鷺舞い(21/7)


「お財布落としたんです」

 事も無げに、涼が言う。横に立っているフミが顔を覆う。
 三人が着いた茶屋は、通りからはずれた場所にあった。
 建物のそばには桜の木が咲き、根元に簡素な囲いの柵が設けられ、そこに長椅子が二脚、離れて添えられていた。
 城下をまわって楽しんだ後、桜を見ながら一服、という感じで、店内も繁盛している様子だ。
 長椅子について、涼はたのんだ甘味を待っていた。
 実彰は同じ長椅子の、端に座る。
 もう一脚には家族連れが憩っていた。

「二つ持ってたんですけどね、財布。たぶん、黒羽様に会う前の走ってた時、失くしたかしたんでしょうねぇ」

 足を組み、草履をぷらぷらさせながら、他人事のような口振りだ。
 涼は、先日の旅装と着るものを変え、白地に黒の細い線が入った、縦縞の小袖。黒い帯を貝ノ口に締め、すっきりと着ている。
 草履の鼻緒は男物のように黒い。

「・・・帯から出していた分は、どうされた?」

 返ってくる答えは予想がついたが、聞いておく。

「使いました。まだちょっとあるけど、目的地までの旅費には足りません」

「それで髪を売るおつもりか」

「我ながら、高く売れると思うんですけどねえ」

 涼は自分の髪を撫でる。たいして愛しくもなさそうに。
 たしかに、肩より下で縛った髪は、よく手入れされているのが、男の実彰にも分かる。高値で売れそうだし、だからこそ、付き人のフミが惜しむのも道理だろう、世話は彼女がしてそうであるし。

「あ、そうだ。黒羽様、水筒はちゃんと届きました?」

 そうだ、それがあった。黒羽は宿に置いてきた荷物を思い出す。
 駿府入りして宿をとった次の日に、訪ねてきた男から渡されたのだ。文はついていなかった。

「水筒くらい、よかったのだが。わざわざ、すまない」

「いいえ〜」

 三人分の茶と、駿府名物のういろう餅がきた。
 涼が、茶屋娘に礼を言って、満面の笑みになる。

「ありがとうございます。わっはは〜」

 皿には白、緑、茶色の色合いの餅がのっていた。

「甘葛と、抹茶と、黒砂糖ですって! さっきお店の人に聞いてきました! 黒羽様、どれがいいです?」

「いや、私は結構」

 えっ!と、涼は驚いた。

「いらないんですか? ういろう」

「ああ」

「えええええ」

 信じられないという顔で大仰におののいて、

「な、なんのために駿府に・・・」

「餅のためではない・・・」

 涼は何故か憐憫の眼差しを実彰にかけてから、逆を見て軽い調子で聞いた。

「フミどれ食べる?」

「お金ないのになんで食べてるのこの人・・・」

 当然の疑問だろう。
 涼は、しゃがんで頭を抱えだしたフミを無視して、ういろう餅一つ一つを指差しながら、

「どーれーにーしーよーおーかーなー」

 と、選びはじめた。
 天の神様の言うとおりにはしたくなかったらしく、柿の種を足した。抹茶のういろうを串に刺す。
 白黒残った皿を実彰の方へ押しやる。

「まあもったいないこと言わずに、どうぞ、お食べになってくださいな。食べなきゃ損ですよ!」

 とてもじゃないが貰えない。
 断る代わりに茶を一口飲んだ。
 涼は幸せそうに笑みをこぼして頬張っている。
 その奥で小さくなったフミが小さい声でぶつぶつと聞き取れない呪文を唱えはじめていた。
 武家の暮らしとは余程窮屈なのか。家を離れ旅に出、日常との反動で解放感を得て、こう呑気なのだろうか。
 ・・・どうも、性格という気がする。
 というか、どこぞの姫君という勘が間違いな気がする。
 いや絶対そうだ。
 祭りとはいえ荒々しい者もいるこうした混雑に、供一人でいるわけがない。
 知り合いとはいえ、男と茶屋の席に座ってあっけらかんと会話するわけが。
 金は・・・まあ、金持ちの家には違いなかろうが。
 ひぃさまと呼ばれていたのは聞き間違いだろう。それか、単に娘をそう呼んで溺愛する家、とか。
 自分は何を思って勘違いしていたのだか、と実彰は自分に呆れた。
 しかし、上等な着物を持っているのだから、それを売って賄うのが先なのでは。

(変な人だな)

 気づかれない程度に、ふぅと息をついたとき、懐に感じた。財布の中の数枚の小判が重みをもって襟をかすかに引き下げる。
 人助けではないから礼などいらないと断ろうとしたら、さらに強く渡された、それ。
 丸子宿で聞いた話を連想する。
 口止め料だったのだろうが、実彰には仕事でもなければ面倒事に首を突っ込む趣味はないので、もとより心配はいらない。
 妖怪一匹程度大したことはないのだから、受けとるに忍びなく思っていた。
 これは、よい機会ではないだろうか?

「──人助けだった、と言えば、あなたは受け取るだろうか」

 と言って実彰は、懐に手をいれる。

「・・・?」

 実彰とフミが一向に食べようとしないから、最後のういろうに串を刺しかけた涼が、小首を傾げる。
 実彰は手の内に隠したものを、人の目に触れないように、さっとういろうの皿の下に敷いた。

「先日あなたからいただいたもの、お返しする」

 フミがパッと顔を上げた。
 菓子皿の台座となった金色と、主人の顔を素早く見る。
 見られた方は串を置いて湯飲みをとり、茶をこっくりと飲み干し、静かな動作でゆっくりと、茶托に置いた。

「・・・・・・」

 そして、実彰の目を、見つめた。
 黒砂糖の飴玉のような瞳が、そこにあった。春の光が潤ませて見せる。
 涼の顔にはこれといった表情が見えず、強いて言うなら、挑まれているような気分になる。
 沈黙は長い。
 何も言い出さないので若干気まずく思っていると、実彰はやっと、いつの間にか付き添いの妖が見えないことに気づいた。
 ・・・ハバキ憑き、どこいった?


◇◇◇◇◇◇


 この人は、あれかなぁ。
 俗に言うところの、立派なお侍さまってやつなのかなあ。
 見れば見るほど綺麗な顔してる上に剣の腕が立って、私でも知ってるくらい有名で、またもや私を助けてくれるのか。
 なんだろうなあ。
 ほんといい男だなあ。
 おかしいだろう。
 完璧すぎる。
 通りすがりに振り向く女や男や、茶屋の内側からこっちを見てる女の子たちが、さっきからちらほらいる。
 みんな目は黒羽殿に向いている。
 あまり見かけない顔立ち以上に、突出した美貌に見とれてるんだ。黒羽殿本人がそれに気付いているのかどうか。
 負けた。
 負けても悔しくないのが、なんだかなあ。
 こんな綺麗なら、ねえ?
 悔しがる資格もないというか・・・
 あ、でも、じっと見てると段々、胃の腑に鉛のような感情が溜まってきた──

「ムカつく」

「は?」

 おっと、言っちゃった。
 黒羽殿がぽかんとした。でも顔が整ってるから全然間抜けに見えない。なんなんだまったく。
 ぐいっと、体が傾いた。フミに袖を引っ張られてる。やめてよこれ高いんだから。

「涼さま、ここは素直〜にですね・・・」

 おめめがおっきい。
 フミの黒目は、近くで見るとちょっとだけ色が薄いのが分かる。光の入りかたで、剃刀のような色を見せる。
 それが今、ギラギラ光りながら、白目を血走らせていた。
 こわい。

「うーん」

「何を悩むんですか? お金無いんですよ、わたしたち・・・?」

 でもさあ。
 黙っといてねって渡したのを、困ってそうだから返すわって返してくれてるんでしょう。
 それを有り難く頂戴するのって、なんか、なんかそれって──

「──かっこわるくない?」

「文無しが一番かっこわるいです」

「ですよねぇ・・・」

 ごもっともです。
 嗚呼、情けなや。しゅんとしちゃう。

「じゃあ、黒羽様・・・すみません、なんか」

 ムカつくとか言って。
 押し付けたもの返してもらって。
 項垂れて頭を下げると、「いや・・・」と聞こえる。
 皿の端を持ち上げて、お金を影から、持ち上げてる手の袖内に入れた。
 最初から、わかってはいたんだ。黒羽殿なら大丈夫かなって。お願いすれば黙っててくれるだろうって。
 でも保証がほしかったんだよね。
 ・・・信じなかったの、駄目だったな。
 おかえり、お金。さようなら、何か。

「それでは失礼する」

 黒羽殿は立ち上がって、早々に行ってしまおうとする──椅子に小銭を置いて。

「あっ、いただけません、黒羽様」

「茶はいただいた。自分で払う」

 では、と、歩き去る。
 何か用事があったのかな。
 ありがとう、と言おうとして、花びらがひらりと降ってきた。
 頭上からか。

──白い小花の花弁、吹き上がる雪の綿──

 蔦の細道、包まれて倒れたときを思い出して、顔が熱くなった。
 私は前屈みになって、膝に肘をつけて、頬杖をつく。
 あれ、あとになって思ったけど、結構なことをしたよな・・・
 黒い服の白い人が、人混みに紛れていくのを見送った。
 ありがとうは、また今度言おう。
 お背の高い方だから、ずっと見えていないか願った──

「よかったですね、お人好しな方で」

 微睡むような気分が、吹き飛んだ。

「・・・そういう言い方、やめなさい」

 フミは、現実的な子だ。そして、裏では容赦がない。
 でも、それでいい。
 何故なら、私にだけは甘いから。
 でも、ちょっと意外だったな、あんなに髪売りに反対するなんて。

「黒田殿に隠してるの、気が重くなってきたな」

「・・・しょうがないでしょう。あけすけと身分を明かしてはなりませんよ」

「うん・・・食べちゃっていい? 黒砂糖」

 椅子に小銭とお餅が残っていた。
 フミは立ち上がって、

「はい、片付けてください。で、さっさとお店に行きましょう。売れていては意味無いですから」

 なんだか途端に元気になったなあ、この子。

「うん。いただきまーす」

 ぱくりと一口。黒砂糖のまろやかな甘みと香りがういろうの食感と相まって美味しい。
 作った人は天才だ・・・

「ねえフミ、あんな黒い着物で、暑くないのかな、黒田殿って」

 もぐもぐしながら聞くと、

「だから、黒田じゃなくて、黒羽様ですよ」

 と言ってフミはため息をついた。
 前言撤回する。
 甘いのは餅だけ。
 すっごい冷たい目で見られた。

「黒田様は、あなた。いい加減、覚えてくださいよ」


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