toy box



未練と明日



未練なんて言葉、私の辞書には御座いません。


目隠しに猿轡。後ろ手に束ねられた手首はチェアの背凭れに繋がっていて。まるで、映画の一場面みたいだとぼんやり考える。胸元に隠した電伝虫には今の所、気付かれてはいないが、それでも遠く無い未来、鳴り響いた着信音でその存在だってバレてしまうのだろう。まあ、バレていないところで非力な私には何一つ、現状を変える術などないのだけれど。
幸か不幸か、誘拐犯は私のことを、まさか政府関係者だとは知らなくて。だからこそ、殴られも、蹴られもしない。本当に映画の中の世界なら良いのに。そう、のんびりと考えれば、まだ幼かった頃を思い出す。
低く荒い大人の怒鳴り声、知りもしない難しい言葉。喉元が詰まる事なんて気にもせず、まるで動物みたいに持ち上げられた襟首に、軽い身体は抵抗すらできなくて。
「お前の父親が何をしたか知ってるか?」
頬に飛んだ唾を拭うこともできないまま、麻袋に詰められて、それから、それから。
政府関係者の子供ならよくあることだ。そう説明されても、記憶だけは消えなくて。繰り返される度、無心になっていく。ふうっと蝋燭の火が消えるように、潮が引いていくように。
拘束されてしまえば、何もできないことは理解していて。だからこそ、逆らいもしない。ただただ、終わりを待つだけ。どんな終わりを迎えようと、そんなことはどうでもいいの。
真っ暗闇の中から救い出してくれるのは、決して大好きなパパではなくて、いつか見たようなぼんやりとした記憶にしかない誰かばかり。命はある、と確認はするくせに私の心の状態なんて御構い無し。その上、パパは私のショック以上に救出された事実に喜んでいて、私は泣くことしか許されない。
諦めてしまったといえば聞こえは悪いが、そうかもしれない。だって、結局、私はパパの背中を追って大嫌いな政府関係者になってしまった。自分を苦しめ悲しませる立場そのものに。この地位を捨てる程の勇気はないくせに、その先の絶望に慣れてしまった身体に笑ってしまいそうになって、そっと唇を噛みしめる。
いつか手にするだろう黄金の電伝虫は、きっと今の私を更に動けなくさせるのだろう。

お気に入りのブラウスをきて、買ったばかりのリップを引いて、すきなスイーツを食べる。淡い桜色に塗り上げられた爪を眺めて、次はどんな色にしようかと唇を尖らせる。相談すべき友達なんて持ち合わせていなくて、そばにいた海兵に何の気なしに尋ねてみる。聞いた答えが気に入らなくたって、そんなことどうでもいい。名乗られた名前だって覚える必要がない。憧れはあるものの恋だってしない。もしも明日が来なくたって困らないように。悔いなんて残したくないから。だから、私はいつも今を一番に生きる。

要人の警護という任務の筈が、犯人が何を間違ったのか攫ってきたのは自分自身。仲がいいとは言えない同僚たちを思えば、彼等が私を助けに来ない未来も予想ができて。それでもいいか、と鼻から息を吐く。だって、昨日、大好きな苺タルトを食べたばかりだもの。
そう考えた瞬間にシュッと風を切る音が耳を掠めれば、ごとりと何かが床に転がる音がする。足音も、息遣いすら聞こえないのに、熱く柔らかな香水の香りが鼻先に触れて。外された目元の布の先に見えた、菫色の瞳が光る。
「帰りましょう。」
そう甘い声に囁かれれば、抱き上げられて。
「どこに?」
馬鹿みたいにに尋ねる。
「貴女の居るべき場所に。」
細まった瞳にどこか気怠げな物言い。なのに、確かに抱き締めてくれる腕は優しくて、揺れる金色の髪に泣きたくなる。
「此処だって、私の居るべき場所でしょう?」
強がって告げてみれば、ふっと小さな溜息が降ってきて。建物を抜けた先、満天の星空が視界に広がる。
「なら、まだ震えの残る貴女を置いて行きましょうか。」
空に飛び立った瞬間にふわりとわざとらしく抜かれた腕の力に、慌てて彼の首元に掴まって身を寄せる。
驚く程に高鳴る鼓動は、落下への恐怖ではなくて。きっと、これは。
「ねぇ。」
見上げた表情は明る過ぎる満月の影になって見えないけれど、いつか見た絵本の中の王子様のようで。
「貴方の、名前は?」
彼の事が、知りたくなった。
静かに弧を描いた薄い唇に、柔らかに抱き寄せられた肩元から香るコロンの匂いに、ふわりと思考が溶け出して。視界がぼんやりと潤む。
「そう、ですね。」
低く意地悪な声に、何故だか胸が締め付けられて。

「明日、生きていたら教えましょうか。」

ぷつり、そこで意識が切れた。


身体を重ねた後の、甘ったるい時間。夢見るように霞んだ思考に、ぼんやりと浮かんだ過去の記憶。
「カリファ。」
小さな声で呼んでみれば、水をグラスへと注ぐ彼の視線がこちらに向けられて。
「司法の塔での顔合わせの前日の事、覚えてる?」
近付く愛おしいあの香りに、ハグを求めてそっと腕を伸ばす。
あの日、私は確かに、初めて生きていたいと願ったの。
「自分の上司になる筈の人物が事前に資料に目も通さないほど無能だと絶望した、あの夜の事なら。」
わかっているくせに抱き締めてはくれなくて、伸ばした指先を取って静かに触れた唇が囁く。
「だって、あの時は忙しくて。」
言い訳をしながらも、あの頃は自分に明日の仕事などどうでもよかったのだと理解していて。きっと、この事さえお見通しなのだろう恋人に胸が熱くなる。
「あの日に何か?」
生まれたままの姿で肩から掛けた毛布を握って、
「あの時から、意地悪だったなって。」
いじけるように唇を尖らせて見せれば、
「長官が、ですか。」
そう、揶揄うように口端がくっと上がる。




嗚呼、きっと、私の辞書には未練という文字は無い。
だって、今が幸せすぎるから。

でも、
「明日は優しくしてくれる?」
そう尋ねるほどに、私は未来を渇望している。

「どうでしょう。」
触れた唇から紡がれる言葉に、心を熱く焦がしながら。









2021.03.07
死にたがりは好みでないので。





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