鷺舞い(21/10)


 黒羽殿の言った通りだ、と涼は思った。
 退場前に礼をする際に、ちらりと将軍様を盗み見てみた。どこに座しておられるか、事前に情報収集しておいた。
 御簾の向こうからの眼差しは、確かに青かった。
 舶来の髪飾りについていた瑠璃玉を思い出した。いつだったか、黒田のお祖母さまに見せてもらったのだ。
 宝玉のように尊い御方に、似つかわしかろう瞳の色だと思った。
 しかし、何の因果か。
 今、その目が、目の前で面白そうに笑っている。

(うそじゃん・・・)

 涼は、頭がふらふらする感じがした。気絶するまいと、自分の顔をひっぱたきたくなった。
 左を見ると、額に手を添え、眉間に皺を寄せた実彰がいる。
 駿府の店々は相変わらずの繁盛、繁盛。
 三人は少し遅い昼食をとる人々で賑わう料理茶屋の中にいた。
 畳の席に正座して、涼のお尻は敗戦の痛みにヒリヒリしていた。

(なんでこんなことに・・・)

 遠のいていこうとする意識をなんとか手繰り寄せながら、涼は思い出してみる──退場した後からのことを。


◇◇◇◇◇◇


「あんれー?」

 葵の御紋の幕の向こう、飛んでいった刀を拾おうと、涼は植え込みを探してみた。
 だが──

「な、無い・・・」

 上にも下にも、どこを探しても刀が見当たらない。
 まさか盗られ・・・いやいや、城内だぞ。しかも観客側でなく、出場する侍達や城で働く者達がうようよいる所だ。そんな馬鹿なことをする不届き者がいるわけない。
 どこに行ったのだろう。確かにこの辺りに飛んだはずなんだけど。
 どうしよう、あれ高いのに。

「・・・いやほんと高いのに」

 困ったなあと髪に手を伸ばそうとした時、声をかけられた。

「──失礼、・・・涼殿」

 振り返ると実彰がいた。

「あら、黒羽様!」

 涼は表情を反転、笑顔になって駆け寄った。

「先ほどはありがとうございました! 楽しかったです!」

「あ、ああ、こちらこそ。──その、すまない、飛ばすつもりはなかったんだが」

「そうなんですか? てっきりそういう作戦かと」

「いや、思わず・・・」

 と、涼の帯に鞘だけあるのを見てとり、

「刀を探しておられたのか」

「そうです。無いんですよ、なんでか」

「回収されたのではないか? 上様や大納言様がおられることだし、警備は厳重だ」

「ああ、なるほど! そうですね、お城の方に聞いてみます!」

 私がまっすぐこちらに来たので、渡し損ねているのかもしれない。控え部屋に戻ってみよう。
 そう思って頷いた時だ、横から、よく通る声が聞こえたのは。

「──これをお探しかな?」

「──え?」

 一瞬、実彰の体が硬直したようだった。しかし涼は声のした方へ目を向けようとしていたところだったので、よく見ていなかった。
 一人の侍がいた。
 最初、着物の配色が目に入り、自分とかぶってるな、と思った。黄と紅の市松模様の襟飾りと髪飾りをしているし、向こうは着流しだが。
 次に顔を見て、すっと息を吸った。
 まただ。
 また「いい男」が、きた。
 女のように細く見える。男性にしては小柄な方かもしれない。流麗な栗色の髪が春風に揺らされ艶めいていた。
 年の頃はいくつだろう、見た感じは自分や実彰とそう変わらないか、若々しく見える。
 優美な微笑みを浮かべた口元、目は吸い込まれるような──青。

(・・・青?)

 青い目といえば。

(瑠璃玉・・・)

 男は刀を寝かせて差し出し、涼に見せていた。刃は布に包まれていた。
 鍔にはそれを選んだきっかけの、永楽銭の紋様。

「・・・あ、それ──」

 私のです、と言おうとして、驚愕した。
 いきなり男が、涼と実彰に急接近し、二人の腕を抱えて走り出したのだ。

「あ、へ?」

「なっ──」

「走れっ!」

 命じられ、まろび出すようにして走り始めた。

「────・・・!!」

 後ろから、誰かの怒声が聞こえた。


◇◇◇◇◇◇


──・・・本物?

 涼は隣に座る実彰に、これ以上ない小声で質問した。

──・・・出来のいい影武者でなければ。

 頭痛に苛まれているらしい実彰は、その顔色の悪さと答えで、目の前の男の正体を涼に教えた。
 涼の記憶から、城を出てからここに来るまでのことが抜け落ちていた。放心していたせいだ。
 いつの間にか、店に入って席について、元凶の美男子が適当に頼んだ料理を待っていることになっている。
 賑わう店内で、唯一ここの席だけが沈黙していた。
 正確には、突発性の頭痛に黙らされた実彰と、尻の痛みが無ければ魂を失くすところだった涼の二人が大人しく、第三の男はにこにこと笑んでいた。
 お茶を持ってきた茶屋娘が、料理が来るまでちょっと時間がかかるかもしれないと言う。美男子はそれに快く答えて返した。
 娘が離れると、思い出したように、

「おおそうだ、まだ名乗っていなかったな」

 美男子は机に肘を置いて、手を組んだ。
 光るような笑顔で、

「私の名前は篠というんだ」

「うそつけ」

「こ、こら!」

「あっ・・・ごめ・・・んさい」

 実彰が慌てて注意した。涼は口を押さえて身を縮める。怒られてしまった。

「つい・・・言っちゃった」

 篠と名乗った男は肩を揺らしてくつくつと笑った。

(誰のせいだと・・・)

 睨みたくなるが、恐れ多くてできない。口を尖らせるにとどめた。
 本当の本当に、その人なんだろうか?
 御簾の奥にあった目はたしかにこの色だったか? 人懐っこい笑顔を見てると、記憶の淡いに溶け込むようだった。

「し、しのさん!」

「ん?」

 勇気を出して呼んでみた。
 呼んでみただけでその先を考えていなかった。

「・・・お、お住まいはどちらで」

「江戸だ」

「江戸!・・・ほほう」

「旗本の三男坊でな。御前試合を目当てに、ふらふらと来てみたのだ」

「ああ、そういう設定なんですねぇ・・・」

 涼の言葉が耳に入らなかったように茶を啜り、

「そちらは?」

「へっ?」

 篠は思わせ振りな目線で上目遣いに涼を覗きこんだ。

「黒田涼殿の黒田は、筑前国の黒田か?」

「あなた様なら、とっくにご存じでは・・・?」

「まあな」

 ふふ、と笑う。小憎らしい、と涼は思った。

「白餅の黒田──筑前守様の、ご息女か」

 と、実彰が言う。
 涼は微笑み、着物の肩をちょっと摘まむ。
 黒田家の家紋、白餅紋。

「はい。養子ですけどね。あ、養女?」

「義父君の松平忠行様は、駿府城で家康公に拝謁されたこともある」と、篠。

「義理のおばあさまは家康公の姪御さまで、養女になって黒田に輿入れされました」

「では、上様とご親戚、か」

「従姪(じゅうてつ)ってやつですね。親戚とは言っても、まさかお会いできるとは思えないんですけど、ね?」

 言って涼は篠を見た。篠も堂々、頷いて返す。

「いつか、会えるとよいなぁ」

「・・・・・・」

 半目で変な顔になった涼に、篠は身をのりだした。なにやら芳しい香りが涼の鼻に届く。
 口元を袖で隠し、こっそりと、

「──忍んでおるのだ。勘弁しろ」

「・・・だから、“しの“?」

 答えない篠は艶然と笑んで、ゆっくり、瞬きをする。その仕草は睫の長い目によく似合っていた。
 涼は思ってみた。
 自分以上に上がない身分とは、どういう気分だろう。たまには、何処にでも生えるものとなりたいのだろうか。

「でも、さすがに護衛も付けずに出掛けているのは無用心過ぎるのでは?」

 あなたがそれを言うのか、と実彰がぼそりと言った声は、同じ畳席の少しばかり離れた席にいた一人の酔客に掻き消された。
 厠にでも用があったのか、立ち上がったところで実彰と涼をみつけ、赤ら顔を驚かせる。

「おお?! やややっ? おいおい、あんたらあ! さっきの!」

 輩が絡んできたのかと、実彰は身構える。
 篠の横まで客はばたばたとにじりよってきて、

「さっきの試合の姉ちゃんと兄ちゃんじゃねえか!!」

 他の客たちもなんだなんだと顔を向ける。
 涼がにこやかに応じた。

「おじちゃん、見ててくれたの?」

「見たよお! 嬢ちゃんすげえな! 今年一番の試合だったんじゃねえか?」

「えへ」

 誉められて涼は素直に照れる。
 酔客は涼たちの席に食事がないのを見てとった。

「ありゃ、なんだ飯まだかね。腹減ってるだろうに。菓子ならあるが、食うかい? 持っていきな!」

「ほんとー? いいのー?」

 ほいほいとついていく。餅をもらっていた。
 そこでまた違う席の客たちから誉められる。

「お姉さん、良かったらこれもあげるよ、食べて」

「あっ、ういろう! ありがとう・・・この前食べて好きになったんです」

 にっこにこで受け取り、楽しそうに話を交わしていた。



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