again again



ほろ苦い



にっと笑った唇を飾るのは、紅のような洒落たものではなくて。ちろり舐めとり、胃へと消える。


揺れる海上生活の中、船長にとっての楽しみといえば何をおいても食事といえよう。
ガシャガシャと煩い食器のぶつかる音に、喉を伝う飲みこぼし。決して品のいい食事風景とは言い難いのに、全身で喜びを表現しているその様に不快になるような奴はこの船には乗り合わせてはいなくて。
がやがやと賑やかなのが、きっとこの一味の団欒。跳ねるフォークに転がる箸。指先についたソースを舐める仕草は子供っぽくて。
「ゾロ!」
伸びてきた腕に
「食べないなら、もらうぞ!」
そう、にっと笑った白い歯に
「やらねェよ。」
皿の縁を掴んで返した。

きっと、それだけがみんなのよく知る船長の食事風景。騒がしく、鮮やかで、明るい。宴と称したくなるような日々の一場面。

だが、それだけでないことを、おれは知っている。
いや、きっとおれだけが知っている。


ぼんやりとした雲越しに覗く満月。薄暗い夜の見張り台の上、熱い息を吐いて唇を重ねる。
皆が寝静まった船を守る番から気を逸らすわけにはいかなくて、唇を貪る行為以上のことは何もしない。ただ、熱い息を分け合って、柔らかな頬を撫でるだけ。
「ゾロ。」
小さく溢れる甘い声は、夕食時の子供っぽさを残したものとは違っていて。それでいて敵に向けられるような、あの低さは感じない。か弱いわけでもなく、震えているわけでもなく。ただただ、艶っぽく愛おしい。
そっと抱き締めた身体はしっとりとしていて恋人特有のゴムの感触に慣れてしまった自分に笑ってしまいたくなる。
「なんで笑ってんだ?」
声を出さずとも、歯を見せずともお見通しの船長に
「さあな。」
なんて濁して、夜空に溶けてしまいそうな黒髪を梳き撫でる。
鼻を掠める潮の香りに、海風に温かな身体。合わせては離れる口元は、まるで何かを食らっているようで。細めた瞳にゆったりと蠢く舌先は、深い愛そのものを味わっているようで。重なった唇に呼吸することすら億劫で、なのに焦りは感じなくて。汗ばむ肌に唾液が溢れて、アルコールなんかよりずっと依存性が高い欲に囚われる。
遠くの海面で海王類が飛び跳ねた音が聞こえれば、気怠げにどちらともなく唇を離す。食事とは違う、少し粘度の高い唾液がふたりの口から伸びて、星屑を纏ってぷつりと切れる。
「腹減ったな。」
今まで散々食っていたくせに、なんて言う気にもならなくて。きっとこの目の前の愛しい人は、今の行為を食事だとは捉えていない。きっと船長のこの行為を食欲の延長だと考えているのは、この世界でおれひとりだけ。
「夜食、食うか。」
飲み終えた酒瓶を軽く上げてキッチンへと視線を向ければ、浮かれたようなスキップで草履が弾む。

キッチンに用意された夜食入りのバスケットを手に見張り台に戻れば、腰を下ろす。
偉大なる航路といっても、今夜は波も穏やかで異常もない。敵船の影も見えなければ、遠くで跳ねた大きな魚の水飛沫以外、何も聞こえない。
未だ月を隠した雲のぼんやりとした明かりに照らされて、ゆったりと息を吸う恋人を眺めれば、磨り硝子の世界の中、ふたりきりのような錯覚に襲われる。
そっと柔らかな唇に触れたのは、甘い香りのココアのシフォンケーキ。たっぷりの生クリームにさらりとかけられた粉砂糖から見るに、コックは今夜の見張りがおれだと知って船長の夜食も準備したとみえる。
別にこの関係を隠しているわけでもないしな、と自分用に包まれた小さな包みを覗けば、ころり小さなチョコレート菓子が数個。四角いそれに乗った真っ赤なドライフルーツや、繊細な模様から察するに、女性クルーのおやつのついでか、はたまた腕ならしの試作品にでも作られたものなのだろう。
酒に甘味かと新しい酒瓶を開けて喉を潤せば、小さなそれを指先でつまむ。頬にクリームをつけて、幸せそうに咀嚼を繰り返す静かな恋人を眺めながら口にしたそれは、確かにアルコールの香りを引き立てて、こんな夜には心地よい味がする。
「ゾロのもお菓子か?」
そう尋ねた丸い瞳に、ピスタチオの乗ったそれを持ち上げれば、煌めいたそこに柔らかに揺れる満月が映る。
「珍しく、な。」
また一粒口に運べば、宝石のように瞬いた睫毛に酒を含んだ声で笑う。
床に腕をついて近付けられた身体に、すでに空になった相手分の皿をバスケットに戻せば、されるがままに相手に膝を貸す。
「ゾロ、甘いの苦手だろ?」
不思議そうな表情で見上げてくるその人のためにきっと月は笑う。
「まあな。だが、これは食える。」
ごくりと喉を通った酒を追うように、ぶわりとカカオ特有のあの深い香りが鼻を満たす。
「食べてみるか?」
親切なふりをして、きっと恋人は知りもしないだろう、甘くないチョコレートを摘んで見せれば、宝石のようにきらきらと透き通った岩塩の粒に、ふわりと柔らかな色をした小さなそれが甘く香る。

そっと開いた唇は、桜の実のように赤くて。この薄暗い海の上、何故だか背徳的なことをしている気になって。白く小さな顎に指を添えて、まるで毒でも飲ますみたいに慎重に、ホロリと熱い舌先に美しい菓子を乗せた。
ふっくらとした頬が咀嚼に合わせ揺れれば、長い睫毛がふるふると振れる。何か言いたげに開きかけた口元に、にっと笑って。
リップ代わりに飾られたココアパウダーを取るように、そっと静かに口付けた。


「甘くなかった!」
つんと尖らせた唇に、にやりと笑えば、この静かな食事の時間をのんびりと過ごす。
思った通りの反応に、それでいていつもより幼さの薄い澄んだ横顔。機嫌を取ろうと伸ばした手のひらで目元の傷跡を撫でやれば、ぱちりと合わさった視線に、そっと細い腕が伸びてきて。
甘えるように寄せられた身体に、首筋に回された腕。どうかしたのかと尋ねる前に顔元を引き寄せられれば、
「ついてるぞ。」
ちろり、赤い舌が口元を舐めた。


しっとりした夜。
ふたりだけの時間。

これは、きっと、おれしか知らない。


恋人の静かな静かな食事姿。










2020.09.21(again again)
日々の姿を甘いとするなら、きっと今夜はほろ苦い






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