toy box



マスクの中の花弁



見えないそこで咲く花を。


手を握る。そっと吐いた息は彼女には見えなくて。
「仕事中では?」
尋ねた口元は支給されたマスクで隠されて、きっと少し不機嫌。
「働いてるんだから、文句ないでしょ。」
そう肩眉を上げてみせれば、仕方ないなという風に艶やかな唇が静かに笑った。


原因不明の感染症のため、町中には人の姿はなくて。なのに、違反者の取り締まりだけはするべきだと駆り出される海兵たちを止め、自分一人で事足りると言い切った恋人に、苦笑混じりにコートを手にする。
上層部からすれば捨て駒なのだろう海兵たちに支給された紙マスクは薄く心許なくて。電伝虫で抗議する彼女の声とは対照的に、無表情の通信機が伝えるのは何時もと変わらぬ事務的な返事。がしゃんと不機嫌に切られた会話に、部下を呼ぶ声。
「今日の巡回担当は、全て事務作業に変更を。」
羽織ったマントに揺れる大きな文字に瞳を細めれば、
「ですが、スモーカーさん。上からの指示が。」
慌てたように告げるその声を制して、
「おれとスモーカーがいれば、足りるでしょ。その任務。」
"正義"に掛かった長い髪に引かれるように、ソファーから身体を起こす。

人のいない町は、まるで、ふたりきりの世界。
なのに、少し前を歩く恋人の視線は海賊さえ見つければ捕らえてやると言いたげに忙しなく動いていて。真面目すぎると笑ってしまいそうになる。まあ、こんなところが愛おしくもあるのだが。
時折、目に入るテイクアウト限定の飲食店に、違反者や迷惑客はいないかと尋ねながらコーヒーをふたつ購入して、ひとつを相手に手渡せば公園のベンチに導いて。
「休憩には早すぎます。疲れてもいないし。」
素っ気なく告げる声に、
「こんなにきびきび働くのは、おれの正義に反するから。」
ベンチに腰掛ければ、くたりと姿勢を崩して見せて。
「それにここなら公園を見張れるし、サボリにもならないでしょ。」
マスクをずらしてコーヒーをすする。広い公園の隅の散歩道。木々に覆われたその先には少し開けた遊び場があって。見えない事もないという立地。
呆れたという風に見開かれた瞳は愛おしくて、それでいて此方のことを見透かした視線を受ければ、
「コーヒーは葉巻の代わりにはならないんですけど。」
つんと尖らせただろう口元が恋しくて、マスクを眺める。
わざとらしく距離をとって座った位置はベンチの端。感染予防です、とでも言いたげな不自然な空間。そっと外されたマスの下から現れた口元に、そっと触れた紙カップ。
そっと影を作る長い睫毛に柔らかな目元は、どこかほっとしたようで。普段口元にあるはずの葉巻代わりにはならないながらも、口寂しいのは紛らわせるだろうと選んだコーヒー。ほんの少しいい豆のを選んで正解だったなと考え、また一口飲めば、くすりと笑った表情に
「これより安い豆の方が好みです。」
そう意地悪く告げられる。

ことんと置かれた紙カップに、口元に戻されたマスク。ふわりと揺れる白い髪が夢のように霞めば、さっと飛び立ち少し離れた位置で遊ぶ子どもたちへと向かう。
マスクを外し近距離でじゃれる行為は確かに違反ではあるものの、子どもに告げるのは酷なもので。それでいて、取り締まるのが自分たちの任務な訳で。静かに煙となった恋人の後を出遅れがちに追えば、生い茂る木々を抜け、子どもたちの前に立つ彼女の隣に並ぶ。
「今はマスクをして外出しないといけないのは知ってる?」
さらりと耳に掛けた髪が頬に落ちれば、少し拗ねたように尖る子どもたちの唇。
「だって、」
そう告げるのはよくわかる。だが、それを許すのは彼らのためにもならないのだと、この小さな存在に説いたところでうまく伝わる保証はなくて。正義感の強い恋人の横顔を見つめて、困ったように頭を掻く。
「あ〜、」
何か気の利いたことを、と声を漏らしたと同時にしゃがみ込んだ身体を見下ろせば。手の中に広げられた小さなサイズのマスクと、
「どれにする?」
柔らかな声に示された色とりどりのシールたち。
はしゃぐ子どもたちの口元にマスクをつけて、笑顔で指さされたシールをそこに貼る。
「家に帰ったら、手荒いとうがいを。」
そう告げて手を振る恋人に、
「あの場で怒鳴り散らすとでも思いました?」
なんて、視線を向けられて。何とも言えない気持ちになる。
「別に子どもたちが悪い訳じゃない。こんな世の中を救えない私たちに、子どもたちが巻き込まれているだけ。」
ふと、彼女のマスクの端についた花型のシールに気付けば、話の内容とのギャップに愛おしさが込み上げて。わいわいと彼女を囲んだ子どものひとりが貼ったのか、はたまた、知らない間についてしまったのか。子どもっぽい明るい色の花が、彼女の息に合わせて動く。
「だから、私はできることをするだけ。」
話を聞きながらベンチに戻れば、睫毛を揺らしたその横顔に手を伸ばす。
はっとしたように見開いた瞳が躊躇うように反らされて、それでいて拒絶はされなくて。シールを外そうと伸ばしただけの手に、なにやら勘違いをしているらしい恋人の表情が愛らしくて溜まらなくて。白い頬を包めば、目的など後回しに瞼を下ろす。文句を言われたって、先に思い違いを起こした恋人のせいにしてしまおうなんて微笑めば、深く息を吸って。

ぴとり、マスク越しに口付けた。


人目のない町の中、正義の文字を揺らして手を握る。
仕事中だと告げる声とは裏腹に、甘く震える睫毛に微笑んで。

白い髪が風に揺れれば、それだけでマスクに移ったキスマークを想う。


「ねえ、スモーカー。」
コーヒーのようにほろ苦い声を出して。
「なにか?」
そっと上げられた視線に、未だ花を飾った横顔を眺めて。


深く欲する。


見えないそこで咲く花を、この唇に、と。









2021.05.02
なんで教えてくれなかったの?って。きかれなかったからだけど。





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