toy box



人形とカボチャ頭



間抜けなカボチャ頭と、ベール帽子のお人形。


長いドレスの裾はやけに重くて、これがダンス用の衣装なんて間違いだろう、と睫毛を伏せる。
「集中してください。」
呆れたように耳に寄せられた甘い声にドキリとしならも、何でもない風を装って引かれた腕の力に乗って、レースを揺らし回転する。ぶわりと膨らんだスカートに、網目に包まれた腿に熱いライトを感じる。想定したものより激しい音楽に合わせてステップを踏めば、絡まりそうになる足を器用に避けた相手の革靴が光る。強引な程に引かれた腰元に密着する身体。これを上品な社交界向けのものだとはきっと誰も言わないだろう。背中を這うように滑るシルクの指先に、スリットから晒された太股を支える手のひらは観客を誘うように艶めかしくて。ぎらぎらした視線がそこに集中するのがわかる。
ふたりを照らすスポットライトに、不気味ながらも美しい音楽を奏でるバンド隊。誰も彼もが顔を隠す、ここは地下組織たちが集まる大規模なハロウィンパーティー会場。ハロウィンを謳っているくせに、それは姿を隠す口実でしかなくて、本来の祝祭の面影は一つとない。甘ったるすぎるドラッグの匂いに、荒い男の笑い声。それに重なる甲高い女の歓声に、アルコールの泡が弾ける音が混じる。
会場の真ん中に設置されたストリップ用らしい舞台上、招かれたステージスタッフとして踊るのは何とも滑稽で。チカチカと瞬く照明のせいか、幻想のようなおかしな感覚に捕らわれる。


「ワルツくらい踊れるでしょう。」
カーテンを揺らす風のようにさらりと告げられた言葉に、マグカップにつけていた唇を外し視線を上げる。窓から覗く爽やかな昼の明るさは、不夜島を異質たらしめていて。まるで目の前にいる彼の整った笑顔のよう。
「一応。スパイの必須科目だから。」
きっと自信がないのはお見通しの部下から視線を外して、書類に目を向ける。どうせ、この完璧な人の前ではどれだけ得意なものだって、すぐに自信を失ってしまう。何もかも持っている彼にミスの多い自分。優位なのはどう考えたって、彼だから。
「で、ワルツがどうかしたの?」
書類にサインをしながら、興味のないふりをする。普段、事務的な話か嫌味が殆どの彼からの、数少ない雑談めいた話。しかも、その内容がふたりで踊るワルツなのだから、気にしない方が無理という話で。なのに、黙ったまま返事をしない相手を見上げるのが恐くて。数秒の沈黙に堪えきれず次の書類をとろうとペンを離して手を伸ばす。
途端に、その手をそっと机に押し付けられて、お行儀悪く机に乗り上げたスーツの膝に文句を言う前に、陰った眼鏡のレンズが反射する。寄せられた口元が触れそうになって、夜のベッドで嗅ぎなれたあの愛おしい匂いが鼻先を掠める。
「楽しそうな仕事があるんですが。」
綺麗に弧を描いた唇に胸が高鳴れば、髪をかけやる指先が触れた耳が火を灯したかの如く熱を持って。制御できない心に、泣きたくなる。
「最近は大人しい仕事が多いもので、退屈で。」
一部下の望みを聞いてやる謂われなどないのに、覗き込んでくるアメジストの深い闇に魅せられてしまえば、どうしようもなくて。渇きを感じる唇を舐めようとして、ぎりぎりまで寄せられた唇に期待してしまう。
「私は、」
震えそうな声を押し殺して睫毛を揺らせば、優しい視線が向けられて。
「長官も御一緒しませんか。」
低くしっとりとした、大好きな声。ベッドの中で溢れる吐息と同じ温度の息が、肌を撫でればそれだけで脳内が彼で満たされる。
「私は、どこにサインをすればいいの?」
告げた言葉を褒めるように、そっと柔らかな口元が重なった。


きついほどに締め上げたコルセットとは対照的に大きく膨らんだ純黒のドレス。幾層にも重ねられたベールがついたカクテルハットで顔を隠せば、目元を覆うレースのおかげで他者から見えるのは菫色のルージュを飾った口元だけ。
低めのヒールを鳴らして部屋から出れば、闇色の燕尾服を着こなしたジャック・オ・ランタンがシルクの手のひらを差し出して
「行きましょうか。」
そう、廊下の向こうの闇に誘う。
鮮やかな橙色に目鼻をくり抜かれたその滑稽なはずの頭も、すらりとした身体と合わされば、それはそれで美しくすら見えて。なんて罪深い人だろうと、溜息が漏れた。
やけに豪奢な作りの建物の裏側に通されて、そこで支配人らしい相手と演出の打ち合わせをする。本来なら、ここに集まる全員を伸してしまえばいいものだろうに、今回は此方に敵意を向けているだろう組織を炙り出すことが一番の目的で。ぎりぎりまで穏便に、事の成り行きを観察するのがふたりの任務になるらしい。安っぽい狼の被り物をした支配人と何やら話している美しい部下の隣で、ぼんやりとパーティーフロアに続く扉を眺める。扉を隔てて、なお響く重低音のリズムに、隠すことすらしようとしない違法薬物の香り。なんて、汚い世界なのだろう。
そう考えていたことを思い出せば、この場所でライトに照らされた自分たち以外はただのガラクタに思えて。どうでもいいやと、視線をカボチャ頭に戻す。ワルツを踊れるかと尋ねてきたくせに、結局、踊っているのは品のない創作じみたもの。その上、自分はただ彼の手に引かれるままに回る操り人形のようで。これなら、私なんて必要なかったんじゃ、なんて思われる。それでいて、他人がこの美しい存在と手を取り合うところを考えるだけで堪えられなくて、「女を脱がせ!」なんていう汚いヤジを無視して、ぽっかりと空いたふたつの暗闇を見つめる。何を考えているかわからないのは、この被り物があってもなくても変わらなくて。いつだって、自分はひとり取り残されるまま。
ぼんやり、そう考えたところで、どこかにひっかけたのか帽子を固定していたはずの顎元のリボンが弛んではらりと鎖骨を撫でる。このままでは帽子が、と考えても、もう遅くて。強く引かれた腰元に腹を密着させるように背中を反って倒されれば、ベールに隠されていたはずの髪が溢れ、カクテルハットがぱたりと舞台に落ちた。
瞬時、止まった時間に表情のわからないパンプキンスキン。慌てて帽子に手を伸ばした瞬間に見えた、舞台下の数人の男たちの視線に背筋がぞくりと冷たくなる。珍しい髪色に、政府役人として知られた自分の顔。これはきっとよくないハプニングで。どうするべきか助言を求めようと見つめた部下の身体が、音楽と逆らって緩やかに動きを止める。舞台上で立ち尽くしたダンサーに、酒を飲んで騒ぎ立てていた者たちまで、ちらほらと此方を気にし始める。
両手で帽子を握り、深く頭に押しつけたって、この場を乗り切る術が浮かぶはずもなくて。きっと、彼ならいつものように助けてくれると信じて、舞台の上、此方を見つめるカボチャに近付けば。
「マリアじゃない!こいつは僕のパートナーじゃない!」
先程まで触れ合っていたはずの指先が、此方を指さして悲痛な声を上げる。
「マリアをどこにやったんだ!」
カボチャの被り物の中から響く聞き慣れたはずの声が、耳に刺さされば、何が真実かわからなくなって。部屋の奥から飛び出してきた支配人が何事だとカボチャ頭に近付いてくる。
「とりあえず、舞台から降りろ。話はその後だ。」
そう大きな声で告げられれば、慌てたようにバンド隊の音楽が大きくなって、周りの客たちも何かのトラブルかと面倒げに会話に戻る。意味も分からず俯き控え室に向かえば、会場よりも寒い室温に、椅子にかけて置いた深紅のマントを羽織る。今更ながらと考えながらも、ハットをかぶりなおして顎元にリボンを結べば、息苦しい室内に目の前がくらりとする。
何もかも不安で仕方がなくて、目の前のジャック・オ・ランタンがいったい何者なのか、わからなくて。少なくとも愛しい彼がどこにいるか確認したくて、黒いマントを手にした相手の名を呼ぼうと唇を開いた。
その瞬間、どんと勢いよくドアが開いて仮面をつけた数人の男たちがなだれ込む。柄の悪い顔つきに、手にした武器を見れば、きっと彼らこそ此方を探っていたと言われるターゲットで。なのに、今は逆に自分が相手の的になっていて。
「話を聞かせてもらおうか。」
にたにたと笑う男に後退るも、逃げる場所なんてありはしなくて。揺れるカーテンに視線をやれば、綺麗に紅の乗った唇を噛みしめた。
「どうせ、聞く気なんてないくせに。」
強がって呟けば、深く深く息を吸う。
「そんな態度でいられるのも、」
「ちょっと待ってくださいよ!」
男の声にかぶったカボチャ男の声は、やはり聞きなじみのある部下のもので。
「マリアの事を聞かせてください!僕のパートナーは、いったいどこに行ったんですか!」
なのに、話している内容は全く理解できなくて。此方に向けられた声は悲壮に満ちていて。
私だってわからないわ、と返したくて。でもそれどころではないことも承知で。恐怖で肩が震える。
「そんなの簡単だろ。この女が、お前のマリアをさらって入れ替わってたんだよ。」
だからこの話は終わりだ、とでも言うように吐き捨てた男が一歩近付く。
「でも!」
カボチャ男が男たちの前に出た瞬間、振り返りもせず開いた窓に駆け寄って外を確認する。隣の部屋のベランダの奥に非常階段が見えて、迷っている暇もないと窓枠に足を乗せベランダの柵にヒールをかける。今夜はいつも助けてくれるはずの、アメジストの瞳を持つ王子様は現れなくて。
「いったい、どこにいるの?」
不安から零れた言葉が冷たい闇夜に溶ける。
どうにか辿り着いた外階段を見下ろすも、途中に見えた大きな荷物が行く手を阻んでいるのが見えれば、ここからは屋上を目指す方が理にかなっているようで。風に押されたベールが顔に触れて煩わしくて、でもそんなこと考えている余裕もなくて。
段差を駆け上がる足が絡まりそうになる度に、舞台上でそれに合わせステップを踏む革靴を思い出して、視界がぼやけそうになる。確かにあの場所で踊っていたのは彼で、きっとどこかで入れ替わる隙なんてない。それならば、もしかすると、部屋に充満していたドラッグを吸っておかしな思考に捕らわれてしまったのかも、なんて考える。誰かの人格が乗り移ってしまったかのように、別人になってしまった愛おしい人。薬のせいだと思えば、幾分か気が楽で。そうならば助けないと、と思い直せば、それだけでふらついていた足に力が籠もる。
「いたぞ!」
屋上から聞こえた大きな声に、はっと思考を戻せば傍に見えた扉から、また屋内に入る。ここが何階なのかすらわかりやしなくて、胸を上下させ真っ赤な絨毯の廊下を走る。同じように並んだ無数の扉のどこを開けば正解なのか考える暇もなくて、ただただ見える道を真っ直ぐ駆ければ、急に開いた扉から伸びた腕に真っ暗な室内に引き込まれる。
声を出そうにも、押さえ込まれた口元ではそんなことうまくいかなくて。身体の力が抜ける気がした。


「マリアはどこだ!」
廊下に響いた声に、激しく開いた扉。暗闇の中に浮かぶカボチャ頭に息苦しげに上下する肩。そこから逃げるように転がり出てきた深紅のマントを追いかける。
中央階段を上がった先は、屋上テラスに続く扉しかなくて、そこには何十という仲間が待ちかまえているはずで。上からの指示は生け捕りだが、あんな女一人、人数でかかれば捕まえるなんて訳がない。
あの男性ダンサーには悪いが、マリアなんて女、どうだっていい。もし邪魔をするようなら消してもいいと言われている。だが、先に捕らえるべきは、あの操り人形だ。
屋上の扉が勢いよく開かれる音がして、次いで聞こえた仲間の声に口元が弛む。ホールの中でお楽しみ中のボスもこれできっと満足するだろう。特別ボーナスも昇格も目の前だ。そう考え登りきった階段の先、見えた光景は正しく悪夢で。
風に煽られた赤いマントの中、ふわふわと揺れる漆黒のドレスの足元に転がった仲間たちの亡骸に、月夜に光る血の海。操り人形が手にした有刺鉄線を思わせる鞭に、どろどろに汚れたドレスの裾が、この場の支配者を表していて。かくんと操り人形の如く傾いた首に、ベールの中の瞳が此方を射抜く。唯一晒された形よい紫の唇が笑ったままで固まって見えて、身体を芯から凍らせる。
「お前はいったい何がしたいんだ!逃げ回ってたと思ったら、今度はいきがりやがって!」
震えそうになる声を力で押さえ込んで、唾を飛ばして叫ぶ。
かつん、と固い屋上にヒールのぶつかる音が響けば、わざとゆっくり相手の身体が近付いてくる。ガキの頃に読んだ花嫁の幽霊が脳裏に浮かんで、何をビビっているんだと自分に笑いを漏らす。
「知ってるぞ。お前は政府の役人だろう。だから、ボスがお前に会いたがってるんだ。お前をダシに交渉するんだと。」
震えそうな足に力を込めれば、無理して生意気に笑ってみせる。
「だが、こっちに手を出すとはな!これじゃあ、スキャンダルを自分から生み出してくれたってもんだ。政府役人が一般人に暴行殺人ってか!」
かつん、かつんと規則的に近付く亡霊はまるで自分のことを話しているとは認識していないようで。これではまるで、この目の前の存在が政府の役人ではないと言っているようなものではないか。
「おい!聞いてんのか!」
荒くなる声に相手に銃口を向ければ、すっと寄せられた身体に胸ぐらを掴まれて、がんと足元を蹴り掬われれば、身体が宙に浮く。世界がひっくり返る感覚にどんと地面に頭をぶつければ、顔横に落ちてきた足がコンクリートにめり込む。
「ボスの情報を。」
聞こえた声は地を這うように低く、恐ろしいほどに穏やかで。
「うちの上司は短気なもので。」
薄い唇が愛おしげに微笑んだ。


廊下から暗闇に引きずり込まれた瞬間に、扉の鍵ががちゃりと閉まる。敵だろうかと確認する前に視界に現れたカボチャ頭に声を発そうとすれば、被り物をとった見知った彼に口付けられて。深く甘いキスを受ける。
「時間がないので、長官はそのままで。」
唇を合わせたまま告げられた言葉を理解する間もなく再開したキスに、優しい指先が巻きスカートに触れて、器用にドレスが解体される。パニエ代わりの幾層もの布が縫いつけられたそれが剥ぎ取られれば、網タイツに包まれた腿と短い丈のペチコートが現れる。脱がされるという行為に慣れてしまっているからか、はたまた、そんなことどうでもいいほどに彼に会えたことで安堵しているのか、身体は彼にされるがまま。
肩に駆けられたマントを取られて、それでも続くキスにそっと彼の頬を両手で包む。息ができないほどに口付けを交わして、愛しい人の吐いた息で酸素を食らう。
いつまでも続けていたいと思われるこの時間でさえ、廊下から聞こえる荒々しい足音が邪魔をする。ようやく離れた唇も、今の自分には必要だと思えて、恋しくて不安になる。
顎元から解かれたリボンにベール付きのカクテルハットが外されれば、美しい顔をじっと見つめる。普段なら眼鏡越しの瞳も、今夜は遮るものがなくて、いつも以上に瞬いて見える。
「もう、何もしたくない。」
上司らしくない言葉なんて百も承知で、恋人の立場でだだをこねる。
「早く、帰りたい。」
ぎゅうと身を寄せれば、肩から漆黒のマントを掛けられて、前を丁寧に閉められる。
「善処します。」
そう笑ったらしい彼の口元には、淡く移った菫色のリップ。ベールに隠れた目元に、真っ赤なマントから覗く巻きスカートの裾が揺れる。


「うちの上司は短気なもので。」
屋上に続く扉の向こう。カクテルハットを外した部下の顔が見える。
「お前は。」
驚いたように呟かれた男の声は掠れていて、惨めで可哀想だった。
鬱陶しげに掻き上げられた月に反射する綺麗な金髪。惑わされてしまいそうな程、美しいアメジストの瞳。それを隠すように眼鏡をかける慣れた指先までが繊細な作り物のようで。
「ボスの情報を。」
するりと甘い風切り音をたて、茨の蔓が男の首筋を絞める。
「言っただろう。うちの上司は短気なんだ。」
人が人を傷つけ苦しめる瞬間。そのはずなのに。血に汚れたこの場所も、転がった男たちの身体も、目の前にいる恐ろしい恋人も、全てが箱の中、繰り広げられる美しい物語のように見えて。まるで、みんなが人形のようだと思った。
「ほら。」
優しい瞳に貼り付いたような整いすぎた笑み。さらりと落ちた前髪が男の額に触れそうな程、近付いて。枯れた囁き声を求めて、鞭を絞める手に力を込めた。
離れたここからでは聞き取れない呻きに似た言葉を最後に、男の身体が鞭につられるように軽く浮かんで、きゅうっという小さな呼吸音が漏れれば、ぐったりと動かなくなった。

ふと此方に向けられた視線に、近付く底知れない感情を抱えた人形のような彼。
扉の傍で立ち尽くして、動けなくて。カボチャ頭をかたかた揺らす。
巻きスカートを乱暴なほどに投げ捨てて、マントを揺らし差し出された腕に、痛いほどに掴まれた手首。抵抗する気などさらさらなくて、
「この程度で泣いて、どうするんですか。」
強引に引き寄せられられるまま被り物をどけられ、泣き顔を冷たい外気に晒す。
「でも、カリファが護ってくれなくて。だから。」
ぼろぼろと溢れた涙は止められなくて、顎を支える指先に逆らうことなく上を向く。じっくりと眺められる感覚に、捕食者の心を感じながらも、それでもいいのと瞳に彼を映して。
「ほら、指示を。」
甘ったるい声に誘われるままに、
「今すぐ、キスして。」
そう、短気な上司はカボチャを踏み付け、背を伸ばした。









2021.10.24
人形のような有能な無表情と、何もできない間抜けなカボチャ頭。





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