鷺舞い(21/9)
振り下ろされた刀を、実彰は間一髪で避けた。
誘われたようにひらりと落ちた花弁が切り裂かれるのを、間近で見る──その向こうで涼の目が細まった。
続けざまに強烈な横薙ぎが実彰の脛を襲う。
かわし、巻き上がる砂ぼこりの中をぐっと出て斬り込んだ。
涼の生白い首筋に当たるかと見えた刃は、驚くべき俊敏さで制された。
押されるに任せて離れると、瞬時に体勢を立て直した涼の剣が降ってくる。
斬りかかられては防御して、斬りかかっては防がれる。
寸でのところで隙をとらえ損なう、もどかしさ。
刃を交わし、はじき、またぶつかりあい、鍔迫り合いになった。
双方の剣が震えた。
押し倒して距離をとるかすれば・・・駄目だ、この人は倒れない。
都合のいい想像を、この身に受ける剣が許さない。
どういうことだろうか、と実彰は頭の隅で思った。
女で、体格も大きくはないのに、男と拮抗できるまでの力が、なぜ出せる? まるで、自ら壊れゆく・・・
涼は、これがさっきまでにこにこしたり落ち込んだりしていた人と思えないほど、眼光鋭く実彰を見据えていた。
いつぞやのような可愛げもない、武者の眼差しだった。
押せば押しただけ押される。
体格の差、力の差は、性差だ。
それでも涼が踏みとどまるのは、何のなせる業か。
力と力が衝突し震え、刀から、全身全霊で「侮るな」と言っている声を聞く。
実彰のこめかみを、流れるものがあった。
侮ってなどいるわけがない、と実彰は思う。
もし、少しでも下に見る気持ちがあったなら──あるいは慢心があるなら──はじめの一振りで終わっていた。
骨が軋むような音さえ聞こえる気がする。だがそれはどちらの骨だろう。戯れに耳を澄ます余裕など、ない。
じわりじわり、黒い鼻緒の草履がずれる。
力勝負で男が勝つのは道理。
ふと、押し負けつつある涼が屈んだ。
かけていた力の分だけ倒れかけたのを止められたのは、そうくるだろうと実彰が、動きを読んでいたからだ。
太腿に迫った斬撃を、刀で受けながら身を翻して流し、そのまま回転して突きをくり出す。
涼は飛び退き──ついでに草履を脱いでいた──突きは鼻先に届かない。
着地の先の砂利が鳴くと同時に踏ん張り飛びかかろうとする──が、砂利は踏み込みを吸う。
腕を狙った一撃は勢い弱く避けやすいものだった。軽い動作で実彰は間合いをとった。
しばし、睨み合う。
◇◇◇◇◇◇
張りつめた会場に目を向けたまま、忠長が言った。
「あの女、寸止めする気もないだろ」
家光は、形のよい唇を三日月に曲げる。
「黒羽の方が上手だ。問題なかろう」
事実、足場の悪い方へ、涼は誘導されていた。
民衆は、はじめこそ息を飲んで見守っていたが、今や面白がり始めていた。獅子を転がす曲芸を眺めるかのように。
窮屈な籠の中で育てば、いかな獅子の子も、野の猛禽に敵うまい。
(黒田涼の願いは叶わない)
真剣試合の聖地が血で汚れることはないだろう。
しかし、勝って黒羽はなんと言うかな。
負け知らずの剣豪も、少しは楽しめているだろうか。
◇◇◇◇◇◇
(何故だ・・・?)
実彰は、違和感を覚えていた。
涼にならもっと無駄の無い動きができそうなのに。あまりに大振りな太刀筋。
それは目的の違いだと、勘が言う。
涼は斬ろうとしてくる──腕や脚を。
しかし、だから何だ?
それは当然のことだ。
勝つためにはそのくらいの気概がなければ・・・、とまで考えたところで、いや、違うな、と考え直した。
闘う実彰には分かる。
この女人にとって剣が、勝利や名声や金や、剣術の向上のためにあるものではないことが。
ならばそれ以外の目的とは、何なのだ、この胸に迫る──気味の悪さは。
「──似合わない」
我知らず、言葉が口をついて出た。
実彰自身、説明のつかない言葉が。
「あなたの剣は、あなたに似合わない・・・」
涼は静かに見ている。
◇◇◇◇◇◇
あと少しなのに。
あと少しで落ちそうなのに、落ちられない。
だからなのか、届かない、剣先さえも。
私が弱いからかしら。
弱いから落ちられないのか。
でも、じゃあ、あの時はなんだったの。
五年前の──あの時の感覚は。
◇◇◇◇◇◇
涼が構えた。
柳生新陰流、霞の構え。
ぬらりと掲げられた刃が、冴えざえと照る日に光った。
涼は心臓の鼓動さえ止めているのではと思うほど微動だにしない。
風が涼と実彰の、揃えたように長い髪を揺らす。
どちらが先に動くか──痺れを切らしたのは、涼だった。
ぽんと間合いを詰めた身軽さ、振り下ろされる刀──
迫りくる軌道が、わずかにずれるを見た。
その時だ。
実彰の耳に甦ってきた歌がある。
城下の茶屋、桜の花が散りだした頃、ういろうを指して涼が歌っていた・・・
──どれにしようかな──
刹那が剣を動かした。
キン、と、音を聞いた。
宙を舞った刀の煌めきを見てから、自分が弾き飛ばしたことに、実彰は気付いた。
「あ」
「あ」
涼と実彰、同時に間抜けな声が出た。
幕を飛び越えていく刀に目を奪われて、涼は後ろに倒れていった──雪柳に埋もれた時のように。
実彰の手は、ぴくりとも動かさなかった。
助けようなど、思わなかった。
涼はそのまま、
──ぽて。
と、尻餅をついた。
まるで童のように。
審判の声が響いた。
「──勝者、黒羽実彰!」
会場が沸いた。
観衆が、熱をもって闘いを見届けていたことを知る。
実彰が涼を見下ろすと、涼はあっけにとられた顔で見上げ、目をぱちぱちさせた。
そして、屈託ない笑顔になった。
可憐な花が咲くような、愛らしい笑顔に。
ほころばせた赤い唇が実彰を褒める──嬉しそうに、心から嬉しそうに、
「やっぱり、お凄い」
それを見ながら背中に、ふつとわき出た冷たい汗を、感じた。
次のページ#*前のページ
(21/9)
しおりを挟む
戻る