は木に背を預けた。
篠の目が涼を捕らえる。
涼は背筋を正して、負けまいと真っ直ぐ見つめ返した。
「──涼姫、余はそなたから直接聞きたく、参った」
と、篠が言った。
「はい」
「そなたが、何故刀を持つようになったのか、そのきっかけの五年前のことを。・・・聞かせてくれるな?」
「・・・はい」
意外ではない。しかしその辺りの事情が将軍の耳に届いていないとは思えないが──と、涼は思う。
だが話せと言われて断るつもりは無い。それが上様でなくても。聞きたい者には聞かせてやる。
どうせ人の口に戸は立てられない。
ならば自分で話して聞かせたほうが、下手に改変されて噂されない。それは大名家に入ってから学んだことだった。
だが、黒羽殿に聞かせていいものか、涼は迷った。
迷って実彰の顔を見た。
その視線は、邪魔者へ向けるものではなかったが、実彰は遠慮した。
「・・・私は離れていよう。話しにくいだろう」
その方がいいかもしれないと思いながらも、うらはらに涼は引き止めた。
「待ってください、黒羽様。いてくださって結構だし、何より警護の問題がある。・・・いてください」
頼めば留まってくれる。フミではないけど、人が良いと思う。
あるいは、少しは興味があるんだろうか、数少ない女武者の身の上話に。
「でも、本当につまらない話ですよ」
「つまらない話が聞きたい」
篠が返す。
涼は少し笑った。
「何から話せばいいでしょうか。そうですね、私は──」
◇◇◇◇◇◇
筑前秋月に生まれました。下級の武家です。
父と母と、兄が一人。
兄さんは道場で剣術を、私はいろいろな芸事を習わされまして。お武家様のお屋敷で踊りを披露し、それなりの評判をとったこともあったんですよ。昔とった杵柄というやつですね。
幼なじみの姉妹が、近くの寺におりました。孤児です。哀れんだ住職さまが引き取り、住まわせてくださってました。
姉の名は、トキ。
妹はフミ。
四人は良い友達でした。私たち兄妹には稽古事があって、二人には寺の雑用があったから、あまり遊べなかったけど。
──五年前。
・・・もう、五年も前になりますか。
私とフミは、お寺の裏の蜜柑山にいた──
◇◇◇◇◇◇
初夏の日差しは柔らかく、新緑鮮やかな木々や草。
私は木登りが好きで、フミは花摘が好きだった。
思い思いに遊んでいると、ふと、異臭がした。
花橘を抜ける薫風に混じった煙のにおいに、嗅ぎ慣れないものがあった。
畑焼きではない、なにかこっくりとしたもの──湿り気のある、胸の悪くなる──におい。
それまで大人しく座っていたフミが、走り出した。
ただならぬ様子に私も木を下り、追いかけた。
山の中腹、昔々に誰かが住んでいた、今はただの崩れた建物の残骸の上に。
炎があった。
油でもかけたか、ごうごうと燃え盛る炎が。
何が燃やされているのか、見れば察しがついてしまった。
茫然と炎を見つめて立ってる兄さんがいた。
兄さんの足元に一つ、血に濡れた刀が。向かい側にもう一つ、見慣れない刀が落ちていた。
フミ・・・あの子が、兄さんに詰め寄った。
──お姉ちゃん、子供ができてた。
あんたに結婚してくれって話したって言ってた。
無理なことを・・・馬鹿なお願いだって、わたしだって思った! どんな家か知ってるから・・・
でも、何も・・・殺すことなんてないじゃないの──
兄さんは言った。
──殺すつもりなんて無かった。
結婚はできない、トキとはできない、自分には家がある、父さんも母さんも許してくれない、だから諦めてくれって、この前そう言ったんだ。
トキは分かったと納得してた。
でも最後に逢い引きを、一度でいいからしてくれって、それで今日、ここに・・・
そしたら・・・
トキが、刀を持ってあらわれた。
どこにそんなものがあったのか。
何をしてるのか聞いても、トキは答えなかったという。
トキは兄さんを襲った。
でも、無謀なこと。
兄さんが返り討ちにし、火付けした。
燃えていたのはトキだった。
私は・・・頭がぐらぐらした。
昨日まで、ついさっきまで、私は何も知らなかった。
兄さんとトキが恋仲だったこともそうだし、兄さんがトキと、トキとの赤ん坊ごと捨てるほど、父さんたちに縛られていたこと。
気付いてなかった。
私は幼く、無知で、差し出される飾り物でしかなかった。
頭空っぽだったんです。
目の前に死体と血と炎と言い訳と、刀を見ていた。
トキが持っていたという刀。
苛烈な炎に照らされて、それは何ら穢れなきものに見えた。
──そして私は、落ちた。
◇◇◇◇◇◇
篠さんが首を傾げた。
「落ちた、とは・・・?」
「高いところから下を見たとき、吸い込まれそうになったことはありませんか? 我を忘れて、ただ吸い寄せられる感覚──」
「・・・わかるような気はする」
「兄さんの腕を、私、斬ってました。肘より少し下を、すっぱと」
◇◇◇◇◇◇
気づいたら落としていました。
物のみごとに、綺麗に斬れていた。
先の失くなった腕を見て、すっきりしました。清々しかった。
叶うなら、ずっと余韻に包まれていたいと思った。
炎と煙と、兄さんの悲鳴。じきに両親と住職さまと、村の人たちがやってきた。
兄さんは医者のところへ運ばれて、トキは、山火事の心配のため、中途半端に焼けた姿をあらわにされた。──フミはそれを黙って見ていたそうです。
私は家に連れ戻されたんだと思うんですけど、よく覚えていません。
山で何があったのか、すぐに事情は伝わっていたようだから、フミが話したようです。あの子だけが冷静で・・・辛かったろうに。
母さんは泣いて、でも私を打たなかったな。
それまでは、少し歯向かったら怒る人だったのに。怖いと思われていたのかな・・・。
すくんだように強ばって、でも消え入るような声で、一度きり私を責めた。
──どうして首を斬らなかったの。
そう言った。そこでやっと、分かったんです。
私は兄さんの将来、侍としての人生を殺したのだと。
◇◇◇◇◇◇
篠さんが聞く。
「後悔はあるか」
「ないです」
自業自得と思う。
しかし、それでいて可哀想だとも思った。
男に生まれる重圧は、家を任された重みは、私にはわからなかった。
「それから、一旦は出家する手筈になりました。尼への道が勧められたのは、住職さまや村の人達の温情と聞きました。兄さんは秋月様からも期待されて、将来有望と目をかけてもらっていたそうです。ですが、身重のトキを殺した。私がやったことは、それへの報復に見えたんでしょう。罰としてではなく、己が罪を洗うために、髪を落とすところでした」
「だが、黒田から声がかかった」
「はい。仏門に埋もれさせるくらいなら、もらってやると」
身内に刃を向けた者など、忌むべきものだと考えるのが普通だが。
しかも女ということで、世間から嫌悪される理由は増えるはず。
「奇特な方だと思いました。弟の秋月様とは仲違いされてるようだったから、当て付けかなとも。尼も悪くはないかと考えていましたが、剣の指導をしてくださるとおっしゃって、心変わりいたしました。もっとも、私がどう考えようと身柄は黒田のものとなったでしょうが」
フミを連れてくることをお許し願い、養女となった。
涼は話終え、肩の力を抜いた。
「なので私は、五年物の姫君です」
「その後、兄君は?」
涼は頭を振る。
「私が知っているのは、私が黒田涼になってしばらくして、出家したと聞きました。どこの寺に、というのは存じません。聞けば分かると思いますが、聞きにくくて・・・」
静かに聞いていた実彰が口を挟む。
「──五年で、御前試合の準決勝まできたのか。それは・・・凄いな」
涼はすまし顔で胸を張る。
「もっと誉めてくれていいんですよ。でも、男なりせば、とは言ってくださいますな」
聞き飽きました、と肩をすくめた。
ふふ、と笑ったその時、入り口近くの薄暗がりから声がした。
「──お楽しそうでなによりです、ひぃさま」
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