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苺味の安堵



愛でも情でもないこの想いは、どこへ向かっているのだろうか。


白い肌に、透き通った睫毛。細い寝息が聞こえない距離からは、まるで恋人が死人のように見えた。
招かれた淡い色彩の寝室には、いつもの上司の匂いが溢れていて。なのに、それを掻き消すかの如く、不穏な空気が満ちていて。
ベッドに横になった長官の瞳は数時間前から閉じたまま。政府専属の医者の話に寄れば、命に別状はないものの、軽い打撲と落下時の精神的なショックを和らげるための薬の影響でしばらく眠った状態らしい。
このまま棺に入れても違和感のない静かな寝顔に、淡い色の髪を梳いて。その指先を頬へ滑らせれば、桃色の唇を親指でなぞる。
「骨折もなく後遺症などは残らないと思いますが。」
データを見ながら話す医師の話なんてどうでもよくて、
「打ち所が悪くなくてよかったですね。」
場を明るくしようと告げられた言葉すら腹が立って。深く深く息を吐く。
不穏な空気を感じ取ったのか、そそくさと部屋を出る医療関係者の背中を見送ることもせず立ち上がれば、テーブルの上に置かれたままの上司の仕事鞄に近づいて、中を覗く。レースのハンカチや、小さなメイクポーチに押され、皺のついた任務資料。そこに載った男の顔を眺めれば、瞳が細まって体温が急激に下がる。
鞄の中に資料を戻して、小さなポケットに入った一粒のキャンディーを視界に捉えれば、それだけで愚かな人だと泣きたくなって。
「長官。」
小さな甘い声で囁いて、目覚めない美しい人を見下ろす。入り口から見た時と同様に、ベッドから少し離れたこの位置からの姿は、生きた者には見えなくて。いっそ、息絶えた者なら、どれほど心穏やかだろうか、と考えた。
柔らかなカーペットに足音を吸わせ近づけば、目覚めはしない恋人の唇に、触れるだけのキスをした。


暗闇の中、聞こえる足音に揺れる影。
痛みで感覚のなくなった身体を引きずって逃げるも、足首に絡まった鞭に引き寄せられる。嫌だ嫌だと子どものように声を枯らして首を振ったところで、目の前の闇は何一つ許してはくれない。
「あれは、ただ、腕がぶつかった、だけで。わざとじゃ、ないんだ。」
震える声で伝えたところで、顔のすぐそばを掠めた革靴の底は、壁にめり込んでぱらぱらと瓦礫を落とす。
興味なさげにこきりとなった首筋に、月夜を映した眼鏡の奥の瞳は見えなくて。
「階段の、踊り場にいたのは、知っていて。それが、政府の人間だとも、わかっていて。でも、だからって、わざと突き落としたわけじゃ、」
口の中が乾いてうまく回らない舌で捲くし立てても、男の纏う殺気は変わらない。
「ここにあんたがきたことは、誰にも漏らさないし、改心する!もう、政府にたてついたりも、しないから!」
ぐっと引かれた鞭に足首を引かれて、ヒィッと喉奥から短い悲鳴を零しながら高い梁を使って吊り上げられる。
「あれは、事故だったんだ!」
必死に弁明したところで、きりきりと吊り上げられる身体は重さを増すばかり。頭に血が溜まって、くらくらし始めれば、ぼやけた視界の中、男が通信機器に語りかける。
「ターゲット発見。既に私怨によるトラブルがあったようで死亡。その後、処理済み。」
違和感のある言葉に声を上げようにも、天井近くまで上げられた状態ではどうすることもできなくて。遠く離れた大理石の床を眺め、最期を思う。
「状態からみて死因は内臓破裂。」
低く穏やかな男の声が、まるでオルゴールのように耳に届けば、
「高所から何度か落ちたせいだろう。」
ふっと緩まった足首への圧に、重力に引かれた身体が、ぐしゃりと鈍い音を立てた。


「次の任務が落ち着いたら、食事に行かない?」
くすくすと子どものように笑った上司に、返事もせずにコーヒーを手渡す。
普段は自分から誘われることを待ってばかりの上司からの珍しい提案。近々、何かの記念日でもあっただろうかと記憶の襞を辿れば、マグを近づけた唇が幸せそうに囁く。
「実はね。今度、初めて私ひとりで潜入捜査をするの。」
甘ったれた上司の父親のことを考えれば、危険などない内容なのだろうと理解して、サインを終えた資料を指定の袋に納める。
「その記念にディナー、ですか。まだ完了してもいないのに。」
呆れたように溜息を吐いて、遠足前の子どものようにはしゃぐ長官に視線をやれば、
「大丈夫。私がするのは、情報を聞き出すだけで、後日、ルッチが処理をする事になってるの。簡単よ。」
煌めく瞳に澄ました表情の自分が映る。
「それにね、」
何か言い掛けた言葉を呑み込んで、俯いた睫毛に首を傾げれば、
「カリファ、成功の為のお守りをちょうだい。」
なんて、急な言葉にやれやれと息を吐く。
「そんなこと言われても、何も用意できません。」
目の前の上司と違って、こちらは連日、働きづめなのだから。
「なんでもいいの!その、緊張したときのお守りにしたいだけだから。」
本心を隠したいらしい、その表情に不服に想いながらも、
「なら、」
ひょいと来客用に用意したキャンディーポットから、赤い包みの飴玉を摘んで、
「これでもいいんですか。」
そう、少し意地悪く差し出してみる。
また、子どものように頬を赤くして怒るだろう様を思い浮かべて、恋人の表情を眺めてみれば、きらきらと瞬いた瞳がふわりと微笑んで。
「ありがとう。」
なんて、小さな包みを胸元に寄せやって。
「任務が終わったら、食べることにする。」
幸せそうに、睫毛が振れた。


「で、」
低い声に呼び止められれば、
「死に際に謝罪の言葉でももらったか?」
皮肉に歪んだ唇に、
「いっそ、一思いに殺してくれってさ。」
煙草に火をつけて視線を飛ばす。
「あれはおれの任務だと思ってたんだが。」
ゆらりと揺れた豹尾にぷかりと紫煙を吐き出せば、
「・・・だから?」
執務室で待つ病み上がりの上司の姿を想い瞳を細める。
上層部は必要ない者を消すことが目的で、誰がそれを始末したかなんて興味がない。だから、同僚の仕事を先に片づけたからといってお咎めなどありはしない。
内心、甘ったれた奴だとでも思われているんだろうと考えながらも、それを口にする程、馬鹿な奴ではないことは知っていて。壁に預けた背中に体重をかけた。
「それは、情か?それとも、愛とかいうやつか?」
からかうでもなく、ただ知らないものを探るように投げられた言葉に苦笑して。深く深く濁った煙を肺に満たす。
「そういや、ターゲットは高所から何度か落下したんだったな。」
答えを待たずに告げた唇は、気味が悪いほどに美しく笑っていて。
「正確には何回落ちたんだ?」
悪趣味な奴だと吐息をついて、
「さあ、途中で数えるのをやめたからわからないな。」
煙草の火を押し消した。


汚れた衣服もそのままに上司の元へ戻れば、玄関扉から飛び出してきた小さな肩を抱き止める。
「カリファ!」
ぎゅうっと胸元に押し付けられた頬に、数時間前に見た時とは違う、柔らかな赤みが戻っていて。
「もう大丈夫なんですか。」
そう意味のない言葉を呟いた。
声にならない言葉にぽろぽろ落ちる涙は、いったい何を思ってのものなのかわからなくて。そっと、乱れた淡髪を撫でやった。
馬鹿で、間抜けで、考えなしの上司は、おれの可愛い恋人。何もできなくていい。このまま、ずっとこの腕の中にいればいい。そう思っていたのに。

海列車のホーム。見送るつもりなんてありもしなくて。ただ、ぶらりと立ち寄ったそこで、聞いた、どうでもいい話。
「私ね、きっと、カリファにとっては役立たずだし、間抜けな上司でしょ?」
興味なさそうに隣に並ぶ同僚に告げる、独り言に似た言葉。
「でもね、」
海風に吹かれ揺れる髪に、近付いてくる海列車。大きく響くアナウンスに
「ひとりで任務をこなせるようになったら、胸を張って隣を歩ける気がするの。」
甘い声が掻き消された。


ドロドロに汚れたスーツに、口の中に広がる甘ったるい苺の味。怒りに任せ動かした身体に、どっと押し寄せた疲労感に苦笑すれば、抱き締めた柔らかな身体と揺らめく美しい瞳を想って。
口の中のお守りを、ころんと転がした。




死人のように美しく純な人が、自分のそばで生きているのだと理解するために。おれは醜い死体を作る。

それは、愛のためでも、情のためでもなく。
ただ、ただ、安堵を求めているだけ。









2021.12.30
温かな体温やキスですら、おれにはまだまだ足りないのです。






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