鷺舞い(21/8)
ハバキ憑きは、涼たちから離れ、雑踏にまぎれたら、また出てきた。
なんだいたのか、と実彰が声をかけてもこたえず、人々の頭の上を浮いていた。
うんうん唸りながら、
「気のせい・・・? でもなんっか・・・うう〜ん」
などと独り言を言っていた。
余計な悪戯でもしてないか焦っていたので、とりあえず安心した。
適当にぶらついてから、気の向くにまかせ、宿に戻った。
そして翌日を迎える。
実彰にとって三度目の御前試合がはじまった。
会場は駿府城内に設営される。
一日に行える試合の数は限りがある。参加者の数によっても日数が変わるが、だいたい、六日か七日で終了となる。
最後の日が決勝戦だ。
一瞬で終わる試合のために、早めに会場入りする。もて余す時間は少しだけ馬鹿らしい。
試合が始まれば門は閉じられてしまうので、遅れるよりは良いのだが。
今までの御前試合と同じく、手応えはない。
準々決勝も難なく勝ち進んだ。
実彰の後に行われた一戦が、その日最後の試合だった。
控え部屋で休んで過ごし、終わりを迎え城門が開かれるのを待った。
しばらくして、試合を見おえたらしい侍が近くを通った。
その侍の友人か、連れの男を引き留め、廊下の端に寄り、やけに感嘆の声をあげて話している。
よほどいい試合だったのか。
気になって聞き耳を立ててしまう。
──なぜ見なかったんだ、勿体ない!
──いや、ちょっと厠になぁ・・・そんなに凄かったのか、その居合術は。
──見えないなんてもんじゃないぞ。
柄に触れ、少しばかり身をかがめたというか、なんなら、何も無いとこで躓いたみたいに見えた。
右足がぬるっと出て、体がくらっと揺らいだんだ。
緊張で目眩でも起こしたかって、周りにいた奴らも「んっ?」とか言ってな。
だから身を立て直したんだ、と思ったんだが、元の構えに戻ったと思ったその動きは、納刀してる動きだったんだ。
相手の手の甲に、ぱっくりと皮が開いていた。一拍遅れて血が滲んできたのを見て、気付いた、さっきの所作は抜刀の所作だったんだと。
見えないというより、分からなかった・・・
──はあ。そりゃ凄いが、本当か? 油断して見てたんじゃあないのか。
──む・・・そう言われるとそうかもしれんが・・・
でもなでもな、上様の側仕えの方も、感心してらっしゃると聞くぞ。
負けた方全員の傷を診た医者も、皮一枚のみが見事に、どれもほとんど同じように斬られてたそうだ。
──ほーお。じゃあ、明日は本腰入れて見るとするか。
準決勝は誰に当たるんだ? えーっと・・・
──黒田様だ。相手は、黒羽様。
──・・・ややこしいな。
──・・・まあな。
なるほど。
明日は居合いの達人と当たるらしい。
どの相手にも手を抜いたつもりはないが、心してかからねばならぬ相手のようだ。
実彰は腰を上げようとした。
が、体が勝手に止まった。
興奮冷めやらぬ侍が、また話し出した言葉を聞いたせいだった。
──ほんと、女であれだけ動けりゃ、凄まじいもんだ。
──・・・はっ?! 女ッ?
おまえ、それを早く言えよ!
──あ、ああ、すまん・・・
いやでも、あれを見てたら、なんと言うか、関係ないんだなって、思うんだよ。
──? なにがだよ。
問われて男は、ため息混じりに言った。
──強い者は、強いんだ・・・ってことだ。
◇◇◇◇◇◇
その人は東の幕の影から、実彰より一足遅く、会場に姿をあらわした──当たり前だが、帯刀して。
実彰と真逆の黒髪を、実彰に似て、きりりと結んでいた。
真逆の色の装束を、美男子の如く召していた。
しかし頬に差した微笑みの柔らかさ、歩く姿のしなやかさには、女人の色香があった。
音が消えたように感じた。
──黒田涼。
なぜこの人が、武家の人でないと思いなおしたのだか。
それこそ呆れる。
思い出してみればいいだけのことだった。
あの蔦の細道で走り込んできたときだけでない、ただ立つ姿、歩く姿、なんてことのない仕草を。
剣豪黒羽実彰の目は、他人の体の使い方くらい見ているのだから。
意識しないところで、実彰はちゃんと見抜いていた。
目が眩んだのだ、話す言葉や性格の呑気さに。見誤っていた。
涼は颯爽と、やや大股に位置についた。
草履が砂を踏む音もない──観客でさえ、この時はどうしてか、静まり返っていた。
目が合う。
涼は明るい笑顔でにっこりと笑い、小首を傾げた。
「驚きました?」
「いや、全然」
「・・・・・・」
固まった。
桜の花弁が涼の口に入りかけるが、すんでのところで外れた。
目がつられて、飛んでいくのを見る。
花弁は、将軍と駿府城主がおわす座敷のほうへ飛んでいった。視線を止める。無闇に見つめて良い方々ではない。
前を向くと、涼は口を閉じて、悲しげに俯いていた。
◇◇◇◇◇◇
家紋が映える真白の無地。
紺の献上博多帯。
馬乗り袴も雪の色、銀の刺繍の青海波。
髪は一つに結い縛り。
腰に差したる打刀。
ほれぼれするほどの若武者っぷりよ。
──どうだ見たか! と、登場したが・・・
(つまんないの)
涼はがっかりした。
せっかくおめかしして来たのに、黒羽はまったく驚く素振りもない。
驚いたか聞いてみたら、全然、とかえされた。
あげく、
「やはり、あなただったか」
などと言う。
「・・・ご存知でしたか」
毎日毎日、控え部屋などで見つからないように、頑張ってこそこそしていた。
私、忍びになれるんじゃないの、転職先には困らないな、とか自惚れてた。
黒羽は他人に興味なさそうだったし、上手くやれてると思ったのだけど。
「風の噂で聞いた。女性で、居合術の・・・。そんな人物がいるなら、あなたかもしれんと思った。・・・なんとなくだが」
そうかぁ、風の仕業かぁ。
では、私の忍びとしての腕は確かだな。
──じゃなくて。
「驚いたお顔、見たかった・・・」
伏せた睫に花びらが掠めた。
駿府城内は桜の嵐に吹かれていた。
聖なる剣戟の会場にも、春の夢のように散りこぼれる。
見上げれば、花の美に霞もしない美丈夫がいる。
黒羽は眉一つ動かさなかった。
残念だ。
「・・・ふんっ」
やっぱりちょっと、ムカついた。
◇◇◇◇◇◇
白と黒とが、桜吹雪に明滅する。
二人が向き合った瞬間、会場に静寂が訪れた。
大勢駆けつけた観客は、それまでのざわめきから水を打ったように静まり、わずかな挙動も止め、誰一人として目を奪われていない者がなかった。
桜だけが──彼らと競える桜だけが──栄華を見せつけ舞っていた。
家光は見つめる。雛の宴でも眺めるような気分で。
御簾とは、なんと邪魔なものだろう。取っ払ってしまえばいいのだ、こんなもの。
「・・・美しいな」
これが決勝であったなら──美男美女が相対する格別の雰囲気に相応しい決勝戦だったなら──どれほど楽しませてくれただろう。
二人は何事か言葉をかわした。
黒田が肩を落とした理由を、忍びの報告から推察する。家光は小さく笑った。
間もなくして、気圧されて黙っていた審判が、彼の仕事を思い出した。
「・・・ひ、東、黒田涼!──西、黒羽実彰!」
両者が剣を抜いた。
おや、と家光は思った。周囲にひかえる者たちも、微かに戸惑いの声を出す。
黒羽は中段、これはこれまでの試合と同じ。
意外なのは、黒田が上段の構えをとったことだった──居合意外は初めて見る。
さらに面白いのは、隣に座る弟君も、やや気になったらしい気配。
上段は隙が大きい。神速の黒羽を相手に、無謀な構えだ。
黒田はどういうつもりだろうな、と自然に声をかければ、「・・・ああ」と素直に頷いた。
さて、試合が始まる。
審判が声を張り上げた。
「それでは──始めっ!」
◇◇◇◇◇◇
勝てん。
元から夢見てないけど。
はなっから分かっている。
私が男に勝つには、侮りを利用して虚を突くこと。
これまではそれでやってこられた。
もう、通用しない。黒羽実彰には。
負ける。
居合だろうがなんだろうが負ける。
──では、どう負けるか。
私は、上段に構える。
新品の刀の柄は、五日では手に馴染まない。
絶対に勝てない相手。
絶対に避けてくれる相手。
これは好機。
必ず先手を取らせてもらう。
その先は知らない。
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