鷺舞い(21/11)


 涼はなかなか戻ってこない。
 誉められていい気分になったか、輪に混ざり打ち解けて、話しこみはじめてしまった。

「・・・」

「・・・」

 残された男二人の気まずさ。
 実彰は、身の置き場がない心地だった。
 ハバキ憑きが出てきていないのは幸いと思いたい。最近、調子が悪いらしい。
 涼の様子を眺めながら、篠が実彰に聞く。 

「駿府への道中、あれが世話になったそうだな、黒羽」

「・・・何のことでしょう」

「調べはついておる。・・・黒田家は何かと厄介でな」

 筑前福岡は家督相続で揉めた過去を今も引きずっているらしい、というのは有名な話だった──岡部口で何が起きたか、涼の身分が明かされた今、大体の察しがついていたが─

「涼殿は隠したがっておられます」

「で、あろうな。身内の恥だ」

「・・・何故それを、私に話される?」

 ただの浪人、しかも仕官の道を断り続けてきた者に、幕府に仕える武家の──しかも大名家の中でも上位に位置するであろう黒田家の──話を。
 篠は顎に手を添え、少し天井を見上げて考えていた。
 そして、実彰の目を見て、ニッと笑った。

「黒田が信頼しているようだから、だな」

「・・・信頼?」

 涼が?
 自分に?
 ・・・そうだろうか?
 ムカつくとか言われたこともあるし、つい先ほど刀をぶんぶん振られた、あの剣の容赦の無さ。

「──むしろ嫌われているのでは・・・」

「それもまた、間違いではなかろうよ」

 ふふん、と笑う篠──どこか気になる笑い方だった。

「その──道中の件で涼殿に会いに来られたのですか?」

 問われて篠は、ひょいっと眉を上げる。

「いや? この程度の騒動、自分たちで何とかするだろう。余は捨て置く」

「左様で・・・」

 では、本当にただの息抜きなのか。少し呆れてしまう。
 将軍に腕を掴まれて振りほどけずここまで来たが、自分がいる意味はあるのか。涼は気付いた様子はないが、三人が店に入ったとほとんど同時に入店した客は、町人を装った護衛の忍だと思われる。
 日の本一の権力者を相手にするのは胃が痛む。
 正直、この場を去りたい。
 飯などいいからなんとか抜け出すことはできないか。失礼が過ぎるか・・・
 などと思っていたら涼が戻ってきた。

「ただいまですー」

「・・・遅かったな」

 実彰の、若干嫌味をこめた言葉は涼の耳を通り抜けたらしい。
 気軽に返される。

「すみません、話し込んじゃって〜」

 言いながら机に置いた皿には、てんこ盛りに菓子が集まっていた。

「大漁だな」

 と、篠が迎える。
 涼は元の席に座りながら、自慢気な顔をした。

「ご飯の後でいただきましょう。──あの、ところで、聞いておきたいことがあるんですが・・・」

 眉尻を下げて、篠と実彰をちらちら見る。
 篠が聞き返した。

「なんだ?」

 涼は手をもぞもぞさせながら、不安気な表情で二人をうかがい見た。

「・・・こういうとき、やっぱり私が奢らなきゃいけないんでしょうか?」

「──ん?」

「だって、黒羽様って浪人でしょ? ・・・し、篠さんは旗本の三男なのでしょ? お二人ともお凄い方なのは分かりますけど、うち、五十四万石だか、ら・・・」

 言い終わらないうちから、涼の顔が赤くなりだした。
 実彰はともかく、篠がこみあげる笑いに、ぷるぷると震え出してしまった。それを見て自分の発言のおかしさに思い至ったらしい。
 しかし謝るどころか悔しげに、

「・・・なんですか。こっちは真剣に怯えてるんですよ。今金欠なんですから」

 涼は正座した膝の上で拳を握った。恨みがましく篠を見る。

「す、すまぬ、・・・ふっ、あまり、言われ慣れていないこと故・・・くっ、もう駄目だ──」

 遂に耐えかね、あっはっはっはっは──と笑いだした。
 一度洩れると止めるのは困難らしい。少し収まってもまた波がくる。

「涼殿は・・・豪気だな」

 と、実彰から神妙に関心されて、涼の居たたまれなさは増すばかりなようだ。
 真っ赤になった涼に睨まれながら、しばらく篠の笑い声は続いた。


◇◇◇◇◇◇


(最高・・・)

 鯛の刺身の、じぃんと染み渡る旨さよ。
 上品な白身は香りよく、舌に甘い。疲れた体と恥かいた心をしみじみと癒してくれる。
 三人の食事がそろっていた。
 私はお刺身、黒羽殿は鰆の天ぷら、篠さんは桜えびのかき揚げ。それぞれにほかほかのご飯と山菜のお吸い物。
 お刺身はもちろん美味しい。美味しいんだけど、前からと横からとの油の香りに私は誘惑されていた。

「・・・揚げ物も美味しそうですね」

「うむ。旨い」

「・・・」

 篠さんが満足そうに頷く。
 黒羽殿は・・・味がしないみたいな顔してる。まあそうなるよね。

「私も頼もうかな」

「三人分を払っても余裕があるなら、そうすればよい」

「あ、ほんとに私が奢るんだあ」

 目の前の人は本物の上様なんだろう。
 無礼があったら大変なことになりそうだから、信じる。とか言いながら失礼な口を聞いてる気もする。
 でも私は緊張しないことに決めていた。ここでは上様ではなく篠さんらしいから。気儘に外を出歩けず、鬱屈とした気分に沈む気持ちは、恐れながら私にもわかる。
 ・・・さっさと箸をつけておしまいになったので毒味しそこねたけど、よかったのかな。

「つかぬことをお聞きしますが、刀はいつ頃返してもらえるんでしょうか・・・?」

「私が知りたいことを黒田が教えるなら、返す」

「知りたいこと?」

 何だろう、それは。
 待ってみたが、答えはなかった。

「黒田は明日も観戦するのだろう?」

 お吸い物の椀を開けながら、篠さんが聞いた。

「はい、やっと堂々、応援できますから」

 ちら、と隣を見る。
 応援するとか言っておいて対戦しにあらわれたのを、黒羽殿がどう思ったか気になった。が、黒羽殿はただ「?」と目で問い返してこられた。
 覚えてないのかもしれない。それはそれで、なんかな。

「そうだ、さっきのおじさんから聞いた話なんですが、私と黒羽様の試合、瓦版になるそうです。もう刷る作業に入るとこらしいって」

「ほう、よかったではないか」

「でも決勝前に世に出していいのでしょうか。やたら張り切ってるそうなんですが、準決勝です。剣取りも何もないのに。ああいう商売は新鮮さが命なのは知ってますが」

 この刺身のように。古くなっては売れない。
 篠さんは椀をことりと置いて、

「──明日の観客は、今日より少ないかもしれんな」

「えっ、どうしてですか? せっかく黒羽様の晴れ舞台が・・・」

「それだ」

 篠さんは箸で私の顔を指した。お行儀がお悪い。

「どうせ黒羽が勝つと分かっているのだ。だから今日の準決勝が、決勝より華々しいものだった、見ていて面白いものだったと、民も気付いている。読売が見誤るはずがない」

 奴らは売れるうちに売る、と言う。

「ははぁ」

 そんなものかな。何にしてもこの方がそう言うなら問題ないんだろうな。
 でも売れるだろうか。おじちゃんたちは誉めてくれたけど、それほどまでに面白かったか疑問だ。
 私もお吸い物を開けた。懐かしい香りと味がする。

「私は見てるより動いてるほうが好きなので、客の気持ちはよく分かりません。喜んでもらえるのは嬉しく思いますが。篠さんは──」

 楽しめたか、聞くのはなんとなく、恐れ多かった。また笑われないかな。
 篠さんは口ごもる私を引き継いで、

「よかったぞ」

 と言ってくれた。

「男女の試合ということもあるが。居合をやめたのは何故だ? あれはあれで見たくあった」

「やめたというか・・・別に居合にこだわりはありません。格下の相手に時間をかけたくなかっただけです」

「ふうむ、なるほどな」

 篠さんは口の端をちょっとだけ上げた。
 この人に笑われると、聖職者と対峙しているかのような、落ち着かない心地がする。見透かされてる気分になる視線なのだ。
 ・・・ご飯に逃げよ。

「ところで、この後行く場所だがな。勢いで連れてきてしまったが、黒羽は付き合わずとも良いのだぞ?」

「え」

 何を言い出す・・・?
 黒羽殿を見る。

(・・・この人・・・)

 黒羽殿の横顔、その美しい横顔。
 さっきまで真顔で食事するからくり人形みたいになってたくせに。

(助かった、って思ってる顔だ・・・)

 いやいや、待ってくれ。
 篠さんと私と、二人で往来を行かなきゃいけないっていうこと?

「無理」

 こんな浮かれた町に上様連れて、野郎に絡まれでもしたら。
 弱腰の私に何ができる?
 ご飯どころじゃない、ちょっとここは抗議させてもらうぞ。

「私一人じゃ無理ですよ、心許ないにも程があります! 刀さえないのに!」

「返してもらえばいいじゃないか」

 黒羽殿は涼しい顔でさらりと言う。
 篠さんに向き直る。

「返してくれます!?」

「まだ駄目」

「ほらあ!!」

 めんどくさそうにスッと目を逸らしたのを私は見逃さなかったからな、黒羽実彰。

(もしも──)

 もし、上様の御身に、怪我でもあろうものなら。
 万が一何かあったら。
 黒田家、お取り潰し・・・一族郎党、身の破滅──
 あ、駄目だ。
 気が遠くなる。
 座っているのに倒れ伏してしまいそう──

「・・・あなたはお気づきではないかもしれないが、護衛ならとっくに、そこここに──」

「──ああ、では仕方ないのう、黒羽も供をせい。それで良いだろう」

「え・・・」

「あっほんと? よかったー」

 黒羽殿が何か言っていた気がするが、篠さんの言葉に流れていった。
 ああ、よかった。黒羽殿がいれば大丈夫だ。そうだよね、いくらなんでも女一人に任せるわけないじゃんね。
 頭に血の気が戻ってくる。
 助かった・・・
 お茶を啜って落ち着いていると、黒羽殿が篠さんに声をかけ、篠さんは機嫌良く答えていた。

「・・・楽しんでおられますね」

「もちろんだ。城下は楽しいなあ」


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